第3話
咄嗟のとき人間理屈なんてものを考えないものである、ということをこのとき程身を以て知ったことはない。
気付けば僕は地面に伏せっていたし、電車の通り過ぎる音は僕の足元の方で鳴り響き、僕の下には目を大きく見開いた長髪の絶世の美女がいて、僕はそんな彼女を押し倒し見つめながら変態のようにぜいはあと息を切らしていた。
僕はギリギリすんでに彼女を助けた、らしい。全然記憶がないけれど。完全無意識だった。危ない。ほんと危なかった。死ぬ。命幾つあっても足りない。
今更ながらどんどんと鼓動が大きくなっていく。手足が震えてきたのを感じる。僕は僕が思っていたより臆病な人間であったらしいことを人生で初めて知る。
僕は息を整えながら、ゆっくりと立ち上がった。震えでゆっくりでないところんでしまうような気がしたからだ。
相変わらず目の前の女性は目を見開きながら間抜けな顔で––それでも整った顔の美しさはそのままだったが––僕をぼーっと見ていた。
どうすればいいのかよく分からなかったので、とりあえず手を差し伸べたら、彼女は何も言わずに僕の手を取った。
まだ呆けているようだ。立ちあがってもなお僕の顔を見つめている。
その美しい瞳にひたすら見つめられていると、今度は後悔とかそういう類であろう感情が僕の中にぐるぐると回り始めた。
彼女は今自殺をしようとしていたのである。もしかして彼女は僕が助けてしまったことで、怒っているのではないか?怒っていなくとも、死ねなかったことに対する絶望に今苛まれているのではなかろうか?
そんなことを考えていると言葉も出ず、かといって彼女から目を離すことも何故かできなくて、ただただ見つめ合う時間があった。それはもしかしたら5分とかかもしれないし、5秒だったのかもしれなかった。
「よくやってくれたッスー!さっすが宥下さん!私が見込んだ男!!いやぁ〜いい働きをするねぇ〜」
僕の背中から電車の通り過ぎる音と共に警報音が消えた頃、相変わらずの女の声が聞こえた。
うっせえ、といつもなら思う所だが、このときだけはこいつのおかげで心臓が少し落ち着いたし、やっとまともに息ができたような気さえした。
「できればこのままね、この子の今後の電車の飛び降りを止めてほしいんだよね、私的には。だってさぁ、人殺しになってしまうその電車の運転手さんの気持ちとか考えてないじゃん???私前に人身事故の電車に乗り合わせたことあるんだけどさぁー停車した後の案内のアナウンスなんかもうううう聞いてらんない訳!超震えた声で、たどたどしく一生懸命職務全うしようとしててさ!もう可哀想で可哀想で…!そんな訳でさ、電車飛び降りは私ほんっと反対派なんよ!だからさぁ、電車飛び降り良くないよ???的な???ことを???説得してほしいのよ!!!できるかな??できないかな????いーーーやっ宥下さんならできるはずやっ!私はっ!信じてっ!るっ!!!」
前言撤回。うっせえ。
はいはいわかったよ、そう目線で伝えようとした。
しかし、僕の目線がハルに移ると同時に、女性の顔がハルへ向いた様子が目の端で見えたのだ。
僕は驚いた。そんなことはあり得なかった。いや、あり得ないなんてことはない。僕があり得ないと、ただ思い込んでいただけなのだ。
「………あれっ?もしかして目合ってる……?」
あり得ないと思い込んでいたのは僕だけではなかったらしい。ハルも驚いていた。
長髪の女性がゆっくりと頷く。
この動作がハルの言葉に対する応答であることを認識したのに、1秒かかってしまった僕を誰が咎めよう。
何故なら、
僕をこの踏切まで導いたやたらうるさいハイテンションガールは、
僕以外には姿も見えず声も聞こえない、
幽霊なのである。
しかも。
先月自殺したと話題持ちきりの、
無口なミステリアスガール、
紫前 陽花(しぜん はるか)
その人であった。
僕らの自殺回避旅行 安田 匠 @yasudatakumi
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