鋳物の川口
@Matu-Kurou
第1話
埼玉県川口市は鋳物の町である。浦和方面から東京に向かって電車に乗ると、荒川を渡る手前に「鋳物の川口」と書いてある看板がある。
その看板は、毎日、数10万人が見るのだから絶大な広告効果を生む。車窓から瞬間的に見える光景はサブリミナル効果でもある。
一時、これが問題になったことがある。マンガだが広告だか忘れたが、テレビの一連の映像の合間に瞬間的に違う映像を挟み込む。明らかに視認できるものでないために、かえって記憶のなかに残ってしまうというものだ。毎日の通勤電車から見る景色は、ほとんど無意識状態で目の前を通り過ぎる。ゆえに明らかな視認とはならず、無意識の記憶領域に残ってしまう。「鋳物の川口」の看板もサブリミナル効果によって、少なくとも北関東の人々に対しては定着したイメージとなった。
川口の鋳物は戦国時代に遡るといわれている。鋳物の型枠作りに不可欠な川砂が隣を流れる荒川から大量に採取できたこと、東京に近く、舟運の便が良かったことによる。
日露戦争を境に産業としての基盤が出来、戦後の高度経済成長の頃まで隆盛を極めた。今でも川口市には「金山」という地名が残っている。「金山」は「
金山信仰とともに盛んになったのが「初午太鼓」だ。初午の日には鋳物屋をはじめ、燃料のコークスを扱う燃料屋、火を扱う風呂屋などが全部休みとなり、「
川口市では今でも各所に和太鼓の伝統が生きており、町ごとに異なる太鼓のリズムが受け継がれている。私が住む町内でも「葉月会」という若衆による和太鼓の会があり、毎週、公民館で練習をしている。地元の伝統を受け継ぐということは素晴らしいことである。
川越夜祭の踊りとお囃子、秩父の村歌舞伎などの伝統芸能もその土地の風景のひとつである。
伝統を継承する人と社会の関係性は、文化として地域の風景のひとつになる。川口の鋳物の場合は、それに加えて生業が前提になっていて、その風景は地域が存在する基底なのである。
さて、「鋳物の川口」は「キューポラの街」という名でも知られる。人口に
キューポラとは鋳物用の鉄を溶かす炉のことで、工場の屋根にはその煙突が突き出ている。以前は川口駅を中心に多くのキューポラが見えていた。
小説『キューポラの街』は1978(昭和53)年に川口の主婦によって書かれ、毎日新聞に連載された。吉永小百合が主演する映画にもなった。映画の紹介にはこうある。
「キューポラの街・川口は、鉄と火と汗に汚れた鋳物職人の街でもあった。」
今でいう3Kの仕事である。きつい・汚い・危険という労働環境のうえ、仕事の大半は大企業の下請けで工業用品づくりである。零細企業や中小企業ばかりの「鋳物の川口」にとって、1964(昭和39)年の東京オリンピックで国立競技場の聖火台を製造・納入したことは晴れがましいトピックスである。
高度経済成長期が過ぎると、大手企業からの川口への発注は年々減少していった。廃業する工場も増えてきた。
川口は荒川を挟んで東京に隣接しているため地価高騰のあおりを受けた。そのため、鋳物工場をつぶしてマンションにすれば工場主の懐はかえって潤う場合もあった。3Kの儲からない鋳物を続けるよりも、廃業して土地を売った方が楽だ、という考えもあったのだろう。多くのキューポラが消えていった。
我が家で愛用しているヤカンは南部鉄器だ。北上川の川砂を使った鉄瓶は鋳物の代表選手でもある。茶の湯の釜づくりから発展した当地の鉄瓶は、表面に細かな凸凹を持たせた味わいある鉄のヤカンである。
鋳物作りは今でも全国のあちこちで行われている。東大阪には多くの町工場があり鋳物屋も多くあるが、どこも経営は苦しい。一方、富山県高岡市の鋳物は古くから工芸品に特化してニッチ市場を確保している。
川口の鋳物産業はこの業界の中では有名であるがために、全国の中小企業・零細企業がその行方を見守っていると言っていい。
今や絶滅に瀕している川口の鋳物は「ニッポンのモノづくりカルチャー」の一面を映し出す存在でもある。経済面だけであれば「ニッポンのモノづくり」でよいのだろうが、鋳物・金山信仰・火防せ・初午太鼓といった背景にある伝統文化も一緒に問われるので「カルチャー」というべきである。
新・国立競技場の聖火台を再び川口で作る、ということになれば、五輪の風景の見方もまた変わってくる。2020年の五輪の風景に歴史を見ることが出来るのである。そして、伝統を受け継ぐ様々な人に勇気を与える。これが世界に発信されるのだから、車窓から見る看板の広告効果どころではない。「ニッポンのモノづくりカルチャー」が世界各地の伝統技術と文化を継承している人たちに共感をもって受け入れられることだろう。
ピンチをチャンスに変えるには今しかない。
鋳物の川口 @Matu-Kurou
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