その武士、幼女と遊ぶ

浅井

第1話

「わぁ、みはるの路利近さんだぁ。こんにちわ~」

「何度も言わすでない、拙者は三春藩中屋敷勤めの路利左近であると」


 秋の深まる11月。なぜ、私がこうして年端もいかない娘と挨拶をしているのかは分からない。

 同僚の辺戸蔵人の愚痴を御猪口を傾けながら日を越すまで聞き、へろへろになりながら長屋へと戻った後に、明日の出仕のためにと仮眠を取ったらこうなった次第である。

 自分で言うのもなんだが、頭の出来はいい方だと思っている。

 だからこそ、目の前で起きている光景を受け入れることもできた。

 まぁきっと、これも夢なのだろう。

 昨晩の深酒が過ぎ、江戸で見知った四方山話が組み合わさって、こうした意味不明な世界が出来上がったのだろう、と。

 目の前にいる幼女は、何度も何度も背伸びをしながら私の顔をまじまじと見つめていた。

 年齢は10に届かないぐらいか。枯れ草色の外套に、やけに体の線に近い形状の衣服を身につけている。


「路利さん、路利さん、そんな格好であまり辺りをうろついてはいけませんって。髪型だってそのままなんだし」


 背後から声がした。袴を翻しながら踵を返すと、見知った顔がいた。


「飯岡殿でしたか。気が付きませなんだ。これは失敬」

「なんで公園にいるんですか。さっきまでウチで寝てたのに。何度も言っていますけど、その刀だって危ないですって。模造刀だって銃刀法違反に当たるんですよ」


 名前までさっと出て来た。まるで、幼少の頃から同じ道場で剣を交じわせた仲のように、パッと出て来た。

 何度見ても好青年である。背丈は5尺8寸に届かないほどか。毛唐のような赤茶色の髪色をした美男子で、屋敷近くにある増上寺前の茶屋で売り子でもすれば、そこいらの町娘達がこぞって行列を作るに違いない。願わくばこういう顔に生まれたかった。


「やはり、刀は武士の心。こればかりはなんとも」

「んなこと言ってないで帰りますよ。ほら、あそこの警官もこっち見てますし」


 飯岡の差した指先には不可思議な白い台車に乗った青色の衣服をまとった男がいた。

 台車の後ろにはみょうちくりんな文字が黄色い文字。万物に


「あの者は、一体……」

「んな神妙な顔したって面白くともなんともないですよ。アレは警察ですから。まぁ、路利さんに合わせて武士っぽく言えば、なんだろう、奉行所、みたいな?」

「ほらほら、お侍さん、鬼ごっこしようって」


 羽織りの裾を引っ張っている。両耳元の斜め上で長い髪を結っていた。私を誘おうとぴょんぴょんと跳ねまわる姿は、故郷三春の地の牧場を思い起こさせた。

 思えば、向こう十数年は帰っていない。父上や母上、兄上は国許で御家に尽くしているのだろうか。

 郷愁に耽ったのはほんの一瞬。やはり帰りたくなどない。

 磐城の中ほどにある三春の地は、江戸の流行に染まった私にとってはあまりにも古臭すぎる。

 江戸ではつい先年、滝沢馬琴先生の『南総里見八犬伝』が完結したのが話題となっていたのに、それと同時期に届いた母親からの便りでは『こちらでは浮世絵なる物が流行っております』と書かれていた。

 あまりにも次元が低い。母からの心のこもった便りは心に染みたが、やはり三春の文化は古臭く、遅れている。そう思わざるを得ない。


「ほら、お侍さんが鬼だよ」


 そんな私の感傷を彼の幼女が知る由も無い。

 逃げる幼女に、追う侍一人。

 上下左右に揺れる結った髪は、やはり故郷の三春駒を思い出させた。

 剣術の稽古でよく牧場へと出かけて、まだまだ幼い馬子と野や川を駆けずり回ったものだ。

 子といえどもやはり馬。私がいくら駆けても追い付くことはかなわなかった。悔しさのあまり、原っぱの真ん中で辺戸と共に泣いたのも懐かしく思う。

 私が追いかける幼女の髪型は追い掛けた馬の尾っぽによく似ている。

 とはいえ、大人と子供。彼の幼女の背中を触ることなどは容易かった。


「捕まっちゃったぁ~、ほら、お侍さん逃げて!」


 これは痛快。ついさっきまではピュウと吹く秋風に身を震わせていた訳だが、今ではなんてことは無い。

 いつの間にか飯岡も鬼ごっこに混じっていた。多分、寒かったからなのだろう。彼の幼女から逃げ回っていた。

 逃げきろうと思えば簡単にできる。しかし、あくまでも遊びである。


「いやぁ、走ると疲れますね。路利さんは何か飲みますか」

「それでは、煎茶を頼む」

「ああ、分かりました。みはるちゃんは何飲みたい?」

「えっとねぇ、甘いヤツ!」


 果たして甘いヤツとはなんなのだろうか。男前の飯岡は困ったように笑いながら公園の隅へと走って行った。

 置かれていた座椅子に腰かけた。やはり冷たい。

 尻に敷く物が無い分、こればかりは仕方無いのかもしれないが。

 ふぅ、と一息ついて天を仰いだ。

 高い建物群に囲まれた緑地の空は酷く狭い。更に冷たい。


「やはり、故郷の三春の空が……」


 ……いやいや。長い江戸暮らしで心が消耗してしまったのかもしれない。

 かと言って故郷に還るなんて道は、まずない。江戸で妻をもらい、その先数代までここで暮らすと決めた。そうやって故郷を捨てたはずだ。


「どうしたのお侍さん。私のことよんだ?」


 そう言えば、この幼女の名前も“みはる”だったか。

 私の太ももの上ににちょこりと乗っかり、

 彼女の肩に両手に手を置いた。温かい。この寒さには人肌が一番ぬくく、優しい。

 それから首筋に手をやった。冷えた手に体をしゃくらせた。でも、顔はまんざらじゃない。楽しんでくれているんだろう。


「ちょっ、冷たいよぉ。ハハハ~」


 足をじたばたとさせる幼女を見て、ふと思った。

 彼女が穿いている黒いものはなんなのか、と。

 すらりと細い健康的な足にまとわりつくように、鈍い日差しを浴びて光沢する黒い布。

 ふくらはぎや太ももの部分は少々透けてやわ肌が見え隠れ。

 なんと面妖な。中屋敷で姫様が纏っていた絹とはまた違う光の弾き方、である。


「もし、つかぬ事を聞くが、そなたの穿いているソレはなんなのだ」


 私の言葉に幼女は首を傾げた。


「え? タイツだけど、何かついてる?」

「いや、そう言う訳ではない。ふと、気になってだな」

「そんなに似合わないかなぁ。どうでしょ」


 そう言うと私の目の前で幼女はくるりと一回転して見せた。

 似合うか、似合わないか、と言われえば答えに窮した。

 そもそもここいらの服装に馴染みが無いし、服や髪型の流行廃りも正直なところ興味が無い。

 かといってこういった質問に対する返事の仕方は心得ている。

 そんなような頭中での逡巡が、一瞬の間を相手に与えてしまった。

 そうなってしまった時、目の前で顔を赤らめていた幼女の惚気が潮のように引いてゆくのが見て取れた。


「そっかぁ、似合わないのかぁ。このタイツおかしかったかなぁ」

「いや、そんなことは無い。当世風に似合っている。それはこの路利左近が保証しよう」


 柄にもなく胸元を大きく叩いて言ってしまった。何と古臭く、田舎くさい仕草だろうか。

 それでも、時にはこういう返事が大事なのかもしれない。

 引いて行く彼女の潮は、空に満月が浮かんだかの如く、みちみちと満ちて行った。


「ほんとっ? あのね、みはるね、これから男の子とデートするんだ。このコーデで大丈夫だよね」

「そうともそうとも。貴殿に抜かりは無い。自信を持ってよろしい」


 作り笑顔を子供に見抜かれるほどヤワでは無い。

 この笑みで幼女は安心しきったらしい。

 あざといぐらいに「よかったぁ」と胸をなでおろすと再び私の太ももの上にちょこりと座り、今度は私の手を引いて自信の太ももに手を導いてくれた。


「お侍さんの手あったかいから、私もあったかいよ」


 にこっと歯を見せて微笑む彼女の笑顔は愛くるしい。

 だが、それ以上に私は愕然とした。

 タイツとかいう穿き物は、これほどまでにすべすべとしている物なのか。

 それでいて温かい。うっすらと見える地肌は、それ以上に輝いて見える。

 幼女は靴を脱いで足をぶらぶらとさせている。

 その脚先だってそうだ。なんてことの無い指先の動きも、この黒い外套を羽織るだけで、なんとまぁ、艶やかに見えるのか。

 吉原に持っていけば、間違いなく遊女も太夫も関係なく穿くことだろう。どこぞのお大尽は持参するかもしれない。


「ちょ、路利さん、何してんですか。んな、熱心に子供の足さすってたら警察きますよ、ほんとに」


 ハッと気が付くと、私は熱心の彼女の太ももをさすっていた。全く気が付かなかった。だが、この手触り感は記憶に刻まれた。

 両手に謎の筒を手にした飯岡が戻ってきた。

 なんともまぁ、間の悪い男だ。これが殿の楽しみを邪魔する下男であれば、そっこく切り捨てられていることだろう。悪運のいい奴め。

 幼女を下ろし、飯岡から筒をもらって何気なしに呑んだ。なるほど、これに茶が入っていたのか……





 と、ここで目が覚めた。

 バネ仕掛けのように布団から飛び起きると、そこは見慣れた長屋の一室。

 飯岡とか云う男も、みはるとか云う幼女もいない。ましてや、謎の木馬に乗った青い服の男も…… やはり夢なのだろう。

 散らばるのは脱ぎ捨てられた着流し。それでも、夢の最期に触っていたあのすべすべとした感触は忘れていない。はっきりと思いだせる。


「……辺戸だ。辺戸はどこか!」


 私はすぐに長屋を飛び出した。

 足袋一枚なので霜柱が足に突き刺さるように冷たい。

 それでも、すぐに辺戸の


「……朝からうるさいぞ路利左近。俺たちは非番じゃないか」

「思いついた。お前にしか成し得られない」


 眠そうにあくびをする辺戸だったが、私にはそんなことは関係ない。

 私は事の次第を全て話し、その彼が話を呑みこめたのは正午を過ぎてからだった。

 つまらなさそうに話を聞いていた辺戸も、この源内先生をも凌駕するであろう私の発想に、目を輝かせ始めた。


「やはり持つべきは幼馴染み、といったところか。面白い。協力しよう」

「助かる。かなり金は掛かると思うが、それでもいいか」

「ああ。これを世継ぎ様に穿かせよう。きっと温かいに違いない」

「いや、穿かせるのは姫様にだ。あのような健康的な体を守るにはちょうどいいからな」

「何を言うか。あのようにピッチリとした装束は男子(おのこ)へのものであろう。呆けたか路利近め」

「辺戸の癖にデカイ口を叩くな。私は直に見て来たのだ。やはり、あの光沢・触り心地は、穢れを知らぬ乙女に合うもの。分かっておらぬのは貴様だ辺戸野郎」


 胸ぐらを掴みそうになった。

 いや、既に掴んでいた。こめかみに青筋を立てる辺戸もやるきらしい。

 互いに不細工な面を近づけ合ってい隠しあっている。

 ほんのちょっと睨みあうと、俺たちは笑った。


「悪かったな辺戸。まずは作ってからだな。量産の暁には江戸中の子供らに穿かせてやろう」

「ああ。俺も血気に逸ってしまった。だがこれはいけるんじゃないのか。きっと、新しいずりねたになるに違いない」

「そうだ。そうだ。各々、抜かりなく、な」


 そして、私と辺戸が笑いあったその半年後には試作品の一号が完成した。

 しかし、私らが穿くことは躊躇われた。そうなると、誰かに穿いてもらうしかない。そうやって試着相手を探していて江戸・赤坂溜池辺りを歩いていた所の出来ごとだ。


「お主ら、子供を見つめてウロウロと、何をしている。『気持ちの悪い侍が黒い布地を持って歩いている』と番所に通報があったぞ」


 折り目の良く着いた黒羽織。腰には十手を差している。

 奉行所の同心だ。俺たちは顔を見合って逃げ出した。

 かなり、不審がられていたらしい。うかつであった。

 そもそも私たちは走りが遅い。駆けつけて来た番所の奴に捕らえられ、城中の北町奉行所へと連行された。


 ご公儀の沙汰は特になかった。ただただ歩いていただけであり、怖くなって逃げた。真実はそれだけのことだったので容疑は不問とされ、役人から謝罪されて後に解き放たれた。

 しかし、藩はそうはしなかった。

 結局、藩に掛けた迷惑料として俺たちは60日間の蟄居の上、国許への帰還命令が出た。要は左遷であり、その遠因に藩邸内での派閥争いがあった、とも聞いたが真偽のほどは定かではない。

 ともあれ私たちの江戸生活は不本意な形で幕を閉じた。

 手元に残ったのはわずかな金銭と10着ほどのタイツのみ。とりあえず持ち帰っては見たものの、ただ、目的である穿かせる相手が近い所にいない。

 国許に子供がいない訳ではない。タイツだけに穿いて捨てるほどいただろう。

 とはいってもなんたって田舎である。私たちがどういう理由で国許に還って来たのかが簡単に分かってしまう世間の狭さであった。子どもたちは当然近づかないし、興味を持って近づいてくる子がいないこともなかったが、親がそうはさせなかった。

 仕方が無いので母にあげたら『なんとまぁ温かい。これなら冬も楽しく過ごせそうです』と言われた。


 俺は泣いた。


 辺戸も同じように泣いたんだろう。似たような書簡が屋敷に届いた。

 そこで私は思った。


『この温かさは何も、幼女に穿かせるためにあるのではない。世の冷え症の女性らが温かく過ごすためにあるものだ』


 と。




 それから路利・辺戸の両名は故郷三春でやることも無いのでひたすらにタイツを編み、それを村々で冷え症に困る女性男性に配って歩いた。

 とはいえ、配っている連中が連中なのでまともに相手にされない。3年後、彼らはそのまま失意のまま三春で死去する。ともに享年36であった。辺戸の家は弟が、路利の家は従弟が継いだという。


路利の辞世の句:黒裾の 三春の原に 囲まれて いざ夢へ飛ぶ かの柔肌に

辺戸の辞世の句:懐かしき 磐城の山と 原の駒 我が谷間から 雁が飛び立つ





 そして、路利と辺戸が死んでから30年後に幕府が倒れる。後継の明治政府が海外文化を奨励すると、「三春のタイツ」が世に出回り日本を席巻。男子女子問わずに穿きだした。

 そして、来る黒船タイツ・ストッキングメーカーらと戦った、という話まだ先の話である。

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