第2話 誰そ彼?

「聞いてよ、絢、此処だけの話をするよ、オラの家に、変な奴が来たんだ」

 寺子屋の帰り道、風呂敷に包んだ御筆と和紙を振り回していたタケが、急に絢に耳打ちした。城下町を抜けた田舎通りに差し掛かるところで、二人以外の誰もいなくなったのを機に、“秘密”を打ち明けるつもりらしい。




 普段なら、絢は無視をしていただろう。秘密は嫌いだ。守らなければならないのは面倒くさいし、二人だけのという特別な約を共有する相手としてタケは嫌だった。しかし、絢にも思い当たることがあったので、タケの話に付きあうことにした。家路の途中の団子茶屋に立ち寄り、二人の小遣いで一本だけのみたらし団子を買うと、茶屋から少し離れた小高い松の木の下で二人並んだ。花色の布が敷かれた特別席で、眺めがいい。旅人たちがここで楽しそうに話をするのをよく見かけていた。子供ながらに背伸びをするには丁度良かった。

「変なやつって、なぁに?」

 絢はみたらし団子を食べる前にタケに聞いた。タケは先に串の一番上の団子を咀嚼していたが、嚥下した後に絢に渡す。タケが話す番になったから、交代だ。こうやって交互に四つの団子を齧ろうと二人で決めた。

「昨日の夕方に、母ちゃんの使いで畑に出てたんだ。そしたら、あそこの富士山が橙に染まっててよ。キレーだなぁと思って見てたんだ。そしたら、」

 タケは一度言葉を詰まらせて俯いた。夏場でもないのに汗ばんだように見えるのは、冷や汗という不健康な類のものに違いない。神妙な面持ちを前に絢は眉を寄せた。団子が口に入っていたから、その先を促すには言葉ではなくて視線をくれるしかなく、じぃとタケを見つめる。

「富士山にな、骸骨がいたんだ!富士さんに凭れ掛かって寝れるほどにでけーんだぞ! 不気味に、ぬぼうってなもんで歩いてて!富士山の前を横切ったんだ! 」

「ひえ、……!」

 絢はもう少しで団子を詰まらせるところだったが、肩を跳ねさせて委縮するだけにとどまれた。落としそうになった団子も持ち直す。

「怖いよう……、縁起が悪いよ。富士山は、“不死“山から名が取られたって、おばばが言ってたのに……、骸骨なんて、死人みてぇでおっかねぇ」

「もしかしたら、骸骨がこの江戸に来てるって知らせる為に、富士山が染まって見せたのかもしれねぇぞ?」

「そうかなぁ? それなら今ごろ、お寺の和尚さんたちもてんやわんやになってるかもよ」

「オラの他に、見たやつがいねぇんだ! 一緒に畑に出てた爺やには見えなかった。けど鴉は騒ぐし、犬も啼き散らしてやがった。もしかしたらオラ以外に見えなかったのかもしれねぇ! 絢は骸骨、見なかったか?」

「……!」

 タケは団子もそっちのけで鼻息を荒げ、絢の顔を覗きこんだ。




 彼は誰そ? 聞いては成らぬ 成らぬぞよ

 逢魔が橋が掛かる時、決して渡るな 帰ってこれぬ




 あの日、白白明けの早朝にずっと自分に付き纏う「視線」があった。カラコロと下駄を鳴らし、「きゃん」と獣のような鳴き声を残して去っていった『こわいもの』との記憶が蘇る。何日かして、気のせいだったのではないかと思えるようになったのに、タケによって現実だと知らしめられた気分だ。絢はチラチラと団子とタケの顔を視線で往復し、結局は団子を齧ってごまかすことにした。

「骸骨なんて見てないよ。私はそういうこととは無関係なの」

「……本当か?」

「……」

 タケの訝し気なものを見るように絢に顔を近づけてくる。絢はとにかく団子に夢中になっているふりをした。ふりをしたがタケの顔はどんどん険しくなっていくばかりで、絢は少しずつタケに背を向けるように外側に身体を向けて行った。



「おおい!そこのチビたち。そろそろ店を閉めるよ。その縹色の布をこっちに持ってきておくれ。黄昏時になるからね、もうお帰り!」



 間を裂くように団子茶屋の女将の声が響いた。タケも絢も肩を跳ねさせてびくりと驚き、女将に視線をくれると、暖簾を下げている所だった。

「い、行こうよ。おっかさんが心配するから帰ろ!」

 絢は立ち上がり、尻の下に敷いていた花色の布を引っ張った。タケは多少の驚きと動揺を混ぜたような顔で困惑を態度に出しながら腰を上げ、絢が布を畳むのを見ていた。

 松の木の傍から離れて茶屋の女将に布を手渡すと、余った菓子を駄賃にくれた。タケと絢はそれを頬張りながら帰路に着くことにした。

「道中、気を付けるんだよ。夜道は暗くて何と出会うか分からないからね。知らない人には決して、声を掛けてはいけないよ」



 それが、この世のものとは限らないからね。



 絢は何処ともなしにそう聞こえたような気がして、そろりと後ろを振り返った。けれど背後には団子茶屋の女将が手を振って見送ってくれるだけで、何もいなかった。多少の怖い話を共有した後だったので、タケも絢もすんなりと女将の忠告を受け入れて帰路に踏み出す。



「そういえば、縹色って、花色のことか?」

「え?」

 タケの唐突な疑問に、絢は首を捻った。

「さっき、女将が縹色の布って言ったろ?絢はすぐに尻の下に敷いてた“花色の布”を 手に取ったじゃんか。絢はなんでも知ってるんだな!」

 絢はさらに首を捻った。

「知らないよ、でも布って言われたら、御尻の下に敷いてたあの布しかなかったじゃん。だからその布を女将に渡したんだよう。花色って、言うよねぇ。どっかの御国の方言かなぁ?」

「……ふうん」





 茜色の陽射しに染まる田舎道、絢もタケも振り返ることをしなかった。

 なんとなく、それが良いと思った。







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 2016年12月4日

 お題:縹色、誰そ彼、富士染まる、

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