11月の駅前で
蒼井七海
11月の駅前で
階段を下りて、できたばかりの自動改札を抜け、駅を出たらそのまままっすぐ家に帰る。それが俺の日常だ。けれど、この日はちょっと違った。
出雲市駅の外に出て、俺は目をみはった。
クリスマスツリーが並んでいる。いや、正確には裸の木々にちょっとしたイルミネーションがついていて、きらきら、黄色く光っているのだ。突然訪れた変化に、俺はしんみりした気分になる。
「ああ、もうそんな時期か……」
空を仰ぐ。まだ夕方の五時過ぎだというのに、すっかり日が落ちてしまっていた。そして毎年そんな時期になると、駅前の木々が電飾に彩られることも、知っている。都会の華やかな飾りに比べると明らかに見劣りするせいか、いつも気にせず通り過ぎているけれど。
少しの間、柄にもなく感慨にひたった俺は、我に返って歩き出した。寒いしさっさと家に帰ろう。そう思っていたのだが、またすぐにその足を止めてしまった。
光る木の前に立っている人を見つけたのだ。黒いリュックサックをしょった若い女性だ。むしろまだ女子高生に近いかもしれない。
「あれって」
俺は思わず呟いた。その背中には見覚えがある。口をきくほど親しい相手ではないが、今年に入ってから何度も目にしている。
「彼女」は、決まった曜日にだけ、行きも帰りも俺と同じ電車に乗る。そんな人はいくらでもいるだろうけど、俺は彼女を特によく覚えている。なぜって、印象に残るからだ。
駅のホームを歩くときと、電車の昇降のとき、いつも駅員に手を引かれているのだから、目立たないわけがない。縮こまるように椅子に座っている彼女は、ずり落ちそうなリュックと手提げかばんを一生懸命膝に抱えて、一時間近く電車に揺られている。
そして、駅に着くとまた駅員に手を引かれて降りてゆくのだ。
「あの」
俺は思わず話しかけていた。何をやってるんだろう、と思ったときにはもう遅い。彼女は目をまん丸にして振り返る。「はい」と固い声で返してきた。……すごく緊張しているらしい。知らない男子高校生にいきなり話しかけられたんだから、当たり前か。
「どうかしたんですか」
とりあえず訊いてみた。すると彼女は、あいている右腕を上げて、目の前の木を指さした。
「あれ、見てたんです。きれいですよね」
彼女の方が少なくとも一歳は年上だろうに、なぜか敬語だ。そんなことを考えながら、俺は彼女の指を追った。電飾きらめく木。こんなに間近で見たのは今日がはじめてかもしれない。
「ええ、まあ」
きれいですよね、という言葉に、曖昧に返す。確かにきれいではあるけれど、なんというか地味だ、と思ってしまうのは見慣れているからなのかな。
彼女は俺の態度に気を悪くした風でもなく、指をついっと動かした。
「ぱっと見黄色っぽいんですけど、よく見ると緑や赤もあるんですよ」
「え?」
言われて俺は、木を注視してみた。……本当だ。黄色っぽい電飾に混じって、緑や赤の光が見える。やはりクリスマスツリーを意識しているのか。初めて気付いた。
俺が言うと、彼女は歯を見せて笑う。私、去年気付いたんです、と言う。
「よく見てるんですね。俺だったら、言われるまで絶対気付かないです」
「あはは……私、こういうのを観察するの好きなんですよ。別に大したことじゃなくて」
そういう人もいるんだなあ、俺が考えていると、彼女はどんどん暗くなっていく空を仰いだ。
「外のものを観察するのは面白いですよね。いろんなことに気付きます。近くのガソリンスタンドの、三角屋根の色が赤からピンクに変わってる、とか」
「へえっ、それも初耳」
三角屋根が見えるガソリンスタンド、といわれると一か所心当たりがある。今度見に行ってみようか。
彼女は俺の顔を見ていて、思うことがあったんだろうか。ちょっとためらいがちに言う。
「変化に気付くと、わくわくしませんか。この木もそうだけど」
俺は、突然の言葉にびっくりしたが、なんだか温かい気持ちになって笑った。
「そうですね。なんか、楽しくなってきました」
答えると、彼女は嬉しそうな顔をした。
ふいに、彼女が左腕を上げた。よく見ると手首に腕時計をしていた。女性がするにしてはいかついデジタル時計は、今が五時十五分であることを教えてくれている。
もうそんな時間か。
彼女も同じことを考えたようで、少し慌てて、俺に向かって頭を下げた。
「す、すみません。引きとめちゃって」
「あ、いえ。話しかけたの俺だし。こっちこそすみません」
謝り合戦をしてから、俺たちは別れる。駅前の横断歩道に向かって歩こうとしていた彼女が、いきなりぎこちない足取りで振り返った。そして、一言。
「それじゃ、また明日」
少し引きつったようにも見える笑顔でそう言って、青信号を走って渡っていく。黒いリュックが大きく左右に揺れているのを見送って、俺は苦笑した。
「まだ緊張しとったんかな。あの人」
それに、また明日って。
まさかあの人も、俺の顔を覚えていたのだろうか。そんなふうに考えて、すぐ首を振る。
「ないない」
なんだかんだで目立つ彼女と違って、こっちは学ランを着た有象無象の学生の一人だ。覚えているわけがない。
そう結論付けた俺も、彼女とは別の信号を渡ろうと、歩きだした。ふと、そびえ立つ駅を振りかえる。最近やたらと増えた旅行客が目について――視線は自然と、その上に向いた。
今まで見向きもしなかった、地味で、小さくて、けれど温かい電飾の光。
それが今は、ここにしかない特別なもののように思えていた。
11月の駅前で 蒼井七海 @7310-428
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