第4話 ヴィーナスとマーズ
私達は<イキドマリ>という名前の飲み屋にいた。ここは廃屋を勝手に改造して営業している店らしい。経済的格差の広がりと、人口減少によって、街中にさえこういった廃屋は数多くある。そこに住み着く人もいれば、こうやって何か商いをしている場所も珍しくない。<イキドマリ>は下層民にとっては交流の場にもなっているし、ゴロツキに吹き溜まりのような場所でもあった。
テーブルは拾ってきた廃材で造られいるため、高さが一定ではない。椅子もビールケースをひっくり返しただけのものや、綿がはみ出したソファなどで、とにかく統一感が無い。酒はもちろん置いているが、客が思い思いに持ち寄った自家製のものも沢山あった。中にはとんでもない異臭を放つ酒もある。
申し訳程度に赤やオレンジなどのバラバラの色のLEDライトが設置された薄暗い店内を進んでいくと、奥のテーブルで一人で酒を飲んでいる老人がいた。薄汚れたコートに身を包み、ニット帽を被っている。左眼だけが埋め込み式の義眼になっていて、腕は両方とも人工皮膚がコーティングされていない剝き出しのままの義手だ。どうやらこの老人がゴトーらしい。
「お久しぶりデスネ。ゴトー=サン」
ゴトーはチラリとこちらを見やると、また目の前のグラスに視線を落とした。
「へっ。まるで死神と悪魔が、死んだガキの霊でも連れてるみてぇだな」
既に相当呑んでいるのか、ゴトーの顔は茹蛸のように赤くなっている。
「どこで拾った? こいつぁ売りもんなのか?」
私のことを言っているらしい。
「残念ながら売り物ではありマセンヨ、ご老体。ガラスケースで展示されいるのに飽きたとの事デ。面白いお嬢サンデス」
ゴトーはグラスをグイと煽って、鼻を鳴らす。話を聞いているのかいないのか判断できない。
「おめぇの喋り方は、毎度のことながら癇に障るぜ」
「オヤジ、吞み過ぎだ」
話が進まないのでガルチュアが割って入る。
「テメェがどう呑もうが説教される筋合いはねぇぞデカブツ。で、なんだ、俺の作ってやった脚をぶっ壊しやがったのか?」
「エェちょっと遊び過ぎマシテネ。新しい脚を見繕っていただきたいのデスヨ」
「まったくテメェは手間かけさせやがるぜ」
◆
ゴトーはひとしきり悪態をつくと、ゴトリとグラスをテーブルの上に置いた。「脚は直してやる」と言うなり立ち上がると、そのままズカズカと店の外へ出て行った。勘定は払っておけということらしい。キルエはゴトーと一緒に店を出て行った。
私とガルチュアは騒がしい店内に残された。ガルチュアと二人きりになるのは初めてである。ガルチュアはゴトーの座っていた椅子に座る。ウェイターを一人捕まえて「燗」とだけ言うと、ボロボロのソファに座った私の方を見やった。
「何か飲むか?」
「えっと……お茶でいい」
ウェイターは伝票に注文を走り書きすると、すぐに店の奥に引っ込んだ。店の中には古い「エンカ」と呼ばれる歌が流れている。こぶしを効かせた独特の歌唱法で、どこか哀愁の漂う歌詞を歌っていた。ガルチュアはずっと黙っている。ずっと気になっていたことを、私は思い切って聞いてみた。
「ねぇ、貴方の旅の目的は何? どうしてキルエと一緒にいるの?」
ウェイターがお盆にお猪口と徳利、それと湯呑を載せて戻って来た。テーブルにそれらを置くと、またすぐに店の奥に引っ込んでしまう。ガルチュアはお猪口に酒を注ぐ。ガルチュアの体が大き過ぎて、なんとも不釣り合いだ。
「利害が一致している」
「人造人間を壊すの?」
「俺を作り出した連中を消す。そして俺のような存在を作り出そうとしている連中も消す」
「その邪魔をする人たちも?」
「そうだ」
「どうして?」
そこでガルチュアは黙ってしまった。
「キルエはどうして人造人間を壊すの?」
ガルチュアはお猪口の酒を煽る。
「あいつは思い上がった馬鹿が嫌いなのさ」
思い上がった馬鹿が嫌いってどういうことなんだろう。
「何にしろ、俺達はただのテロリストだ」
ガルチュアもキルエも、それぞれの理由で人造人間や、それを造る人間を憎んでいるらしかった。私は……。私を造った人間達は、二人の手で一人残さず殺されてしまった。憎むべき相手もいない。
私は目の前に置かれた湯呑を包むように手を添えた。温かい。なんだか懐かしい気がする。でも何故そう思うのか私にはわからなかった。
「私、研究所で目覚める前、どこかで普通に暮らしていた気がする」
「研究所で生まれたわけじゃねぇのか。……何か覚えてないのか」
「覚えてない。でも私、いろんなことを知ってる。研究所で目が覚めた時には、そういう知識はあった。目覚めた時から、普通に言葉をしゃべることもできたから」
「どれくらいあそこにいた」
「わからない。でもそんなに長くないと思う。たぶん1,2年くらい」
「それ以前の自分の記憶はねぇってことか」
「うん」
そこでなんとなく会話が途切れる。ガルチュアは黙って酒を飲み、私は湯呑から立つ湯気をぼんやり眺めていた。
◆
その日キルエは帰って来なかった。ガルチュアとイヴは「イキドマリ」で格安の宿の場所を聞き、そこに泊まることになった。宿もやはり廃屋で勝手に営業しているらしく、部屋は当時の住人が使っていたままだった。
ガルチュアはイヴにベットを譲り、自分は床で寝ると言った。備え付けのベットはガルチュアには小さ過ぎたし、雨風を凌げる屋根と壁さえあれば特に問題はないのだと言う。イヴは布団に包まって、頭に浮かんでくることを一つ一つ考えていた。
自分は元々普通の人間だったんだろうか。それとも誰かのクローンや、人工授精で生まれた試験管ベイビーなんだろうか。家族はいたのだろうか。それとも、親はやはり、あの研究員達ということになるのだろうか。
答えの無い問答を一人で繰り返しているうちに、いつしかイヴは眠りに落ちていた。
◆
キルエが戻ってきたのは、それから二日経ってからのことだ。二日間ひたすら「イキドマリ」で時間を潰していたガルチュアとイヴの元に、ゴトーと共に何の前触れも無く帰ってきたのだった。足を引きづることも無く、破れたズボンも縫い直されている。元々、服も帽子も縫い目だらけなので、修復された箇所も特に違和感は無い。ゴトーは相変わらず酒臭い息を吐き、顔を赤らめている。
「まったく、おかしなえぐられ方してやがったせいで、神経繋ぎ直すのに余計な時間を食っちまったぜ」
ゴトーは早速ウエイターを捕まえると酒を注文している。
「助かりマシタヨ、ゴトー=サン」
キルエはゴトーに礼を言い、今度はイヴの方に向き直った。
「それと、例の件、何とかなりそうデスヨ」
「……ハッカーの話?」
イヴが聞き返す。
「エェ、ゴトー=サンにお知り合いがいるそうデネ。その方に会いに行きまショウ。かまいマセンカ? ガルチュア=サン」
「別に急ぐ旅じぇねぇ」
「よかったデスネ、イヴ=サン」
「ありがとう」
イヴは三人に礼を言った。
「アァそれと……、言い忘れマシタガ。イヴ=サン、貴女もゴトー=サンの手術を受けなければいけマセン」
「頭に何か入れるの?」
イヴが聞くと、キルエの代わりにゴトーが答えてくれた。
「あぁそうだ嬢ちゃん。ハッキングってのはいろんなやり方があるが、俺の紹介する野郎は、電脳空間に直接ダイブするやつでな。つまり、脳とネットを繋げなきゃならねぇ。そのためにゃ頭ん中にいろいろ機械を埋め込まにゃならんのさ。それはかまわねぇのか?」
「うん、別にいい」
イヴがあまりにあっさり返事をするのでゴトーは笑い出した。
「なかなか骨のある嬢ちゃんだな。気に入ったぜ。俺ぁ腕は確かだから安心しな。それとハッカーの野郎だが、紹介はしてやるが、弟子にしてくれるかどうかはわからんぜ。まぁ会って本人に聞くこった」
「うん」
ゴトーはイヴをそうとう気に入ったようで、キルエの時とは打って変わって悪態をつくどころか、むしろ上機嫌だ。グラスを空けては注ぎ、すっかり出来上がっている。ガルチュアはガルチュアで追加の酒を頼んだようだ。キルエはダンボールに殴り書きされたメニューを引っ張り出して眺めている。
「そのハッカーってどんな人?」
イヴは気になって聞いてみた。ゴトーはグラスを一気に煽ってニヤッと笑う。
「根暗で引き籠りのインテリ野郎さ」
◆
ゴトーはひとしきり呑むと、また勘定せずに出て行った。ゴトーは身体をほとんど義体化しているため、アルコールを一瞬で分解することができる。ゴトーに連れられてイヴも店を出た。今度はキルエがガルチュアと一緒に時間を潰す番となった。
ガルチュアは相変わらず二ホン酒を燗で呑み、キルエは葡萄酒を呑んでいる。
「研究所で目覚める前は、普通に暮らしていたかもしれんとさ」
ガルチュアは思い出したようにぽつりと呟く。
「イヴ=サンデスカ? デハ、オリジナルではなク、接ぎ木されたわけデスカ」
「本当のところはわからん。研究所以前の記憶がねぇんだとよ」
「デスガ、実際のところ、普通の人間の身体に、後からあのような特殊な細胞が適合するとは、あまり考えられマセンケドネ」
キルエはガルチュアの斑な肌を見る。
「モシ、無理矢理に適合させたとスレバ、貴方と同ジク、拒否反応による苦痛から一生逃れられなくなるハズデス」
ガルチュアは無言で酒を煽る。
「真相を知りたい?」
不意にイヴの声が聞こえて、二人はそちらに目をやる。薄暗い店内の壁にもたれかかった少女がこちらを見ていた。顔はイヴそっくりだが、出で立ちが明らかに異なっている。黒いタンクトップに迷彩のジャケット。タイトなジーンズは大ぶりのベルトが巻かれ、所々破れている。少女はキルエとガルチュアの座るテーブルまでゆっくりと近付いてくる。少女の髪は燃えるように赤く、そして彼女の瞳もまた、炎のような色彩を帯びていた。
「オヤァ? ドチラ様デショウ」
キルエの服の下で蟲の蠢く音が聞こえる。
「あら、すごい殺気。白雪姫ちゃんもえらく気性の荒い小人さんを選んだものね」
少女は髪を掻き揚げる。
「女の子にはもっと優しくするものだわ」
少女はキルエの毒蛇のように鋭く濁った瞳に物怖じすることなく、真っ直ぐと視線を返す。
「私の名前はイヴ。イヴ・クリムゾンよ。覚えといてね小人さん」
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