殺意

 騎士はこちらを向いてはいなかった。私とは反対側の部屋の隅を向いていた。弩を使った騎士とは別の騎士が窓から入って来ようとしているのは分かったが、それよりも騎士が何を狙い、矢が何を射たのかが気になった。


 ただただ嫌な予感が押し寄せて来る中で視線をそちらに向ける。下にはまだ満足に動けない身体を引きずってこちらへ逃げようとする者やシーツに包まりうずくまって震えている者達が並んでいた。その向こうには腰を抜かしているオーベル。その更に奥。

 そこにはまだ幼さの残る女の子を抱きしめるように庇う桃色の髪の女性。そしてその腕を貫いて刺さる1本の矢が、突き抜けた先で腕の中の女の子の頭をかすめていた。

 硬直して視線を外すことが出来ずにいると、腕の中の金髪から赤い雫が滴るのが見えた。


 (2人は大丈夫。私と同じ死なない身体だ。)


 (いや、そう言う問題では無い。リムは私が守ると決めた者だ。)


 (リッカだってこんな目に遭うために私に付き合ってアークに来ている訳では無い。)


 (いや、今のリッカはメイドなんだが。)


 (とにかく治療を…)

 (まず敵の侵入を何とかしないと。)

 (そうだ敵だ。殺さずに撃退…)

 (なぜだ?こちらが気を遣っていても構わずここまでしてくる相手に何故そこまでして…)(そうだな。もう良いのではないか?)(いや、この世界の秩序を規格外の力で…)(そもそもなぜそんな事を考えながら旅を、)(リッカとリムの安全を最優先に)(何をまずするべきかを)(壁を塞いで侵入を阻止する)(どういう手を打って)(相手の…)(力をつか…)


 ………………


 長く考え込んでしまったかも知れない。一瞬だったかも知れない。自分の中の様々な感情達がそれぞれ激しく意見と指示を出し続ける。

 その思考の奔流の中で、今まで全く自覚した事の無かった感情がむくりと沸き上がる。

 不快感、苛立ち、焦燥、そう言った感情の更に向こう側にあって、現実世界でも感じた事の無い感情が沸き上がると、自分の中の全ての感情がその感情に取り込まれた。そして沸き上がったばかりの感情は一言だけ呟く。


 (殺す。)




 窓から入って来た騎士は3人。リッカやリム、オーベル、そして床で蠢く患者達が向かって来ないと知ると、扉から現れた私を目標として剣を抜いて構えながらジリジリと近づいて来る。

 前に2人の騎士が並び、その後ろに弩に矢を再装填した騎士が立つ。

 何も武器を持たない自分を警戒していると言うよりは、先に突入した騎士達を手こずらせている相手が出て来るのを警戒してだろうが、中々近づいて来ないのにイラついてしまう。

 心を決めた瞬間に世界の時間を遅くしてあるので相手がこちらに辿り着くまでどれだけ時間が掛かるか分からない。この抑えがたい気持ちが自分の中で暴れる状態で待ち続ける事は出来なかった。

 20倍にまで引き上げた筋力が、粘りつくような空気をものともせずに相手に近づこうとするが、体重や摩擦の関係だろう。思ったようには早く相手に辿り着けない。

 まるで水中で水をかき分けるようにして近づくと、まずは目の前に構えられた剣が邪魔だったので退けようと握るが、力の制御が出来ずに剣も自分の手も粉々に砕けてしまう。

 自分の手を即座に治し、折れた刃が空中に浮かんでいるのが邪魔で横に払うと剣の柄を握った騎士の右手を掴み持ち上げる。

 今は何をするにも力を入れ過ぎてしまうようで、相手の手甲がひしゃげて妙な形になっている上に、握ってそのまま持ち上げたので騎士の手首が完全に折れていると分かる角度になっていた。

 再び自分の手も折れている事に気付いて面倒になり、自分の身体を即時修復するように設定してしまう。

 このまま投げても手首が千切れて力が伝わらないと思い、胴体に蹴りを入れると同時に手を離すが、その反動で自分の身体も反対に飛ばされ、丁度壁際まで飛んだので今度は壁に蹴りを入れて元の位置に戻ろうとした所で再び目を向けると、蹴りを入れた騎士が後ろにいた弩を構えた騎士もろとも窓から飛び出して行くのが目に映った。

 仕方なく目標を最後に残った騎士に変えて目の前まで行くと、窓から飛んで行った騎士の方を向いていた騎士の顔が丁度こちらに戻ってくる所だった。

 手前に構えられた剣が邪魔だったので再び払うと簡単に折れた刃が横に飛んで行く。そして今度は手を伸ばすと騎士のヘルムを鷲掴みにする。

 掴んだヘルムは簡単に歪んで行くが、指が折れる度に手からすり抜けそうになるので加減を調整しながら持ち上げると、騎士は手に持っていた剣の柄を手放して頭を掴んだ私の腕を両手で掴み、足をバタつかせ始める。

 足の動きはゆっくりとしているが、鉄の装備で蹴られるとやはり身体が痛むらしくお腹のあたりに疼きのような物を感じる。

 もちろん一定以上の痛覚は遮断されているし、傷んだ身体もすぐ治るようになっているが鬱陶しさが込み上げ、暴れる足の一本を空いている方の手で掴むと1回転して勢いをつけて騎士を窓に放るがコントロールが悪かったらしく、窓の下の壁に激突した騎士が壁を壊しながら外へと飛び出して行く。


 (侵入してきた騎士は3人共外に放り出してやった。しかし弩を使った騎士がまた外から射るかも知れない。そしてその矢は再びリッカやリムを襲うかも知れない。あの騎士だけは殺しておかなければ。いや、殺したい。他はその後考えよう。)


 落ちていた折れた剣を拾う。折れていても30cmはあるので武器としてはまぁ使えるだろう。そして外に出ようとするが、空気の粘りが鬱陶しく感じて世界の減速を元に戻す。

 今の自分は肉体に損傷を受けてもすぐに治ってしまうのだから、躱すとか避けるとかは考えなくても良いと思ったのだ。

 人が容易く出入り出来る大きさに広げてしまった窓の所に立つと、すぐ下に1人、少し離れて2人の騎士が倒れていて、そして更に離れた所に数人。1人はグンバンだ。こいつも後で始末せねばとは思うがそれよりも弩の騎士だと言う思いがその他を無視させる。少し離れた所で重なって倒れている2人の下敷きになっている方がそうだろう。

 誰も動く気配が無いのでそのまま普通に歩いて倒れている騎士に近づくと、上で仰向けに被さるように気を失っている騎士が邪魔だったので掴んで放り、ようやく目標の敵が無防備に横たわっているのを視認する。

 せめてもの情けに一撃で死なせてと言う思いでは無く、万が一が無いように確実に止めを刺すべく力いっぱい振り抜く為に折れた剣を振り上げ、少し屈み気味の姿勢で力いっぱい振り下ろすと、金属を裂く感触が手に衝撃として伝わる。

 しかし斬り裂かれたのは金属鎧の鉄板では無く、自分が手にしていた剣の刃だった。

 いつの間にか倒れた騎士の上には地面に斜めに突き立てられた黒い刀が現れ、その黒い刀身の上をいくらか滑った自分の剣が、狙った位置とは横にズレた所でその半分を斬り裂かれながら止まっていた。


 リッカとリムを傷付けた張本人であるこの騎士を殺すのは急務だ。それを邪魔するとはこいつも仲間の騎士かと思って目を向けると、想像していたのとは違う姿が目に入る。

 癖があって逆立つ髪は白髪が随分混ざっている。その下の顔も長い人生を経た証拠に多くの皺が刻まれていた。顔が分かるのは当然ヘルムは被っていないからであって、鎧も手甲と足甲は付けているが、胴体は左胸の所を守る胸当てのみ。服装もズボンは穿いているが、上半身の服は前合わせの着物に近い服。どう見ても今まで見て来た騎士の服装や装備では無い。そう言えば騎士を守った剣も今まで見て来た騎士達が持っていた直剣では無く、鍔は無いが日本刀に近い形をしている。

 あまりに想像に無かった姿に、ほんの少し冷静さが戻って来る。


 「貴方も敵ですか?」


 「………敵では無い…と思うんじゃが…」


 「ではなぜこいつを守るのですか?」


 「まぁ、こやつらを叱る立場なんでな。わしもその場で斬る事もあるが、一般人に手を汚させる訳にはいかん。」


 「………。」


 色々な可能性が浮かぶような言い回しで、核心の部分が具体的に語られていないものの、内容は概ね理解出来た。しかしとその先を考えて口にする前に後ろから声が掛かる。


 「アド様!リッカさんとリム嬢ちゃんは大丈夫ですぜ!落ち着いて下せぇ!」


 そしてすぐ後ろには片膝を突いて頭を垂れたルーリィからも声が掛かる。


 「今回は私が足を引っ張ってしまい、申し訳ありません。ですが敵の殲滅と言う事であれば私にお任せ下さい。今度はお役に立ってみせます!」


 「おい、ルーリィ!話を物騒にするんじゃねぇよ!」


 「私は本気だ。この場で全員斬れとご命令下されば直ちに実行してみせる。」


 ギーブンとルーリィの話を聞いてようやく本来の冷静さが戻って来た。ルーリィに人殺しをしてもらうつもりは無い。

 今まで経験した事の無い感情を抑える事が出来ずに我を忘れていたようだ。黒い刀身に半分斬り裂かれた剣を抜き、多少屈み気味に剣を振り下ろした姿勢から立ち上がると目を閉じながら深呼吸を何度かすると、最後にそれでも収まりきらない感情を吐き出しながら叫ぶ。


 「命を奪わぬように手加減するのはもう止めだ!この治療院に攻めて来る者がまだいるなら次は生かして帰すつもりは無い!覚悟してかかって来い!!」


 言うと同時に誰もいない方に向かって折れた剣を力いっぱい投げる。

 折れた剣は目にも止まらぬ速さで回転しながら20mは離れた建物の壁にもの凄い音を響かせて激突し、折れた刃の先が壁を斬り裂いて埋まり、更に折れて柄が壁に激突してひしゃげた形でめり込み、壁一面に蜘蛛の巣状のひび割れを作り出した。



 しばしの沈黙の後に、最初に口を開いたのは騎士を助けた老人だった。


 「この場にはもう町を襲う者はおらんよ。わしらは町の者達を助けに来た者じゃ。遅くなってスマンかったの。」


 刀を鞘に納めながらそう言った老人は、後ろに控えた騎士に散開して身分と目的を町中に伝え、襲われている町の人間がいれば助けるように指示している。

 この場が一段落している様子なのに安心すると、次に浮かぶのはリッカとリムの事だった。治療院へ戻ろうとすると視界の隅に騎士が吹き飛ばされた時に取り落とした弩が目に入った。少し離れた所に転がっている弩に近づいて力一杯踏みつけると、バンッと音がして踏み抜かれた弩は地面にめり込みながら真ん中から折れ砕け、退けた足の下の地面には足跡がくっきりと付いていた。

 弩を使った騎士も同じ様に踏みつけてやりたい気持ちもあったが、今はそれよりもリッカとリムの状態が心配だった。このままではすれ違いざまに無意識にでも踏み殺してしまいそうだったので、とにかく筋力20倍を解除して踏みつけても死なない様にすると、出て来た壁の穴へと向かう。

 治療院の中へ戻るとリッカとリムは元居た場所から動いてはいなかった。足早に近づいて、頭に包帯を巻かれたリムを抱きしめるとリムの方からも背中に腕を回して震えながらも抱き付いて来る。しばらくそうして頭を撫でながら「怖い思いをさせてすいませんでした。」と謝ると、次に隣に顔を向ける。

 リッカは矢の刺さった方の腕の服が肩から千切られて、矢を抜かれた所をもう一方の手で圧迫止血していたが、私の視線に気づくと深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べて来た。


 「ご要望にお応えする事が出来ずに申し訳ありませんでした。」


 リムを守れずに傷を負わせていまった事への謝罪である事は分かるのだが、こちらとしては戦闘能力の無い制限NPCに無理を言ってしまった事も理解しているし、リッカが庇わなければリムは頭を貫かれていたかも知れない。彼女はやれる事を最大限頑張ってくれた。そこには感謝の気持ちしか浮かばない。それに中身はメイドとは言えリッカその物の姿での献身的行動にしおらしい態度をさせてしまっている事に対して申し訳ない気持ちもある。

 更に深手を負った腕を見て何とも言えない感情が沸いて来て言葉に詰まるが、それに反して身体は自然と動いてしまっていた。

 右手は抱きしめたリムをしっかりと包んで離さなかったが、左手は下げられたリッカの頭へと自然と伸びると、撫でてしまっていた。

 無意識の自分の行動に少し驚いていると、その後に続いて発した言葉も無意識だった。


 「ありがとう。リッカのおかげでリムの怪我がこの程度で済んだ。無理をさせてすまなかった。」


 一頻り頭を撫でて、少し気恥ずかしい気持ちも沸いた所で手を頭から退けるとメイドリッカが頭を上げる。自然とリッカの腕に目が向かうと、上から圧迫していても出血はまだ止まっていない。包帯さえ巻いてしまえば後は身体を傷付く前に戻してやれるので、「早く腕を治療しよう。」と声を掛けると今まで意識していなかった所から声が掛かる。


 「リッカさんも私に治療させて下さい!」


 そこでようやく包帯を持って立ち尽くしていたオーベルに気付く。リムの頭の包帯は彼が巻いてくれたのだろう。礼を述べてお願いしようと考えたその時、この部屋に入った瞬間の状況を思い出し、少しの苛立ちが沸き上がる。


 (お前はなぜ彼女達を守らなかったのだ…)


 しかしその気持ちも直ぐに別の思考や感情が抑え込んでしまう。


 (あれが普通の人間の反応だ。そもそも自分だって、この世界に来て最初に野党に襲われ、親切に馬車に乗せてくれたキボクとリフが殺さた時に何も出来なかったではないか。)


 しばらくの沈黙の後に出た言葉は一言だけだった。


 「………お願いします。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

管理者権限買いました。 ひら @-HIRA-

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ