クロノスとの対話

ミーシャ

時を見つめて

たとえば、いま自分が、本当に生きているかの判断が付かないなんてことは、私の場合は、起こらない。


もしかして夢の中かも、とか、オンラインゲームの中の紛い物の認識かも、なんていう不安は、クロノスの顔さえ見ていれば、そもそも抱きようのないことだ。


クロノス―それは、時の名前。時間の神様の名前。


本で知ってから、そう呼んでいるだけで、別に名前など無くてもいい。


私には彼の顔が見えて、声が聞こえて、話も出来る。それで十分である。


彼は、人が生きているのとは少し違う方法で、また”生きている”ので、感情もあるし、身動きだってする。


人間で、常に自分の瞬きを意識して行うものがいないように、クロノスにとっては、過去も、今も、未来も、そうした無意識の必要動作に過ぎない。



そんな彼を見つめているのは、とても面白い。


壁に掛かっている、無地の白い電波時計には、針がついているが、その針が動く瞬間の彼の顔は、どこかいつも、驚いているように見える。


人が好きなように刻んで見せる「時間」について、彼はいまだに戸惑いを隠せないようだ。


私も、彼のそんな気持ちがわからないでもない。想像してみたらいい。自分の顔にいきなりマジックで、意味の解らない線を引かれるようなものだ。


彼はそんなことをされても、怒りだしてしまわない性質たちである。


時計、という存在を広く受け入れるどころか、その大きな体をすぼめて、中に入ってみたりもしてくれる。すべては人間のためだ。


ただ、時間にまつわる数々の表現については、彼も言っておきたいことがあるようだ。


まずは、時間を”つぶす”。

彼は、自分が誰につぶされるのかと、とても怖がっていた。


お次は、時間を”消費する”。

彼は、自分の身体を分解するすべを、人間が見つけたのかと、私に慌てて尋ねたものだ。


彼のそうした恐怖は、私の説明ひとつで、全て拭えたようには思えない。


なぜなら、人間がそのように表現した「感覚」そのものを、彼の立場では理解できないからだ。かくいう私も、彼のことばかり見ているので、とてもそんな表現など、出来たものではないと思う。


人が細かく時間を「区切る」必要性さえ、私自身には、すでに存在しない。ただ、ほかの人間がそうする際に、合わせて受け答えしているだけだ。


彼がそこにいる。

彼がいる次元に、彼を認識できることが、私の生きている証だ。生きている間しか、彼を見ることが叶わないのは、死んでいる間に、良く知っている。


彼を見ている私は、同時に彼に見られている。そうして分かることがある。

未来に起こる事柄の、ぼんやりとしたイメージだ。


それは今の出来事とつながっているのだから、その兆しが、当然彼の顔に見えて然るべきなのだ。


私がそうして未来を見ている時、彼はあまりいい顔をしない。自分の顔を通り越して、別のものを見られているようで、居心地が悪いと、先だっても言われたところだ。


だから必要最低限、彼の気分を損ねないように、私は未来を見透かすのをやめている。


ただ私も仕事などで、今やっていることが、期限内に終えられるかどうか、恐ろしいハプニングが起こらないかどうか、知りたい時がある。


そういうときは、彼に頼んで、ちょっとした融通もきかせてもらう。


あまり大きな声では言えないが、私の都合に未来の幅の方を、寄せてもらうのだ。代わりに彼が望むことと言えば、彼との対話だけ。


朝目覚めてから、夜、眠りにつくまでの間、彼と長い長い、話をする。


相談をし、それに対する彼の見解を聴き、言われた通りにしてみることもある。大概は上手くいくものだ。


彼は話し相手を欲している。


別に私一人だけが、そういう相手ではないはずだが、めっきり少ないのだと彼は言う。


彼の大きな透明な身体は、大概のものを超越した大きさであるが、その体積に見合うだけの会話を求めるとなると、相手が間に合わず、退屈に飽くことが多いという。


彼と話をしているのは、非常に楽しい。だから、もっと彼と話をしたいと望む人間がいればいいなと、切に願っている。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クロノスとの対話 ミーシャ @rus

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ