第11話 清算、未来へ

 二人で話がしたいというトキヤの言葉に頷いて、僕は懐かしい小学校の校舎の中を歩いていた。

 トキヤは音楽室の前に立った。

「ここ、覚えてる?」

「ああ……」

 ある意味でここが僕にとっての終わりの場所だった。かつて、この場所で僕は悪霊と戦おうとし、あっさり打ち倒され、弟に助けられ――僕はすべてにおいて「生きる」気力を失った。

「ここでやられた後の僕の人生は、まあ酷いものだったな……」


 肉体もプライドもずたずたにされた僕は小学校を長く休んだ。そして、一度休み始めると元のように学校に行くことが何故か躊躇われるようになってしまった。そのままずるずると僕は引きこもりになっていった。

 おかげで中学校には、ほとんど通っていない。高校も形だけ入学して、結局、まともに通ったのは一年生の一学期だけだった。結局、僕は学校を辞めた。

 それからしばらくして、父は言った。

「『生きる』っていうのは、単に命があるっていうだけのことではないんだ」

 僕が暗い部屋に閉じこもり、一日中漫画やゲームで時間を潰していたある日のことだった。父は突然、部屋に入って来てこう言ったのだ。

 雨戸まで締め切った部屋は昼間でも薄暗い。父の顔はよく見えなかった。

「………………」

「父さんには霊が見える。だから、解る……。『生きる』っていうのは、思ったよりも難しいことなんだよな……」

 父さんはこのときいったいどんな顔をしていたんだろう。

「トキオ、今のおまえはきちんと『生きて』いるかい……?」


 そのあと、一念発起して高卒認定試験を受けた。そして、高校卒業資格を得て、大学を受験した。大学には数週間は通ったのだけど、結局馴染めず、段々と授業を欠席する日が増えていく。

 焦りがなかったと言えば嘘になる。ようやく引きこもりから脱しようとしていたのだ。ここが自分がまともに人生をやり直せる最後だという自覚はあった。

 嫌がる身体に鞭を打ち、僕は大学に通い続けた。

 そして、僕はある日、事故に合い、命を落とした。

 交通事故だった。

 信号無視をした乗用車に轢かれたのだ。

 その後の記憶は曖昧だ。

 ただ、ひとつ、こんなくだらないことで僕は死ぬのか。やっと、まともに『生きよう』と思えるようになったのに。

 神様って奴はどれだけ残酷な奴なんだ。

 そんな思いを抱いたことを覚えている。

 次に気がついたとき、僕は幽霊になっていた。

 そのことに気がついたとき、僕は急いで現場を離れた。

 父や弟に見つかることを恐れたからだ。

 僕という存在を消しかねない人に見つかりたくなかったのだった。


「ねえ、兄さん……」

 年齢相応のあどけない声でトキヤは呟いた。

「僕が兄さんのことをどう思っていたか解らない?」

 トキヤは何故か泣きそうな顔で僕を見ている。

「どう思っていたか……?」

 僕はトキヤの気持ちを推し量る。

「そりゃあ、幻滅していただろう。陰陽道の家系に生まれながら霊も見えない半端ものだからな」

「……違うよ」

 トキヤは力を込めた瞳で僕を見た。

「僕は兄さんに憧れていたんだ……」

「憧れ……?」

 僕はトキヤの言葉が理解できない。

「そりゃあ嘘だ……。僕みたいな情けない奴に憧れる奴が居るとは思えない……」

 トキヤは僕の言葉に首を振ってから言う。

「いいや。僕は兄さんに憧れていたんだ。霊が見えなくっても陰陽師になることを諦めずに厳しい修行に打ち込んでいた頃の兄さんに」

「………………」

「そんな兄さんみたいな人になりたかったから、僕も陰陽道の修行に打ち込んでいたんだよ」

「そんな……」

「気がつかなかったの……兄さんは鈍いなあ」

「………………」

 トキヤの意外な告白に僕は思わず言葉を失う。

 音楽室の扉を撫で、トキヤは言う。

「だから、ここで兄さんが悪霊と戦うと言ったとき、僕はこっそり後をつけた。僕も兄さんと一緒に戦いたかったから」

 トキヤは言葉を紡ぎ続ける。

「兄さんは窮地に陥っていた。さすがの兄さんも見えない相手と戦うのは辛いんだって気付いた。だから、僕は兄さんの手助けをしようと思ったんだ」

 トキヤの言葉を聞いて、ずっと封じられていた記憶が少しずつよみがえってくる。

 そうだ、あのとき――


『兄さん、真後ろに向かって撃って!』


 悪霊に打ちのめされ、朦朧とした意識の中、そんな声が聞こえ、僕は無我夢中で術を背後に向かって撃ち放っていた。

 そして、僕は直後に意識を失って倒れたのだ。


「まさか、あの悪霊を倒したのって……」

「兄さんだよ……当時の僕は単に見えるだけでほとんどの力は使いこなせていなかったんだから、あんな悪霊を倒すなんて真似、無理だったんだよ」

「そうだったのか……」

 僕はずっと自分は何もできない、何も為せていないと思っていた。

「兄さんは確かに陰陽師だよ」

 トキヤは言った。

 ただこれだけの言葉に、僕のもう存在しない心臓はどくんと波を打った。

「確かに兄さんは霊が見えなかった。でも兄さんにはその分、努力によって勝ちえた確かな力があった。僕には見える力があった。でも、悪霊を打ち払えるだけの力はなかった……。だから、僕たちは最初から二人で一緒に戦えばよかったんだよ」

「……二人で」

 トキヤに助けられた後の言葉を不意に思い出す。


『兄さんは幽霊が見えないんだから、一人で戦うなんて真似しちゃ駄目だよ』


「二人で一人前の陰陽師になれば良かったんだよ……」

 トキヤは言った。

「ただ、これだけの言葉を言えば、兄さんの人生はもっとよりよい物になっていたかもしれないのに……。ごめん、兄さん。僕は何も言えなかった」

 トキヤは話を続ける。

「兄さんは僕にとっては憧れで……僕なんかが何もしなくても、不死鳥みたいに蘇る……。そんな勝手なイメージを僕は押し付けていた……。兄さんだって一人の人間だったのに……」

 弟の思い詰めた吐露を聞いて、僕の心はずきりと痛む。

「だから、兄さんがあまりにもあっさり死んでしまったときに僕は決意したんだ。兄さんの霊を見つけたら、どんな手段を使ってでも立ち直ってもらおうって」

「それでおまえはヒメの霊魂を奪うなんて真似を……」

「もう後悔なんてしたくなかったから……。兄さんが昔のカッコイイ兄さんに戻ってくれるなら、悪役でもなんでもやろうと思っていたんだ……」

 トキヤの思いを聞いて、僕は思わずため息をついた。

 くっそ情けねえ……。

 たった一人の弟にここまで思い詰めさせていたなんて……。本当に僕は兄貴失格だ。

「悪かったな、トキヤ……。そんな思いをさせていたなんて気付いてやれなくて」

「……兄さん」

「ごめん、本当にごめん」

 僕は素直に弟に頭を下げる。

 しかし、そういう思いとは別に僕はトキヤにどうしても言いたいことがあった。

「でも、ひとつだけ言わせてくれ」

 こいつのやったことは一般論で考えれば、何も悪いことではない。

 ヒメは幽霊だ。陰陽師は霊を討ち祓う存在。清掃員が掃除をするようなものだ。そういう意味でこいつを責めることはできない。

 悪いのは、この世界に不法に居すわる僕たち幽霊の方なのだから。

 ――少し前の僕ならそう思っていただろう。

「……僕のふ抜けっぷりが遠因なんだから、言いづらいが……おまえはやり過ぎだ」

 僕は言う。

「幽霊だって『生きて』るんだぞ」

「幽霊が『生きて』いる……?」

 僕はかつて父が言った言葉を思い出す。


『『生きる』っていうのは、単に命があるっていうだけのことではないんだ』


「『生きる』って難しいよな。ただ単に心臓が動いて息をしていることが『生きる』ってことなら、事故に会う前の僕は確かに生きていたよ……。でも、心臓の鼓動も脈動も無くなった今の方が、僕は『生きてる』って思えるんだよ……」

 ユキセさん、ミオコさん、ツキミちゃん、ハルミ、そして、ヒメ。

 今の僕の周りには仲間が居た。

 バカな話をして、くだらないことで騒いで、ときにはぶつかりあって、そして、笑い合える。そういう仲間が居る。

 『生きる』ということの定義は人それぞれだと思う。

 一人でひたすら何かに打ち込むことが『生きる』ということなのだと思う人が居れば、誰かと共に過ごす時間が『生きる』ことなんだと思う人も居るだろう。

 でも、少なくとも言えるのは、ただ心臓が休むことなく動いていることが『生きる』ということではないということだ。

「幽霊の中にだって『生きている』奴は居るんだ……。だから、よく知りもせずに消そうとはしないでくれ」

「………………」

 トキヤは目尻に涙を浮かべて僕を見ている。

「そうか……。今の兄さんは『生きて』いるんだね……」

「ああ」

「そうなんだ……。そう……なんだ……」

 トキヤは何を考えているのだろうか。彼は涙を目に浮かべたまま校舎の窓の向こう側にそっと目をやった。

 そして、それ以上、何も言わなかった。

 僕たちはこの日、初めて本当の意味で兄弟になれたのかもしれないと思った。

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死んでしまった僕たちは、それでも確かに生きていく 雪瀬ひうろ @hiuro

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