第5話 東京湾PSI刑務所暴動事件①

 午前8時。PSI取締局本部地下1階の武道場で、逮捕術の朝稽古を終えた翔子は素早く着替えを済ませると、急いで捜査課のフロアに向かった。

 取締局では、朝7時から1時間ほど自主トレーニングや武道の稽古を行い、8時15分から朝礼、8時半から勤務が開始される。

「失礼します」

 扉をノックして翔子が課長室に入る。

「ハア~……」

 深く長いため息をつきながら、椅子に腰掛けた袴田は翔子に視線を向ける。

「袴田課長、おはようございます。これより、東京湾PSI刑務所に向かい、PSI受刑者スカウト法にのっとり、日村光一を取締局エージェントにスカウトしてまいります」

「困るんだよねえ、ファリントン君。君も知ってるでしょう? 面談時間は9時からだって。昨日、君が『どうしても』って言うから、むこうに無理言って面談時間を早めてもらったんだからね」

 袴田は皮肉っぽく語った。

「ありがとうございます。助かりました」

「上から何か言われるってことは無いんだけどさあ、むこうの所長さんがどう思うか。エージェントのスカウト行為を円滑にするためにも、PSI刑務所とのパイプをしっかりとさあ。だから、ファリントン君、私の課長としての立場もよく考えて行動を――」

「時間が迫っておりますので、失礼します」

 翔子は敬礼すると、袴田の話の途中で課長室をあとにした。

「ハア~……」

 足早に退室していく翔子の背中を見つめ、袴田は再び深いため息をついた。


 取締局の敷地内にはヘリコプター用ハンガーが設置されており、それはPKによる襲撃にも十分に耐えうるよう設計され、対PK用として加工が施された非常に頑丈なものであった。ヘリの操縦士、整備士は取締局航空隊に所属し、主に犯人の捜索と追跡、PSI特別区の監視といった任務に当たっている。

 エレベーターから降りた翔子は、総務部の設置されている1階フロアを通過していく。時刻は午前8時15分、局員、職員は全員が朝礼に参加しており、人通りの無い1階に翔子の足音だけが響き渡っていた。

 外に出て、ハンガーへ向かう翔子に1人の女性が声をかけた。

「あの、すみません。アタシ、東京湾PSI刑務所矯正医官の藤島綾といいます。大事なお話があって来ました。捜査課は何階ですか?」

「捜査課は9階と10階です。まず、1階の総務部にある受付で、その旨お伝えください。担当者に取り次いでくれますから」

 翔子は歩みを止め、丁寧に説明した。

 綾は頭を下げてお礼を言い、局内へと入っていった。

――東京湾PSI刑務所の医官が大事な話って何だろう?

 翔子は今話していた綾の深刻な表情が気にかかり、局に戻って話を聞きたいという衝動に駆られたが、日村光一との面談が最優先事項であることを自らに言い聞かせ、ヘリのハンガーへと急いだ。


 午前8時30分。東京湾PSI刑務所の工場では受刑者たちが各自の持ち場につき、作業を行っていた。

 刑務所内で受刑者たちは必ず何らかの職に就いている。炊事業務、施設の修理、修繕を行う職業、受刑者たちの身の回りの世話をする仕事など、これらの職に就けるのは高学歴、あるいは知識、技術を有する者であり、受刑者の中でも限られたエリート、ごくわずかの成績優秀者である。受刑者の9割は一般生産工場で、木工、金工、紙工、縫製の作業を行っている。

 光一は、8時から面談室で待機させられていた。彼は手錠された両手を机の上で組み、仏頂面で貧乏揺すりを続けていた。

「なあ看守長。まだ来ねーんなら、工場行こうぜ。俺、今日中に仕上げたいんだよ」

「黙れ! 666番。お前は捜査官が到着するまで、待機だ。面談終了後、作業開始とする」

「あっ、そ。りょーかい、りょーかい」

 光一は投げやりに答えると、だるそうに首をグルグルと回した。

「失礼します」

 面談室の扉を開け、足早に入室してきた翔子が看守長に一礼して椅子に座った。

「あんた、何で俺の忠告無視すっかなあ? 今日はやめろって言ったろ?」

「おい! 貴様っ、捜査官に向かって――」

「看守長! 構いません」

 光一に掴みかかった看守長を翔子が制止する。

「し、しかし」

「看守長、すみませんが席を外していただけますか? 所長には許可をいただいております」

「そういうことでしたら、了解しました」

 看守長は敬礼すると、面談室を退室した。

 翔子が光一の瞳を真っ直ぐに見つめる。

「単刀直入に聞きます。あなたは『黙示録の獣』ですね?」

「……?」

 翔子の質問の意味が全く理解できず、光一はきょとんとした顔をする。

「あなたの受刑者番号、666は『獣の数字』です」

「えっと……風水かなんか? ラッキーナンバー的なやつ?」

 光一は返答に困り、とりあえず思いつきで聞き返した。

 彼の表情から、嘘をついたときの緊張や動揺の様子は見られない。目をそらさずに的外れな回答をする光一が、嘘をついている確率は極めて低いと翔子は判断し、同時に胸をなでおろした。

「私の勘違いでした。忘れてください」

「何じゃそりゃ!? って言うか、あんた今日は来るなって言っただろ!」

「あなたに、言いたいことがあります」

「わっ、シカトかよ? スカウトなら受けねーぞ。とにかく、あんたは早く取締局に帰れ。ここの矯正医官があんたに会いに行くはずだ」

 光一の話を聞いた翔子は驚いて立ち上がった。

「藤島綾さんですか?」

「あんた、なんでアヤちゃんの名前……。会ったのか?」

「今朝、局を出たところで」

「クソ! 早く戻れ! ここは受刑者たちが――」

 ドーーーーン!

 けたたましい爆発音が面談室にまで響いてきた。地震のような揺れが数秒続き、面談室の外では慌しく走る複数の足音が聞こえた。

「失礼します! B棟最上階が爆破されました。緊急時における危機管理マニュアルにのっとり、これよりファリントン2等捜査官には、一時的に避難をしていただきます」

 1人の看守が面談室に入ってきて、早口に伝えた。翔子は彼の指示に従い、光一とともに面談室をあとにした。

 看守は光一の腰と両手に縛ったロープを握り締め、小走りに先導していく。階段を下りる途中、消火器を手にした看守たちが何人も上の階に向かって通り過ぎていった。1階まで降りると、看守は地下フロアへと続く扉のロックを解除した。

「ファリントン捜査官、この下が防護シェルター兼緊急時のシステム制御室になっております。どうぞ」

 看守に促され、翔子が地下へと続く階段に足を踏み入れようとした瞬間、後方で何かがぶつかるような音と共に、息の詰まるような低い悲鳴が聞こえた。

 翔子が振り返ると、光一が馬乗りになり看守の首を締め付けていた。看守は苦しさに顔を歪ませながら、必死に抵抗していた。

「日村光一! 離れなさい!」

 ホルスターから拳銃を素早く引き抜き、翔子は大声で叫んだ。

 顔を上げた光一が何かを言おうとした刹那、抑えられていた看守が彼のわき腹を拳で打ちつけて跳ね除けた。看守は警棒を抜いて振り上げると、仰向けに倒れる光一の顔面にむかって叩き付けた。光一は手錠の金具部分で警棒を受け止め、ダメージを軽減させる。

「捜査官、早く撃ってください! こいつは過去に捜査官やエージェントを殺しています! 非常に危険な奴です!」

 看守はまるで脅すような声で翔子に呼びかけた。

 そして彼は、光一の手錠された両手をしっかりと押さえつけ、再び警棒を振り上げた。

 バーーーン!

 発砲音のあと、光一に馬乗りになっていた看守が崩れ落ちた。光一が上体を起こして立ち上がると、看守に銃口を向けた状態で翔子がゆっくりと近付いてきた。

「日村さん、ケガは?」

「お、おう。大したことない。でも、あんた何で――」

「一般職員の看守にロック解除の権限はありません。そして、彼は日村さんを『撃ってくれ』と言いました。刑務官としての発言に違和感をおぼえました」

 少し驚いた様子の光一に対して、翔子は淡々と答えた。

「しかし、よくそれだけの判断材料で俺を信用したなあ」

「日村さんを信用したわけではありません。看守の行動と言動から推測して、先ほどの爆破に関係している可能性が高いと判断しただけです。確率の問題です」

 翔子は冷静に語った。

「う~わっ。かわいくね~。あんた、彼氏いないだろ?」

「かっ、彼氏とか、今は関係ありませんからっ! それより、さっきの話の続きをちゃんと聞かせてください。藤島医官のこと、そしてここの受刑者がしようとしていること」

「わーったよ。移動しながら話す。こっちだ」

 横たわる看守からキーを奪い、器用に手錠を外した光一は、走りながら状況を説明した。

「だいたい把握しました。首謀者である受刑者に協力している、部長級の刑務官がいる。さらに、先ほどの看守が犯行におよんだことから、一般職員の中にも協力者がいるということですね?」

「そういうこった。俺は首謀者の顔と奴の雑居房を透視で確認してる。まずは刑務所の中枢機関に行く。奴らは制御システムを奪いに来るはずだからな」

「わかりました!」

 2人が刑務所中枢に向かって走る先に、数名の看守が警棒を構えて集まっていた。看守たちが警戒していたのは光一たちではなく、一般生産工場のゲートの奥であった。工場の中では怒鳴り声や叫び声が入り混じり、閉じられたゲートの扉に何かが激しくぶつかり、鈍い衝撃音が響き渡っていた。

「取締局の翔子・ファリントンです。状況は?」

「B棟が爆破された直後に、工場内で暴動が発生しました。1人の受刑者が刑務官を工具で殴打したのを皮切りに、次々と受刑者が暴れだして……」

 看守は顔をこわばらせながら、早口で話した。

「中にまだ刑務官がいるんですね? ゲートを開けてください!」

「し、しかし、主任が『何があっても開けるな』とおっしゃって、15名の刑務官と共に暴動の鎮圧を行っております」

「あんた、アホか? この第1工場で作業してる受刑者が何人いると思ってんだ! ここのロックシステムは指紋認証なんだぞ。主任がやられたら、すぐに突破されるぞ」

 光一がシビレを切らして口を挟んだ。

「貴様っ、受刑者の分際で――」

「彼は受刑者ですが、現在、私とペアを組むエージェントです。緊急時における取締局の危機管理マニュアルにのっとり、彼とエージェント仮契約を締結しました。私が責任を持って対処します! ゲートを開けてください」

「失礼しました。では、制御室に連絡をします。お待ちください」

 看守はバーチャルパッドを開き、テレビ電話で制御室に連絡をとった。

「何だよ、エージェント仮契約って。そんなもん、ねーだろ? クソ真面目なだけかと思ったら、あんたけっこう見掛けによらないな」

「ウソも方便です。現場では臨機応変な対応が重要ですから」

 真剣な顔の翔子がペロリと舌を出し、一瞬ニコッと微笑んだ。

「ゲート、開きますっ!」

 看守が大声で叫ぶと、対PSI特殊合金で造成されている分厚い扉が、スライドして開き始めた。

 パンッ、パンッ!

 工場ゲート前に2発の発砲音が響き渡った。翔子が頭上に向けて威嚇射撃を行ったのである。

「PSI取締局です。死刑希望の受刑者は出てきなさい! まずは、あなたですか?」

「ヒッ、ヒー! お、おい! 押すなあ! 俺はまだ死にたくないっ」

 先頭で意気込んでいた受刑者が情けない声を出しながら、後ろの受刑者たちを必死になって押し返した。翔子が拳銃を構えて近付くと、状況を理解した後方の受刑者たちも、どよめきながら後退した。暴動の鎮圧に当たっていた看守たちは、ボロボロになり倒れていた。かろうじて息のあるものも残っていたが、ほとんどの者が亡くなっていた。

「主任、しっかりしてください! 取締局の捜査官が増援してくれました。助かりますよ」

 看守が涙を流しながら、倒れている主任をゆっくり抱き起こした。主任の意識はしっかりしており、看守と目を合わせると何度も頷き、小さな声を振り絞って翔子にお礼を述べた。

「念のために、ロックシステムを制御室から切り離したほうがいい。パスワードも変更した上でな」

「そうですね。主任に提言します」

 光一が小声で伝えると、翔子は起き上がった主任に話をした。

 第1工場に受刑者たちを閉じ込めた状態でゲートはロックされ、制御室からコントロールができないようにシステムが切り離された。第1工場ゲート前に2名の看守が警戒のために残り、残りの者がけが人を連れて医務室へ向かった。

「第2と第3工場はどんな具合だって?」

「第2工場は何とか封鎖できたようです。第3工場は第1と同様、暴動で刑務官が負傷して、援護に入った刑務官が中に残っています。このままだと、第2工場ゲートは確実に突破されます」

 翔子は光一と並んで走りながら答えた。

「受刑者を所内に野放しにするわけにもいかねーしなっ! 行くぞ、ファリントンちゃん!」

「その呼び方、やめてくださいっ!」

 2人は叫びながら、第3工場に向かって加速した。


 第3工場ゲート前。暴徒と化した受刑者たちを相手に、看守たちは死に物狂いで抵抗を続けていた。中枢機関の最も近くに設置された工場であったため、B棟爆破事件後に多くの看守が暴動の鎮圧に駆けつけていた。しかし、受刑者の人数に圧倒された看守たちは多くの負傷者を出し、すでに数名の受刑者が工場のゲートを突破していた。看守の装備品である警棒は、取締局に配備されているものと同じ対PSI特殊警棒である。PSIの能力を停止させ、身体機能を麻痺させる効果がある。PSI刑務所内は基本的に看守の装備は警棒のみであり、工場内の工具を武器として手にした受刑者たちに苦戦を強いられていた。

「中村主任、ゲートをロックしてください! これ以上、受刑者が出てきたらもちません!」

「耐えるんだ、佐藤! まだ中に負傷者が残っている!」

 看守主任の中村宏は、ハンマーを振り回す受刑者に応戦しながら叫んだ。

 さらにもう1人、外にでてきた受刑者が長い角材を中村に向かって振り上げた。

 パーーーン!

 1発の銃声が第3工場ゲート前に轟き、受刑者の握る角材を打ち抜き粉々にした。

 ゲートを突破して外に出てきた受刑者たちの顔色が変わる。

「PSI取締局です! 両手を頭の後ろに組んで、工場の中にゆっくりと戻りなさい!」

 翔子の警告に対して、すっかり意気消沈した彼らは素直に従った。

「捜査官、ありがとうございます。正直、もうダメかと思いました。佐藤、負傷者の手当てだ! 急げ!」

「了解!」

 中村は礼を言うと部下に指示を出し、佐藤をはじめとするゲート前の看守たちが工場内に残った看守たちの手当てに動いた。重傷者多数であったものの、幸い死亡者はいなかった。

 看守全員が外に出たのを確認した中村は、ゲートロックの指紋認証を行った。分厚い扉がゆっくりとスライドして閉じていく。あと隙間は、人1人分の間隔まで扉が閉じたそのとき。1人の受刑者がゲートに向かって突進した。彼は扉の隙間を間一髪で通過すると、その勢いのまましなやかに1回転して立ち上がった。背が高く、細身の男だった。すかさず看守たちが、警棒を構えて彼を取り囲む。翔子は拳銃の照準を男に合わせ、ゆっくりと近付いた。

「両手を頭の後ろに組んで、その場に座りなさい!」

「ヘッ、ヘッ、へッ。クる。もうすぐだ。クるぞっ」

 翔子の警告を無視した男は、立ったまま薄気味悪い笑みを浮かべ、斜め上を見上げた。

――なぜ1人でリスクを冒して外に出てきた?能力が使えない状態でこの人数相手にどうするつもりだ?

 疑問を感じると同時に妙な胸騒ぎがした光一は、無意識のうち翔子をかばうかのようにして彼女の前に立った。

「ちょ、ちょっと日村さん、邪魔です」

「前に出るな!」

 厳しい声を発した光一に驚き、翔子は体の動きを止める。

「こいつ、どうかしてるのか?」

「構わん! 捕縛しろ!」

「了解!」

 中村の指令で4人の看守がゆっくりと男に近づく。

「やめろ! そいつに触れるなっ」

 光一が叫ぶ。

「キタッ、キタキタキターーー!」

 男が甲高い雄叫びを上げた瞬間、彼に掴みかかった看守たちの頭部から炎が上がった。4人の看守は、皮膚が焦がされていく痛みと熱さに悶絶しながら地べたを転がりまわり、やがて動かなくなった。

「あんたら、早く逃げろっ。ほら、あんたも来い!」

「い、痛っ。ちょっと日村さん!」

 光一は翔子の腕を強く握り、走り始めた。

「ヘッ、ヘッ、ヘッ。追いかけっこかい? 僕が鬼だね。捕まったら燃やされちゃうよ~」

 男はおもちゃを与えられた子供のように喜び、笑いながら翔子と光一を追った。

「パイロキネシスだ! クソったれ」

「4人を同時発火させたということは、ランクB以上です」

「いや。ありゃPKやパイロキネシス特有の防御反応だ。ランクBならもっと火力も高いし、この距離なら俺たちは射程範囲内だ。とっくに燃やされてるさ」

 チラリと後方を確認しながら光一は言った。

「受刑者の能力が開放されたということは、すでに中枢機関は……」

「まだ、工場ゲートは閉じられたままだった。PSI制御システムは掌握された可能性が高いが、所内のセキュリティシステムはまだ生きてる! まずは、後ろの発火バカを片付けてからだ!」

 光一は走りながら、後方を親指で指し示した。

「了解です! あの、日村さん」

「ん? 奴を倒す方法か? それは――」

「い、いえ。そろそろ放していただいてもいいですか? 走りづらいです」

「あっ、ワリい、ワリい」

 恥ずかしそうにつぶやいた翔子に謝り、光一はもう一度後ろの発火能力者を目視すると、少しスピードを上げ、彼女を先導するように少し前を走り始めた。

 職員食堂に飛び込んだ2人は厨房に入り、カウンターの影に身を隠した。

「ここから射撃するつもりですか? 近距離ならば、銃弾が焼き尽くされる前に着弾する可能性はあります。距離をとれば安全性は高まりますが、成功率が下がります」

「俺がいつ、銃撃で奴を倒すって言ったよ? まあ、聞きな」

 光一は自信たっぷりに作戦を語って聞かせた。そして2人はパイロキネシスを撃退する準備に取り掛かる。

「鬼ごっこの次は、かくれんぼかい? 見つかったら燃やされちゃうよ~」

 男は食堂を見渡すと、厨房に向かって歩き始めた。カウンターの前で歩みを止め、厨房の中を見回す。静まり返った厨房内の奥、食材倉庫の方で物音がした。男が厨房に入り、食材倉庫の扉に手を伸ばした瞬間、シンクの影に隠れていた翔子が立ち上がり発砲した。しかし、全ての銃弾は男の体に着弾する前に焼かれ、燃え残りの小さなカスと化した弾頭が彼の体に当たって空しく落下した。

「ん~、惜しい。実に惜しい。僕の気をそらしての射撃はいい考えだ。でも、こんな近くからじゃ気づかれちゃうでしょ。僕はね、殺しで生計を立てていたんだ。ろくに訓練も積んでいない素人の能力バカどもとは違うんだよ」

「それなら、当たるまで撃つまでよ!」

 翔子は近付いてくる男に向かって発砲を続けた。銃声が食堂内にこだまし、翔子の足元に次々落下した薬きょうが転がる。

 カチッ、カチッ、カチッ。

 マガジンが空っぽになった拳銃から、引き金を引くたびに撃鉄の空しい音が発せられた。翔子は無我夢中で手当たり次第に近くにある調理器具を手に取り、目前に迫る男に向かって投げつける。

「取締局の捜査官が調理器具を投げて悪あがきとは、情けない話だね。どうせ、君に注意を引かせておいて、日村光一が不意打ちを狙うって作戦なんだろ? おい、日村! 隠れてないで出て来いよ!」

 男が声を張り上げた直後、食材倉庫から光一が飛び出してきた。

「うりゃあああ!」

 光一は持っていた小麦粉の大袋を男の頭上に向かって投げつけた。素早くマガジンを交換してスライドを引いた翔子は、袋を狙って引き金を引いた。撃ち抜かれて破裂した袋から飛び散った小麦粉をかぶり、真っ白になった男は苦しそうに咳き込んだ。20キロの業務用小麦粉が撒き散らされ、厨房内は霞がかかったように白い煙で充満した。

「日村さん、早く!」

「おうよ」

 2人は厨房のカウンターを勢い良く飛び越え、出口に向かって走った。

「ヘッ、ヘッ、へッ。揃いも揃って、子供じみた戦い方しか出来ないんだな。捜査官とエージェントを殺った男って聞いて期待してたが、がっかりだよ。お嬢さん、逃げても無駄だよ。君は僕に見つかって、丸焦げになるんだ」

「丸焦げになるのは、あなたの方よ」

 出口まできて立ち止まった翔子は振り返り、男に向けて拳銃を構えた。

「僕に認識された射撃は無駄なんだよ。弾は全て焼き尽くすからね。なんで学習できないかなあ?」

「ファイアッ!」

 パンッ、パンッ、パンッ、パンッ!

 翔子が拳銃を連射する。

 男は向かってくる銃弾を発火させて無力化していく。焼き焦がされてチリのようになった弾は、威力を失い彼の体に触れては粉砕されていく。

「ヘッ、へッ、へッ。弾が切れてから、君がどんな顔で絶望するのか楽しみ――」

 ドッーーーーーン!

 爆発音と共に厨房内が炎に包まれた。翔子と光一のところまで熱風が吹き、2人は慌てて食堂から出ると扉を閉めた。食堂内はスプリンクラーが作動して、炎上はすぐにおさまった。

「うまくいきましたね」

「そうだな」

 2人は顔を見合わせ、安堵の様子で微笑んだ。

「粉塵爆発なんて、よく思いつきましたね」

「粉塵が大気中に浮遊した状態で、十分な酸素と着火元といった条件が揃えば爆発が起こる。可燃物、危険物と認識されてない小麦粉や砂糖などの食品でも爆発を引き起こす。ガキの頃よく親に教わったんだ。なんか、やたらと雑学聞かせたがる親でな」

 光一は懐かしそうに話した。

「相手の能力を逆手にとって、アタックに転じるなんて驚きました」

「いや、俺の方が驚いたぜ! あんたにオタク趣味があったなんてな」

「ハ? オタク?」

 まったく身に覚えの無い翔子は半ば呆れた様子で聞き返した。

「いやあ、だってさっき、あんた叫んでたろ? 『ファイヤー!』って。あれ、魔法の呪文とか必殺技っぽいやつだろ? アニメか何か?」

「英語で『発砲開始』という意味です。ちなみに発音間違ってますから。粉塵爆発の知識を戦闘で応用できる人が、どうしてこんな簡単なワードを知らないんですか!」

「あ~、まあ、雰囲気的にどっちも似たようなもんだな。うっし、次はPSI制御システムの奪還だ! 行くぞ、ファリントンちゃん!」

「だからっ、その呼び方やめてください!」

 意気込む光一に対して翔子は不服そうに大声を上げ、2人は刑務所中枢機関へ向かって並んで走り出した。

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PSI取締局捜査官 日ノ光 @hinohikari

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