第4話 彼の決意と彼女の疑念

 みそら銀行東府中支店の店内では、無断で持ち場を離れた翔子について、班長である美和が責任追及されていた。

「たかつき~、お前んとこの班員はこんな簡単な任務も遂行できないのかあ?」

「すみません。班長である私の責任です」

「そんなことは分かってるんだよ。どう責任を取るのか? それを聞いているんだよ」

「本当に申し訳ありません」

 ネチネチとイヤミったらしく叱責を続ける2班班長のトオルに対し、美和はひたすら頭を下げ続ける。

「おい! いい加減にしろよっ。班長はちゃんと謝ってんじゃねーかっ!」

 亮二がトオルに詰め寄り、声を荒げながら彼をにらみつけた。トオルは全くひるまずに、にらみ返しながら亮二の胸ぐらを掴んだ。

「貴様っ、何様のつもりだ? エージェントの分際で、捜査官に向かってその口の聞き方は何だ? この場で抹殺処分にしてやろうか?」

「リョウ君! 戻って!」

「亮二っ! 戻りなさい」

 トオルに対抗する姿勢を崩さない亮二を良子と麗華が制止した。

「リョウ君、ありがと。私は平気だから戻って」

 美和が小声でささやくと、亮二は小さくうなずき、しぶしぶ良子たちのところに戻った。

「おいっ、貴様! 謝罪はどうした? 床に額をこすりつけて、今の発言を撤回しろ。そうすれば今回のことは不問にしてやる」

「クっ、クソ」

「ん? 何か言ったか? 俺が寛容な上司であったことに感謝するんだな。ほら、早くしろ!」

 トオルはわざとらしく大きな声を出した。店内の捜査官やエージェント、鑑識たちがいっせいに2人に注目した。

 亮二が悔しさで顔を歪ませながら、床に両膝をついたそのとき。

「小松さんが謝罪する必要性は皆無です!」

 息を切らして翔子が駆けつけた。

「翔子!」

「ファリントン2等! もう、ヒヤヒヤさせないでくださいよ~」

「高月さん、西村さん、すみません。柏木さんと小松さんも、ご迷惑おかけしました」

 翔子は、4人に対して深く頭を下げた。

 そして床に膝をついている亮二の腕を掴み、立ち上がらせる。

「これはこれは、ファリントン捜査官じゃないですか。今までどこで何をしていたか、説明していただこうか」

「不審な男を発見し、職質をかけていました」

「で、その不審者とやらはPSIだったのですか? 事件との関連性は?」

「職質の最中に逃げられました。ファインダーの探知には反応無し。事件との関連性は現段階で、はっきりしたことは言えません」

「任務放棄してまで優先させる事項とは、到底考えられない。結局その不審者とやらもおおよそ事件に関係あるとは思えない。犯人が現場に戻るなんて、フッ。ドラマの見すぎだな」

 トオルは鼻で笑うと、バカにするように翔子を見下した。

「不審者が犯人だと、私は一言も言っていませんが?」

「グっ! と、とにかく、任務を放棄して単独行動に及んだ事実に変わりは無い。君は――」

「私が警備から離脱したことにより、何か重大な影響がありましたか? 捜査に直接的な迷惑をかけましたか? 答えてください」

 翔子はトオルの話をさえぎり、強い口調で尋ねた。

「そっ、それは……」

「何ら問題はなかったといことで、解釈しても構いませんね?」

「クっ……」

 トオルは言い返すこともできずに言葉に詰まり、悔しそうに下を向いた。

 その様子を見た亮二がすがすがしい様子で嬉しそうに笑みを浮かべ、隣の良子に肘でわき腹を突かれて注意されていた。

「もう、いいですか? 不審者について報告書をまとめたいので」

「おっ、俺が言いたいのは、任務放棄したこと自体に重大な問題があるということだ! 組織の中で命令無視が許されては、捜査に致命的なミスが生じることになるんだ! 今回は運よく何も起きなかっただけだ。この責任はとってもらうぞ、高月班長」

 矛先を美和に戻したトオルは、威勢のよさを取り戻しつつ声を荒げた。

「高月さんに責任はありません」

「ハア? 高月は君の所属班の班長だ。班員の不始末の責任をとるのは班長の責務だろう」

 トオルは勝ち誇ったような表情で言った。

「私は高月班の班員ではありません」

「ハっ、ハア?」

「戻る途中で本部に連絡して、袴田課長から許可をもらいました。3等級以上の捜査官は自らの班を創設することが許されています。午後2時10分をもって、私、翔子・ファリントンは捜査課12班班長の辞令を受けました」

 翔子の急な話に、美和をはじめ、高月班のメンバー全員が驚きの声を上げた。

「翔子、あなたなぜ?」

「と、いうわけなので、高月さんが責任をとる必要はありません。そうですよね? 松尾班長」

「クっ~! では、君はどう責任をとるつもりなんだ?」

「立て続けに事件が発生している今、そんなことに時間を割いている場合ではないと思いますが? 私は職質から逃亡した不審者が事件に関係している可能性が高いと見ています。私、12班が事件を解決します! 犯人逮捕できなければ、退官させていただきます!」

 翔子の発言を聞いた高月班のメンバーから、再び驚嘆の声が漏れた。

「フン。いいだろう。このことは課長に報告させてもらう。たった1人で何ができるか、楽しみだな」

 トオルは捨て台詞を吐くと翔子をにらみつけ、両手をポケットに突っ込み、その場を立ち去った。

「ファリントン2等~、今の話……」

「翔子、本気なの?」

 良子は泣きそうな顔で、美和は不安な表情で尋ねる。

「これが今、私のできるベストです。そもそも私の単独行動が招いたことですから。皆さんに迷惑はかけられません」

「そんな、水臭いっすよ!」

「班長、私が一時的にファリントン捜査官とペアを組みます。事件解決後に2人で2班に戻れば問題ありません」

「柏木さん、ありがとうございます。でも、2班が松尾班のサポートに入った状態でそれは出来ません。松尾さんが許すはずありませんから」

 翔子は苦笑いしながら答えた。

「危険すぎる! 1人で捜査なんてダメよ、翔子」

「高月さん、ごめんなさい。無茶はしないと約束します。危険をともなう場合は必ず連絡します。そのときは、お願いします」

 翔子が頭を下げると、美和は深いため息をついた。

 高月班に暗いムードが漂う中、現場検証中の鑑識員の1人が大声を上げた。

「残留思念、読み取り成功しましたっ! 『黙示録の獣』というワードを読み取りました!」

 捜査員たちの間でどよめきが起こった。残留思念の読み取りに成功することはまれである。人の強い思いや、何度も口にされた言葉がその場に思念として残ることがある。

 トオルの指示を受けた捜査員たちが、『黙示録の獣』というワードについて聞き込みや検索を開始した。

――『黙示録の獣』はヨハネの黙示録に出てくる獣のこと。獣は、当時キリスト教を弾圧していたローマ帝国と皇帝を表してる。つまり、犯人の残留思念にあった獣は、彼らとつながりのある誰かを表してる? ……獣が表すのは……。

 腕を組み、眉間にシワを寄せて考え込む翔子の顔を良子が覗き込む。

「ファリントン2等、どうしたんですかあ? めちゃくちゃ難しい計算してるみたいな顔ですよお」

「西村補佐官、なんスかその例え。計算って。捜査官は、犯人を推理してるんスよ」

――計算? ……数字、獣の数字! 『黙示録の獣』は数字で表されてる。たしか、666。この数字が犯人とつながる誰かを……!?

 翔子の記憶力はずば抜けている。彼女は昨日、東京湾PSI刑務所で読み上げた調書の一文を鮮烈に思い出していた。

――受刑者番号666番、日村光一!そんな、彼が事件と関与しているの!?

 疑念は、みるみるうちに翔子の心を支配していった。

――彼もきっと嘘をつく。僕と同じようにね。そのとき翔子、君はどうする?

 翔子の頭の中で、プロデューサーと名乗った男の最後の言葉が何度も繰り返された。


 東京湾PSI刑務所、医務室では昼の休憩時間終了間際に運び込まれた日村光一が意識を取り戻した。

「イテテテ。あー。アヤちゃん、ここはどこ? 俺は誰? アヤちゃんの電話番号は?」

 光一は包帯の巻かれた頭部、額を押さえながら上半身を起こして尋ねた。

「それだけ話せれば心配ないわね。っていうか、アタシの番号聞いても日村君、連絡できないじゃない」

 東京湾PSI刑務所の医師、矯正医官を務める藤島綾は呆れた顔で言った。

「そこは愛の力で何とかするさ! で、今何時?」

「はいはい。2時20分よ」

 アヤは腕時計を確認して答えた。

「なあ、先生。今日うちに帰ってくれないか? で、明日は休んでほしい」

「なに急に真面目な声出しちゃって。気持ち悪いなあ。やっぱり、脳に後遺症あったりして。検査やり直す?」

 笑いながら茶化すアヤの目を光一は真っ直ぐに見つめた。

「いや、マジな話だ。明日、所内で暴動が起こる。おそらく看守は全員制圧される。そんな所に先生がいてみろ。ただじゃあすまねえ」

「日村君、本当なのその話? アタシ以外の誰かに話した?」

「看守は信用できない。主犯グループに協力している刑務官がいる。しかも部長クラスのな」

「そんなっ!」

 綾は驚愕して両手で口を覆った。大きく目を見開き、光一を見つめる。

「先生に頼みがある。PSI取締局本部のファリントン2等捜査官に連絡をとってほしい」

「無理よ。日村君だって知ってるでしょ? 刑務所職員のアタシたちが着けてるウォッチPCは外部に接続できないのよ。プライベート用は帰宅時にしか返還してもらえないし……」

「だから今日、帰ってほしいんだ! 矯正医官のアヤちゃんの話なら、取締局も信じてくれるはずだ!」

 光一は語気を強め、綾の両肩を掴んだ。懇願する光一を綾は困った表情で見つめた。

「今日は無理だけど……。交替の医官の都合がつけば、明日の朝には可能かも知れない」

「そうか、良かった。連絡するのは、取締局のファリントン2等だ。頼むよ、先生」

「あなたは? 日村君はどうするの?」

 綾は心配そうに光一を見た。

「俺のやるべきことをやるさ。こう見えても一応ランクAの能力者だしな。それにアヤちゃんの愛の力もある」

「ふふふっ。ランクAはありだけど、最後のは無いわ~」

 緊張の解けたアヤが笑顔を見せた。

 鉄格子が取り付けられた医務室の窓からはグラウンドが見える。すっかり花が散って青々とした葉が茂り、新緑の季節を実感させる桜の木々の枝が揺れている。少し風が強くなってきた。春の風が医務室の窓をカタカタと振動させる。

 窓の外に視線を向けていた光一は、静かに目を閉じると拳をギュッと握り締めた――。

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