七頁目 タイム・リミット
目の前にはユウキと薫がいた。そうだ、鍋をしていたんだ。なんだかとても長い夢を見ていた気がするのだが、どんな夢だったのだろうか。死にかけの脳みそが見せる仮初の現実で夢を見るのもおかしな話だった。
この世界ではユウキと薫が仲睦まじそうにしている。その現実は受け入れられないようで、彼女の結末を知っている僕だからこそ受け入れられる節はあった。僕と一緒にいたって彼女は死ぬ運命なんだ。だからユウキと一緒にいたほうがいい。そう強く思うことで、自分のほんとうの気持ちを誤魔化そうとしているのがわかった。
『悟、どうしたんだ?ボーっとして』
ユウキが思い耽っている僕に声をかけた。そして、
「少し、頭がいたいんだ」
再び、僕はこの世界に干渉することが出来た。だが、それすらももうどうでも良かった。頭が痛くて仕方がなかった。目が覚めてしまうような頭痛のおかげで、僕がいま走馬灯の中にいるということを思い出した。
『おいおい、風邪か?』
『大丈夫なの?休んだほうがいいんじゃない?』
ユウキと彼女の息はぴったりだった。まるで僕と過ごした時間が全てなかったことになってしまったような気がした。
「いや、大丈夫。あと少しだから」
『何が、あと少しなんだ?』
自分にしかわからないような言葉を残した。いまユウキと彼女の眼の前にいる、本当の僕ではない僕からの精一杯の皮肉だった。頭が割れるように痛く、視界が赤黒くにじみ、そして体が恐ろしく軽いもののように思えた。そうか、もうタイムリミットなんだ。そう直感した次の瞬間、僕は最初の映画館の一席に腰を下ろしていた。
近所のアダルト映画を専門に取り扱っている映画館に場所を移してから、体が楽になった。ふわふわと宙に浮いているようだった。まるで脳みそが溶けていき、意識が空気中の気体と混ざり合っていくような不思議な感覚だった。
そんな今までに体験したことのない感覚を味わうと、映画館の画面に光が灯った。そこに映っていたのは、真っ白なウェディングドレスを着た彼女と、タキシードスーツを身にまとったユウキの姿だった。
思い返してみれば、自分はずっと独りよがりだった。自分のためだけに彼女を救おうともがいて、そして自分勝手なワガママのせいで自分と彼女の未来を捨て、そして目の前に映るユウキと彼女の姿に嫉妬してしまっていた。
最初から最後まで、自分が原因で、自分が望んだ未来を自分の手で赤く塗りつぶしてしまっていたのだ。結局、生きている間にろくな事が出来なかった人間の人生なんてこんなものだ。死ぬ間際の数分で、自分の人生を都合のいいように改変するなんて無理な話だった。
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『健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?』
─はい。
─誓います。
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映画のスクリーンに映っていたのは、ユウキと彼女の結婚式だった。僕が見ることのできなかった彼女のウェディングドレス姿、死ぬ間際に見ることが出来て少し嬉しい気持ちになった。
相手が僕だろうと僕じゃなかろうと、彼女はあそこで死ぬ選択をせずに、生き抜くことを選んだのだ。それは相手がユウキだったからこそ出来た決断だろう。相手が僕のままだったら、きっと彼女は死ぬ運命から逃れられなかったに違いない。
彼女とユウキが結ばれる世界を受け入れそうになったその時、僕の中に一つの疑問が浮かんだ。
あれ?彼女と結ばれることのなかったあの世界の僕は、どうなったんだろう?
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『享年34歳。死因は、自殺。』
真っ白で無機質で、どうしようもないくらいに人工的な病院の一室の中に悟はいた。彼は、天井に繋がる茶色いロープにぶら下がり、体液を撒き散らして無様に死んでいた。
自殺を知った悟の家族が、悟の死体の前で泣きじゃくっている。どうして、どうして、ごめんね。うわ言のように口ずさんでいる。大切な息子が目の前で悲惨な姿になっていることに絶望を隠せないことだろう。
そして、部屋の中にはユウキと薫の姿があった。2人は、僕の机の上に置かれていた日記帳を手に取っていた。表面に「死ぬなら今だと思った」と記されたまるで遺書とも言えるような、日記帳だった。
日記帳の最後のページには、
「君の代わりに」
そう記されていた。
時速45キロの走馬灯 カレーは甘口派 @arukamiya
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