ショウギの終了
機械音声の無慈悲な宣告に絶句した。
ショウギに負けたら死ぬ。
待ってくれと叫びたかった。せめてルールを教えてくれ。
俺と同じ思いを、イザベラは怒りに乗せて吐き出していた。天井に向け、枯れた喉を酷使してあらゆる罵倒を浴びせている。俺は呆然とその姿を眺めていた。会って十数分の知らない女だ。しかし、俺の生き残りは彼女の死を意味している。
「振リ駒ヲ開始シマス」
機械音声が流れた。
パネルのデジタル数字が消えて[歩兵]を5枚乗せた掌が映し出された。人間の手と紫の布が見える。
映像の手は[歩兵]を床に振り落とした。5枚の内[歩兵]が2枚、裏の[と]が3枚が上向きになる。
「先手、ネルソン様。後手、イザベラ様トナリマシタ」
どうやら今の儀式は、手番を決めるコイントスに似た所作のようだ。表裏で決めるなら1枚で十分だと思うが、質問する相手はいない。
「対局ヲ開始シテクダサイ」
カウントダウンが始まった。
「ね、ねぇ、どうするのよ」
「やるしかないだろう」
「でも、負けたら殺されるのよ」
「勝てばいい。俺か、君のどちらかが」
イザベラが俺を睨む。協力関係は解消だ。
慣れ合いの余地はないと割り切るべきだろう。
ここからは殺し合いだ。
俺は盤上の駒を見下ろした。整然と並ぶ駒の文字は読めず、動かし方も不明。何より勝利条件が謎に包まれている。
確実なのは、二人用のゲームだということ。
そして、俺が先手と決められた以上、ショウギとは交互に駒を動かしていくルールだと考えられる。ただ、チェッカーのように相手の陣地に入れば勝ちなのか、駒を取った合計点を競うのか。あるいは特定の駒を取れば勝ちなのか。それは分からない。
だが、最も危惧すべきは勝利条件ではない。
ゲームの敗北が死に直結する以上、知るべきは敗北の条件だ。
例えば、動かせない場所に駒を動かしたり、二回連続で駒を動かすのは反則だろう。反則負け、イコール、死。
ルール不明という不親切極まりない状態は、地雷原を目隠しで歩くに等しい。先手は圧倒的に不利だ。
イザベラは俺と盤上を交互に見ていた。
残り時間は減り続けている。多分、個人の持ち時間は設定されていない。時間表示は一つしかないからだ。
俺は意を決して、[玉将]の二つ前にある[歩兵]を摘まんだ。気付けば指が震えている。置き場所を誤れば終わりだ。
一マス前方に[歩兵]を動かす。
これしかない。一番弱く、数が多い駒だ。
派手な動きはしない。地味で確実な動かし方のはず。
指を離してから僅か数秒を、何十時間もの長さに感じた。
呼吸が荒い。
汗が頬を伝って床に落ちる。
「何も……起きないな」
「正しいみたいね、上見て」
イザベラの視線を追うと、天井の蓋が開き、中から棒に吊るされたボウガンがこちらを向いていた。[歩兵]を誤った場所に置いたら、矢が発射されたに違いない。
「真似させてもらうわ」
イザベラが[王将]の前にある中心の[歩兵]を、俺と同様一マス前に動かした。当然の選択だ。同じ陣形で始まったからには、後手と先手で駒の規則は同じ可能性が高い。後手はリスクが減る分だけ有利だ。
三手目。俺は右の[金将]の前にある[歩兵]を一マス進めた。
四手目。イザベラが左右対称を維持する形で『歩兵』を進める。
五手目。左の[金将]の前の[歩兵]。六手目。イザベラも同様。
七手目。右の[銀将]の前の[歩兵]。八手目。イザベラも同様。
九手目。十手目。十一手目。十二手目。
左右対称を維持しながら互いの[歩兵]が一マスずつ進んでいく。
十八手目、イザベラが左の[香車]の前の[歩兵]を動かして、お互い三段目にあった全ての[歩兵]が四段目に整列した。
そこで気付いた。先手は一方的に不利というわけではない。
十九手目。俺は一番右の[歩兵]を動かした。
二十手目。イザベラが俺から見て一番左の[歩兵]を進める。
彼女は見た目より賢い。ここまで絶対に左右対称を崩さず、ノーリスクで俺に続いている。だからこそ、今度は俺が有利になる番だった。
二十一手目。右から二番目の[歩兵]を前に。
二十二手目。イザベラも彼女の右から二番目の『歩兵』を前に。
もう気付いているだろうか。
『歩兵』たちが進んでいく。
二十七手目。俺が真ん中にあった[歩兵]を盤の中心に進めたことで、盤上の[歩兵]たちが全て顔を突き合わせる格好となった。
もうイザベラに俺の真似はできない。今度はそちらがリスクを負う番だ。
「オクラホマに祖父がいてね」
突然、イザベラが呟いた。
「何の話だ?」
「釣りが趣味なの。私にも教えてくれた」
俺の質問を無視して、イザベラは続ける。
「車で湖に連れていかれて、竿と虫餌を渡されたの。子供だったし、やり方が分からないんだけど、最低限の事しか教えてくれないのよ。私が悪戦苦闘する姿を見てニコニコしていたわ」
イザベラの指が[歩兵]たちの前で止まる。他の駒はリスクが高いと判断しているのか。見向きもしない。
「趣味が極まった人って、そういう所があるのよ。自分が舐め終わった味のしないガムを他人の口に突っ込んで、もがく様を見て新鮮な味を思い出して楽しむの。きっと私たちを監禁している糞っ垂れ野郎は、それを最低最悪の形で実行しているんだと思う」
イザベラが中心にあった俺の[歩兵]を取り、自分の[歩兵]を進めた。
駒を取る。これは俺も考えていた。しかし、その取り方、条件は明らかでない。取れるのか。取った後そのままか、裏返すか。取った駒の扱い、そこには他無数のルールがありうる。
イザベラの眼は見開かれ、両の拳は固く握りしめられている。
何もない。そう期待した直後。
イザベラの右肩を矢が貫いた。絶叫が室内に響き渡る。
「マナー違反デス。マナー違反デス」
苦悶の声をあげるイザベラと無情なアラームが室内に響き渡る。
マナー?
何が悪かったんだ。
アラームは鳴り続けている。
眼前の残酷さとは裏腹に、俺の頭は冷静さになっていった。マナー違反であって、ルール違反ではない。反則負けなら死だ。つまり駒を取る事自体はセーフのはず。
「手を開くんだ!」
俺は叫んだ。
「取った駒を離せ! そこの台に置け!」
ここまで一度も使用していない盤と同じ高さの台は、駒置きではないか。俺は咄嗟にそう判断した。
取った駒を握り込むと、相手には何が取られたのか見えない。
隠すのが駄目なのだ。それしかない。
イザベラが取った[歩兵]を台の上に置くと、アラームが止んだ。
「取ッタ駒ハ見エルヨウニ置キマショウ」
余りにも遅い指摘がパネルから聞こえてくる。
糞野郎。思わず口から悪罵が漏れた。
だが、やり方は分かった。俺は一番右の[歩兵]を取り、自分の[歩兵]を進めた。イザベラも顔を上げる。右手が動かせないのだろう。左手で同様に駒を動かした。
「優しいのね。黙っていればそのまま死んでいたかも」
「好きで殺したいわけじゃない」
「悪いけど、私なら見殺しにしてた」
手番のリスクを負わせたのは俺のせいじゃない。そう言いたかったが、もう後戻りはできない。
[歩兵]が進む。
お互いの限界まで[歩兵]が進んだ時、運命は決まった。
俺の[歩兵]はイザベラの[香車][角行][銀将][金将]の目の前にあった。中心に残された駒を除けばイザベラも同じだ。
今度は俺がリスクを負う番だった。
駒が取れることは分かった。
しかし、どの駒が取れるかは分からない。
格上の駒は取れるのか。そこに制限があるとしたら?
リスクが最も高いのは[角行]だ。取れたら有利かもしれないが、イザベラも同様に俺の[角行]を取れる。しかも俺は既に[歩兵]一枚分を取られている。ショウギがポイント制なら、負けるのは俺だ。
残り時間は二十分を切っている。
俺は歯を食いしばり、一番右の[歩兵]を掴んだ。
狙いは[香車]だ。[歩兵]の次に小さいこいつなら取れるはず。
イザベラの右肩が視界に入る。
時間を稼げば彼女は出血死する。
そうすれば。
俺が殺さなくて済むかもしれない。
それが不味かった。
消極的な勝ちを選ぼうとした。
それが敗因だ。
[歩兵]で[香車]を取り、隅に[歩兵]を置いた。
その瞬間だ。アラームが鳴った。
四方の壁に穴が開く。
天井と同じ仕組みのようだ。
四方の壁に空いた全ての穴から、ボウガンが現れた。
それを視認した直後。
前後左右から矢が俺を貫いた。
俺は、ルールに違反したのだ。
そうか。
[歩兵]が一マス前にしか進めないなら、もう動けない。
裏返すべきだったのだ。
しくじった。
「ねぇ……私が勝ったの……?」
薄れゆく意識の中で、イザベラの声が聞こえてくる。
極限状態から解放された安堵感が声に表れていた。
「やった! 勝ったのね! 生き残った!」
彼女が立ち上がるのが分かった。
興奮しているようだ。歓喜の声が室内に響き渡る。
俺の死が、誰かを生かした。
せめてそう思おう。
いや、思い込もう。
そう思わなけりゃ、やってられない。
しかし、生の実感に震えていたイザベラが次の瞬間、俺の目の前に倒れ込んだ。
ボウガンの矢が喉元に突き刺さっている。
場所が悪かったのか即死していた。
物言わぬ彼女から流れ出た血が、俺の頬にまで届く。
どうして。
「マナー違反デス」
「対局後ハ挨拶ヲ行イ、勝利ニ騒グコトナク、対局者ヘノ敬意ヲ示シマショウ」
デス将棋 杞戸 憂器 @gorgon_yamamoto
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