血天井

飛野猶

血天井

夏の京都。

俺は一人で寺社巡りをしていた。

今日は京都駅からバスにのって、東山にある三十三間堂に来ている。

巨大な本殿には1000体にものぼる千手観音立像が整然と立ち並び、拝観者を圧倒していた。


よく掃き清められた廊下を歩いて、少しヒンヤリとした本殿の中を沢山の観光客をぬって歩く。

さすが国際的に知られた観光地だけあって、日本人だけでなく、様々な国の観光客たちがひしめいていた。


三十三間堂の門を出て、俺は小さく一息をついた。

そしてさらに東へと足を進める。

今日の俺の目的は、もう一つあるんだ。むしろ、こっちが主目的といってもいい。


しばらく、といってもほんの一区画ほど歩いたところに、目的地はあった。


『養源院』


豊臣秀吉の妻、茶々が自分の父を供養するために秀吉にお願いして建ててもらった寺院だ。


三十三間堂に比べると、こじんまりとした門をくぐり、俺は境内に足を進める。

この本堂は、秀吉の伏見城の殿舎を移築して作られていると言われている。

俺は靴を脱いで本殿の廊下に立った。



そして、天井を見上げる。



そこには、普通の寺院の天井には無いものが見えた。



天井のあちこちに付けられた無数の手跡、足形、どす黒いシミ。

生々しいとすら思えてしまうほどの大量の、人が死んだ跡だ。



慶長5年(西暦1600年)、関ヶ原の戦いが始まる直前。

徳川家康は会津の上杉景勝を討伐するために戦いに出向く際、鳥居元忠と1800人の部下たちに伏見城の留守を任せた。


しかし家康が京を離れた隙を狙って、石田三成の4万の軍勢が伏見城を襲った。

鳥居元忠たちは三成の軍勢を少しでも長く京に留まらせようと、そして援軍に行かせまいと奮闘したが、8月1日ついに落城。


そのとき、鳥居元忠と残っていた部下380名ほどが伏見城の縁側で自害したのだ。縁は流れ出た武士たちの血で赤く染まった。


しかし、鳥居元忠たちの遺骸は関ヶ原の戦いが終結するまでの真夏の二か月もの間、放置された。


そのため、その後どれだけ洗っても、自害の際に流れた血痕や顔、鎧の痕が縁側の板に染みつき取れなくなったのだ。


その後、彼らを供養するために縁側から板を外して、京都各地の寺に移した。

元は床板だったものだが、彼らの死んだ跡を足で踏むわけにはいかないという考えから、天井として今日に至るまで手厚く供養してきたのがこの『血天井』だ。


ガイドの女性が、天井を棒で指しながら説明してくれる。


くっきりと人型が浮かぶ黒い跡。よく見ると、刀の跡や、顔、足の跡まで見える。自害して俯せに倒れた、そのままの形で。


この人型は、伏見城を守っていた鳥居元忠の血の痕だと言われている。






鳥居元忠は、家康とは幼少の頃からの馴染みで、親友ともいえる片腕的存在だった。




家康が上杉討伐を行った本当の目的は、石田三成軍を挙兵させることにあったと言われている。


つまり、家康が討伐に出れば石田三成軍が家康の居城である伏見城を襲うことも、その時には家康軍は遠い会津の地にあって伏見城へ援軍を送っても間に合わないであろうことも、初めから想定の範囲内だったのだ。


その作戦のためには、圧倒的に数で優位な石田三成軍に屈せず、討ち死に覚悟で立ち向かえる武将が必要だった。


その重大な役を任せたのが、家康の親友である鳥居元忠だった。




鳥居元忠はどんな思いで、その伏見城を守ったのだろうか。

そして、家康はどんな思いで彼に伏見城を託したのだろうか。




元忠に伏見城を託すと命じたその夜、家康と元忠は二人っきりで酒を酌み交わしたという。


そして、深夜まで昔話に花を咲かせた。つい夜遅くなってしまい、元忠は「もう寝られませ」と家康に別れを告げたそうだ。


元忠はそのときには、以前の戦いで負った傷が元で片足が不自由であったため、家康の小姓に支えられて片足を引きずりながらその場を後にした。



その後姿を見送って、家康は一人、泣いたと伝わっている。



天下のために死んでくれと幼馴染に頼んだ武将と、それを快く受け入れて期待以上の働きをして散った友。



二人の歴史が、そしてそれによって動かされたこの国の歴史の確たる証が、ここにある。



俺は、圧倒的な歴史の証の前に、足がすくんで動けなくなった。

いつまでも吸い込まれるように、その天井を見つめていた。




もし、三十三間堂に観光で来ることがあったら、近くにある養源院まで足を伸ばして、名将の友情の物語に思いを馳せてみてはいかがだろう。





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血天井 飛野猶 @tobinoyuu

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