月は朱いか 世は未だか 

領家るる

第1話 垣間見るのは

さっきからずっと、視線を感じる。



 昨日の夕方、空が橙色に染まって、尾張丘陵の合間に陽が沈んでから。一緒に遊んでいた隣の家のマツが夕飯だからと帰っていくのを見送った時、その視線に気づいた。ずっと、ずっと、庭の垣根の向こうから、こっちを見ていた。始めは隣の隣の家に住んでいるタケかと思ったから玄関から飛び出て垣根の向こうへ顔を出したのだけど、其処にはだぁれもいなかった。一面の田んぼが広がる、見遠しの良いだけが取り柄の道なのに。だけど下駄が鳴るからころという音だけは遠のいていくのが聞こえた。姿は見えないのにどうしてなの? 私は怖くなってもう一度沓石を踏んで居間に上がり、納戸の影に隠れて様子を伺うと、からころという音が戻ってきて、またこちらを覗く視線を感じるようになったのだ。おばばがやってきて納戸を閉めてしまったから、昨日はそれでおしまい。今日は、どうしてかとても早く起きてしまって、白白明けの頃だというのに布団から抜け出してちゃんちゃんこを羽織り、まだ暗い居間へとやってきた。締め切った居間は畳の匂いと仏壇の線香の香りが微妙に残り、光が入らないから仄暗い。そうっと、(外に誰かがいても気づかれないように)そうっと、足音を立てないように納戸の傍まで近寄ると、閉じた納戸の鍵穴が眼に着いた。少しだけ、其処を覗いてみようとして、腰を屈めると、鍵穴からすっと細長い何かが差し込まれてきた。

「っ!!」

 慌てて口を抑えたから声は聞こえなかった筈だけど、細い何かは動きを止めた。暗いから何か解らなかったけれど、細い何かはなにやら堅そうだ。やがてそれも引き抜かれて、からころと下駄の音がする。歩きまわっているようだ。

(これは、誰だろう?盗人かな?)

 とにかくとても怖かった。けど盗人なら昨日、姿を見つけることが出来た筈だ。だからこれはきっと人間ではなくて、犬や猫でもなくて、何かきっと『別の怖いもの』なんじゃないかと思った。きっと、怖いものだ。怖い、きっと、家の外をうろうろして、悪さをしようとしているんだ。からころからころ音がする。ずっと歩いて歩いて、次第にその音が止まった。私と納戸越しに向き合っている気がした。だって、視線を感じる。

「……、」

 どうしよう


 もしかして、ずっと私を襲おうとしてたの? 私に何か用なの? だけど『怖いもの』に用なんてないよ。私はそうっと後ずさりして、この場を去ろうと思った。すると障子が背中に触れてしまい、

「うわぁ!!!」

 がたん、ごとん、

 あまりにびっくりして飛び退いて、納戸を両手で叩き、ばん!と大きな音が響いた。そのまま膝から転んで、廊下に倒れて音がして、すぐに逃げられなくて納戸の向こうが怖かった。

(ここにいるのがばれちゃった!!)

 厳密にはもうばれてたのかもしれないけど、疑念ではなくなってしまった。それが怖くて、天井を見上げても何かが居そうで、涙目になって、心臓がきゅうっと締め上げられるみたいになって、

「わ――――――っっ!!」

とにかく大声を出してしまった。

「きゃうん!?」

 私の大声にびっくりしたからか、甲高い音が納戸の向こうから聞こえた。獣みたいな声だった。獣がいた、もしかして狐? 鼬? 怖くなって納戸をとにかく拳で叩くと、からころという音があっという間に遠のいていった。



「絢ちゃん!?何をしとるんだい!?」

 早朝だというのに暴れまわっている孫の処に大慌てでやってきたおばばにしがみ付いた。その後はもうよく解らなくてわんわん泣いて、頭が痛くなってその後は眠くなって寝た。



 不穏な視線のこと、獣みたいな鳴き声のこと、何かが差し込まれたこと、おばばに聞いた。それはもしかしたら『この世のものではない何か』かもしれないこと。『それら』は群れを成して、丘陵や山に引っ越してくること、『それら』は夕方になると、あの世とこの世に橋を架けて、好き勝手に出歩くこと。『視線のあいつ』はきっと、そういうものだったのだということ。


「いいかい、暫くは黄昏時に出歩いてはいけないよ。紅い橋を見かけても、絶対に渡ってはいけないよ、橋の向こうに誰がいても、だよ?」

 




彼は誰そ? 聞いては成らぬ 成らぬぞよ

逢魔が橋が掛かる時、決して渡るな 帰ってこれぬ

暫くは『何かと』共に、生きていかないといけない。





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2016年11月20日

お題:白白明け、垣間見、百鬼夜行

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