第10話 決闘、そして――

「ようこそお越し下さいました、兄上」

 僕たちが通った小学校の屋上。僕は霊体の身体を生かして、一飛びで屋上に上った。

「扉、ぶっ壊したのか?」

 屋上の入口の部分にドアがない。焼け焦げた跡がついた扉が近くに落ちていた。大方、『火』の術式で吹き飛ばしたのだろう。トキヤの実力なら霊符さえ使えば、この程度の芸当はたやすい。

 陰陽道をはじめとする魔術の術式は極めれば物理的な攻撃が可能になる。魔術とはこの世界のエラーだと考えられている。この世界を支配する物理法則の抜け道。それが魔術。故に、魔術は通常の物理法則では考えられない作用を引き起こす。

 トキヤは薄笑いを浮かべながら答える。

「はい。悪いとは思いましたが、致し方ありません。あくまで生身の我は兄上のように自由に中空を舞う術を備えておりませんぬ故」

「はっ、生きてるって言うのも不便なもんだな」

 僕が憎まれ口を叩くと、

「……そうですね」

 トキヤは何故か悲しそうに顔を伏せた。

 僕はその姿を見て、少し戸惑ったが、すぐにその思いを断ち切り、両の拳を構える。

「なあ、トキヤ。こんな風に兄弟喧嘩みたいな真似するのって始めてのことじゃねえか?」

 僕はトキヤに声をかける。

「……ええ。そうでしょうね」

 トキヤは学生服の胸元から数枚の霊符を取り出し、指の間に挟みながら答える。

「先に宣言しておきます。勝つのは我であります。我と兄上の戦力差。それが解らない兄上ではありますまい」

「………………」

 そう、僕は圧倒的なハンデを背負っている。

 それは――

「呪具の有無だな」

「ええ」

 呪具。それは霊符をはじめとする魔術を行使するときに使われる補助アイテム。

 まず、魔術は呪具なしでも行使可能だ。実際に霊体の僕も魔術は使用できる。魔術に必要なのは魔力。魔力さえあれば魔術は行使可能なのだ。

 生身の人間ならば体内にある魔力、いわゆるオドを使用することが多い。では、肉体を持たない霊体はどうやって魔術を使うのか。

 その答えは世界に満ちる魔力、いわゆるマナを使うということになる。術式を操作する魂さえあれば、霊体であろうと魔術を行使することは不可能ではない。だから、僕は先程、不意打ちでヒメを拘束するトキヤの式神を破壊することができたのだ。

「兄上の実力は理解しております……。霊体も見えぬ御身でありながら、あれほどの修行を積んだ術師は長い陰陽道の歴史を振り返っても稀有な事例でありましょう……。もしも、兄上の目が十人並みのもので、なおかつ呪具をふんだんに使える状況でありましたなら、地に倒れ伏すのは我の方……。我は兄上の実力をきちんと把握しております」

 確かに僕は幼い頃、修行を積み続けた。その貯金が今もある。だから、陰陽道の魔術を高いレベルで行使できる自信はある。

「だが、それは条件が対等であった場合であります。……兄上は肉体を持たない」

「ああ、確かに僕には呪具は使えない」

「魔術戦で物を言うのは、実力以上に前準備であると言われます。前準備とは主に呪具をどれだけ効果的に運用できる状況にあるかということです。つまり、それだけ魔術戦における呪具の重要度は高い」

 そう、呪具こそが人間がエラーである魔術を極めることができた原因。

 たとえば、まったく呪具を持たない一流の陰陽師と式神や霊符を始めとした呪具を潤沢に持つ二流の陰陽師。どちらに軍配が上がる可能性が高いかと言えば後者。それだけ呪具の有無は魔術戦において重要なファクターなのだ。

「故に、諦めてください。あの霊が消え去るのを共に観賞いたしましょう」

「………………」

 僕は言う。

「僕はおまえに嫉妬していたよ……」

 トキヤは身動きを止めて、睨むように僕を見た。

「なぜ霊視の才能が弟にだけ現れて、僕には現れなかったのか……。そう思わない日はなかった……。弟にも才能がなければそういう血統だったって、もっと早くに諦めがついていたかもしれないのに……」

 僕の言葉にトキヤは答える。

「……つまり、兄上を苦しめていたのは我の存在であったのですか」

「嫌な兄貴だろ。おまえは何も悪くなかったのにな」

 僕は今まで一度も語らなかった想いを弟に語る。

 死んで初めて僕は、自分の弟に向き合っていた。

「不甲斐無い兄だよな。おまえにこんな風に恨まれてもしかたねえ。それは本気でそう思ってる」

「……恨む?」

 トキヤは僕の言葉をオウム返しにする。

「ああ。おまえは僕を恨んでるからこんな真似をするんだろ? ヒメの霊魂を奪い、僕を挑発して、決闘染みた真似をしている……。あるいは、陰陽師でありながら、霊に身をやつした僕を蔑んでいるのか」

 瞬間、トキヤは不思議な表情を見せた。

「兄さんはそんな風に思っていたの……?」

 被った仮面が剥がれたように、あどけない表情で僕を見るトキヤ。

「僕は……僕はただ……兄さんともっと――」

 その瞬間だった。

「『土』『縛』」

 二小節の陰陽術。属性付加と形態指定の基礎魔術。基礎故に威力には欠けるがスピードは段違い。

 不意を突くには充分だ。

「ぐはあ!」

 コンクリートの床が盛り上がり、縄の形状を取る。そして、その石の縄はトキヤの四肢を拘束した。

「くっ、何を?!」

 驚愕を浮かべるトキヤに向かって僕は言う。

「おっと、動くなよ。といってもさすがのおまえもこの拘束を解くのは簡単ではないだろうけど」

 トキヤは苦悶の表情を浮かべながら僕を睨む。

「……この力は強力過ぎる。いくら兄さんでも、なんの呪具も無しに神秘の薄いコンクリートにここまでの形態変化を起こすなんて真似……」

「まあ、確かに呪具なしなら無理だろうな」

 僕の言葉を受け、一瞬呆けたような表情を見せたあとに、トキヤは叫んだ。

「……まさか?!」

「霊体は物に触れないから呪具とやらが使えない。なら、代わりに生身の人間が持って来てやればいい」

 僕の背後に立つ人影。

「弟くんだったかな。お兄さんと話すのに夢中で私のように素敵なお姉さんの存在を見逃すのは人生損してると思うぜ」

「何者だ……!」

 現れた人影、ユキセさんは、白衣の裾を翻し、にやりと笑って答える。

「通りすがりの素敵なお姉さんだよ」

 そう、霊体が呪具を使えないのは自分で持ってこられないから。霊体は基本的に物理干渉できないからな。だったら、別の生身の人間が呪具を持ち、それを補助にして魔術を行使すればいいだけの話だ。

 トキヤが僕との話に夢中になっている間にユキセさんは屋上の四隅にこっそりと霊符を設置した。和紙に墨で術式を書きこんだだけの簡易霊符だったが、それでもあるのとないのとでは雲泥の差だ。そして、僕はトキヤの隙をついて、霊符に魔力を流し込み、魔術を起動した。

 そして、

「あ、ありました! ポケットの中です!」

「よし、いただくで」

 校舎の中に隠れていたツキノちゃんとミオコさんの二人が現れ、身動きが取れないトキヤのポケットから奪われたヒメの霊魂を奪い取る。霊魂はあくまで霊体の一部だから、霊である二人にも触れることができる。

 淡い光を放つ球体。それが霊魂。霊魂の色は霊によって違う。奪われたヒメの霊魂は透き通るような銀色だった。

「ヒメさん!」

 屋上の入口の裏に隠れていたヒメにツキノちゃんが奪われた霊魂を返す。

「ん……!」

 銀色の球体はヒメの身体に吸い込まれるようにして消えていく。霊魂を奪うのは高等な技術だが、再接合には技術は必要ない。

 ヒメに奪われた霊魂が戻り、ほとんど消えかかっていたヒメの身体が色を取り戻していく。

「はあ、生き返ったにゃん……」

「いや、死んでるけどな」

 僕は一応ツッコんだあとに言う。

「良かった……」

 これでもうヒメについては安心だろう。

 僕は改めて拘束されたままのトキヤに向かって向き直る。

 トキヤは神妙な顔で僕を見ている。

「……どういう真似でありましょう、兄上」

 トキヤはぎりと歯を食いしばり、僕を睨む。

「なぜ、このような不意打ち染みた真似を行ったのです?」

「不意打ち染みたじゃなくて不意打ちだよ。つうか、ヒメに不意打ちかましたおまえには言われたくない」

「………………」

 僕はトキヤの言葉を受けて言った。

「別に僕は最初から一対一だと言ったつもりはないし、おまえと決闘してるつもりだってない」

「………………」

「呼び出し、夜中の学校の屋上、兄弟喧嘩……そんなシチュエーションでおまえが勝手に一対一の決闘だと思い込んでただけだよ」

 僕は言った。

「僕はもうそういう『お約束』に囚われるのは止めることにしたんだ」

 兄弟喧嘩だから一対一じゃないといけない?

 卑怯な不意打ちは駄目で正々堂々と戦わなくちゃいけない?

 幽霊はいつか必ず消えなくちゃいけない?

 そんなの誰が決めたんだよ。

「僕は自由に『生きる』ことにしたんだ」

 僕ははっきりとそう宣言する。

 みんながにっこりと笑って僕を見ている。

 そして――

「……やっぱり、兄さんには敵わないなあ」

 トキヤの頬をつと涙が伝っていた。

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