重なり合う区界

今南寛治

区を跨いでも逮捕されない、通行手形もいらない23区の区界


 都内を当てもなく散策することが好きだ、街の中心地は人いきれでどっと疲れが出てしまう。だから住宅街をそぞろ歩く、うらうらとした季節、草花たちは春を待ちかねていたように一斉に花を咲かせる。眺めると、私が一番美しいと言わんばかりに花冠の重さに頭を垂れあざとい自信が見え隠れする。美しさの中に貪欲なまでの毒気をまき散らし、あられもない姿で虫たちをおびき寄せ、昆虫たちとの契りを交わす。

“花は真昼間に太陽といとなみをする”詩人であり、批評家、翻訳者であったルードルフ・ボルヒャルトの言葉だ。花と庭と人間の交感の諸相を隈なく描いた、まさしく古今に類例をみない人物だ。花は生きる場所を定められている代わりに、だからこそあらゆる地上の生物の内でもっとも移動しなくてはならない。夢と記憶、願望と様相、そして比喩と象徴の様相を呈した希有な作家である。このようなことを書けるのも馬齢を過ぎてからである、花を愛でることなどまったく関心がなかった、花に一瞥し、じっと花弁を観る、生々しいと思った。街中から少し外れると小さな”庭園”がいくつもある、暗渠となった遊歩道に咲く草花、コンクリートの割れ目から抜け出す強靱な花、塀を浸食するかのように生える花、我を忘れて見入ってしまう。妖艶で色香に包まれた美しさに、なぜ気付かなかったのだろうと今頃になって思うのだ。

その時、ふと気付いたことがある。普段は目もくれない住居表示板、この表示板を見る機会があるとすれば、初めて訪ねる家ぐらいだろう。スマホやカーナビが幅を利かせているとはいえ、最終的には住居表示板が決め手となる。よほどマニアでない限り住居表示板を見ることなどない、それくらい忘れ去られた存在なのだ。例えば渋谷区を歩くとする、すると他の区が重なり合って境がどこか見当たらないことがある、気にも留めなかったが都内23区には不思議な空間が存在していたことに驚く。区によっては住居表示が2区隣り合っているものもあったりする、これはまさしくトマソンやマンホールの蓋、看板などを発見し考察する、赤瀬川源平をリーダーとした”路上観察学会”張りの出来事だ。さしずめ”区界(くざかい)学会”とでも名付けてみようか。それを楽しむには1人ではつまらない、南伸坊、飯村昭彦、鈴木剛、田中ちひろ、森伸之と言ったニッチな仲間が欲しいものだ。

 世界に目をむけば、国境での争いが後を絶たない、今や1つの国が分断されようとしている国もあるなんと嘆かわしいことだろう。ひいては自国の領土でありながら、第三国が強権を発し我が国の領土だと主張し脅かす国もある。そこへ来ると23区の区界は何事も起こらず、ましてや領土奪還などと口を尖らせることもない平和な共存共栄の区界だ。区を跨いでも逮捕されることもなく、江戸時代の関所のように通行手形もいらない、安心して往来ができる23区の区界である。

 ネットで区界と検索すると、岩手県はJR東日本の山田線に区界駅にヒットした、何か意味ありげな駅名に誘われ謂われを調べてみたが何も記されていなかった。県境なら分かるが区界とは、これまた妙なネーミングであった。

東京都の境界線を一周351km、名古屋に匹敵する距離になる。過去に自転車で境界線をサイクリングしてみようと一大決心したものの、結局意志の弱さでポタリングに終わったことがあった。今のところ、区界ポイント箇所は渋谷区と世田谷区、そして目黒区しかリサーチ出来てない。リサーチと言っても百パーセントではない、いまだミステリアスなゾーンがあるやも知れぬ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

重なり合う区界 今南寛治 @lectverso

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ