第2話 銀髪の少女には白いワンピースを
研究所を瞬く間に瓦礫に変えた男は、しげしげとガラスの中の私を見ていた。私と目が合うと、彼は恭しくお辞儀をする。
「オット失敬。お嬢さんをそんなにジロジロ見るものではありマセンネ。お初にお目にかかりマス。キルエ、と申しマス。エー……コード、ネーム? イヴ……イヴ=サンというお名前なのデスネ?」
プレートを読み上げながら、彼はニッコリと微笑んでいる。彼は私に興味を持ったようで、一方的に話しかけてきた。
「ここに来るまでに、7人のお友達に出会いマシタ。ミナサン仲良く旅立たれましたガネ、アハハ。彼らを造ったであろう研究ラボらしき部屋も、こことは別のところにちゃんとありマシタ。でも貴女だけはこちらにいらッシャル。何故デス? とても興味深――」
「私を連れ出して」
「ハイ?」
「私をここから連れ出してほしい」
「オヤオヤ、なかなかヤンチャなことを仰ル。自分で言うのもなんデスガ、この研究所をスクラップにしたのはボク達なのデスヨ? お姫様を助けに来たヒーローにでも見えマシタカ?」
「薬でおかしくなってるか、頭のネジを全部落としてきたように見える」
「大した目をお持ちデ」
「駄目? 私はここを出たい」
「イエイエ、駄目だナンテ。自発的な意思こそ、人間の持つ最も尊いものデスヨ」
「いいの?」
「エェエェ、喜んデ。これでもボクは紳士デスカラネ、アハハ」
キルエはガラスを叩き割ろうと、手にしたバールを振り上げた。
「そんな手間のかかること、しなくていい。さっきみたいに爆破してくれれば」
「オヤオヤ、今度は自殺志願デスカ?」
「爆発くらいじゃ死なない。やってみればわかる」
キルエは残忍な笑みを浮かべ、わざとらしく跪いた。
「仰せのママニ」
キルエがそう言うと、服の裾からボトリボトリと拳大の大きさの芋虫が床に落ちた。それがガラスに向かってウネウネと歩いているうちに、キルエは少し後ずさって距離をとっている。
「目くらいは瞑っておいた方がいいのデハ?」
「かまわない」
キルエはヒューと口笛を鳴らした。芋虫はガラスの中央まで上ってきたところで、突然爆発する。小規模な爆発ではあったが、ガラスは粉々に砕け散り、私は後方へ吹き飛んだ。ちょうどお腹の辺りで爆発が起きたから、その辺りの肉は焼け焦げ、ただれている。体中にガラスの破片が突き刺さっていた。
「ご希望には添えマシタカ?」
キルエはニヤニヤ笑いながら私に近付いてきて、またゆっくりと舐めるように私を眺めた。そして、私の体は、彼の目の前で、急激な自己再生を始める。傷口は塞がり、ガラスの破片はパリンパリンと音を立てて床に落ちた。
「……素晴ラシイ」
「これが、私だけが特別な理由」
◆
イヴの長い銀色の髪は、まだ培養液でしっとりと濡れている。肌は細胞の再生が常に行われているせいか、とてもきめ細かく均質だ。瞳も髪と同じく銀色で、それらの要素が、人間臭さのようなものをイヴから奪い去っていた。立ち上がったイヴは、小柄で、歳はおそらく15,6といったところだろう。ガラスの外に出たイヴを見てキルエは言った。
「とりあえず、イヴ=サンの服が要りマスネ」
ずっとガラスの中で培養液に浸かっていたイヴは、当然、服など着ていない。キルエは研究員の死体の中から、あまり焼け焦げていない白衣を剥ぎ取り、イヴに渡した。
「こんなことなら一人くらい爆殺以外で殺しておけばよかったデスネ。当座はこれで我慢して頂けマスカ?」
イヴは黙って白衣を受け取り、それを羽織った。それからキルエはメインルームの壊れた機器を漁り始めた。
「何してるの?」
「火事場泥棒、と言ったところデショウカネ、アハハ」
その後、二人は瓦礫と化したメインルームを出て、倒壊した柱の上に座っていたガルチュアと合流した。ガルチュアはすっかり元の姿に戻っている。キルエがイヴを連れて現れた時、ガルチュアはいつも通りの無表情だった。ただ一言「連れていくのか」と聞いただけである。キルエはいつもの調子で答える。
「彼女たっての希望デシテネ」
「駄目?」
ガルチュアは何も言わずに歩き出す。好きにしろ、ということだ。二人はガルチュアのあとを追って歩き出した。
◆
私達は工場の塀に囲まれた道を歩いていた。どこもかしくも浮浪者の作ったガラクタのような建物だらけである。昔は、それらの建物は木材やダンボール、ブルーシートなんかが多く使われていたそうだが、今では工場で廃棄された鉄やプラスチック、ガラスなど、実に様々なものが使わている。廃棄されたバッテリーやソーラーパネルなどを使い、生活の中で電気を普通に使っているのも、今では珍しくない。物好きな連中は、ネオンや電飾を使って無目的に家を飾り立てていたりする。
彼らが貧困に喘いでいるかといえば、案外そういうわけでもなく、各々生きていくために必要なものを揃え、それで満足しているようだ。
狭い道を歩いていると、自分の家の前で、拾ってきたものを広げて物々交換している者達がいる。キルエは時より立ち止まって、彼らと何か話をしていた。しばらくしてキルエが戻ってくると、手に白い布を持っている。よく見るとそれはワンピースだった。
「脅したの?」
「イェイェ単なる物々交換デスヨ。研究所から持ってきた基盤が役に立ちマシタ」「意外と普通なのね」
「こんなところで狂人ぶっテモ、何の得にもなりマセンカラネ」
ついさっきまで暴虐の限りを尽くしていたのに。キルエのことがよくわからなかった。受け取ったワンピースにその場で着替える。白衣をキルエに返すと、彼はそのまま近くにいた浮浪者にそれを譲っていた。少し先で腕組みをしながら待っている大男に追いつくため、キルエは再び歩き出す。
「ねぇ」
私は隣を歩いているキルエに話しかけた。彼は歩きながらチラリとこちらを見る。
「何デショウ?」
「貴方達はどこへ向かってるの?」
「先程のような研究施設のあるところ、デショウカネ」
「壊すために?」
「そうデスネ。まぁそれは目的の一部といった方がよいデスガ」
「じゃあ何が目的なの?」
「ボクと彼、彼はガルチュア=サンと言いマスガ……、彼とは目的が同一というわけではないのデス。彼が望んでいるコトについては、彼に直接聞いてクダサイ」
「貴方は?」
「簡単に言えば、面白い人形を見つけるコト……貴女みたいナネ。そして、つまらない人形は破壊するコト、デスカネ」
キルエは何故か人造人間のことを「人形」と呼ぶ。それにも何か理由があるのだろうか。ガルチュアは私達の話を聞く気はないようで、大股でどんどん先に行ってしまう。彼の足取りに迷いは無い。きっと彼にも明確な目的があるのだろうという気がした。
「うらやましい」
「ホウ、うらやまシイ、デスカ」
キルエはやはり私に興味を持っているようだ。私の話を聞くことを楽しんでいるように見える。
「ヨロシケレバ、うらやましく思う理由をお聞かせ願えマセンカ?」
「生きている間、やることがある。それがうらやましい。私は死ななくなった。ずっと生きている。だけど、生きていても、私には目的が無い。やることがない。生きていても、生きている理由がない」
キルエは興味深そうに何度か頷いた。
「なるホド、それで連れ出してほしいと言ったわけデスカ」
「ガラスの中にずっといたって見つからないと思う」
キルエはまた何度か頷いた。
「全ク同意デス」
◆
三人は湾岸地域を抜け、都心へ向けて移動していた。旧世代が整備したインフラは残っているが、今はそれらを使う人間自体があまりいない。例えば、昔は「フツウデンシャ」というものが、それぞれの駅に止まって、多くの「サラリーマン」がそれを利用していた。しかし、今や「サラリーマン」と呼ばれる存在が一般的ではなくなり(一部の富裕層の中に存在はしているが)、「フツウデンシャ」を使用する人間がいないので、それらは既に廃止されていた。今や「デンシャ」とは長距離間を移動する時のみ、金持ち達が使っている。同じように、他にも施設はあるが、使う人間が富裕層に限られるものは多く存在していた。
「一応先に断っておきマスガ、我々と行動を共にした時点で、貴女は追われる身になりマス。それはかまいまセンカ? 我々はこれまで、いくつか研究所をスクラップに変えてきた身デスノデ」
「かまわない」
「おい」
ガルチュアが不意に振り向く。
「つけられてるぞ」
「言ってるそばからデスネ。おおかた、さっきの研究所が緊急信号でも発していたのでショウ」
ガルチュアとキルエは目配せした。
「イヴ=サン走りマスヨ」
三人はゴチャゴチャとした通りを縫うように走った。追跡者は二人組らしい。三人は周りが塀で囲まれた袋小路に辿り着く。
「アンタらかい? 研究所をブッ潰してる頭のおかしい連中ってのは」
獲物を追いつめたハンターよろしく追跡者が姿を現す。一人は金髪を逆立てたチンピラのような恰好、もう一人は両目にレンズを埋め込んだ義眼男だ。
「研究所の被検体ごときと俺達を一緒にされちゃ困るぜ。あんなデータだけ取られてるような糞モルモットじゃやられて当然だ」
金髪男は唾を吐き捨てる。
「随分と余裕がおありなご様子デスガ……」
周囲からガサガサという不快な音が聞こえる。キルエはここに来るまでに、既に無数の蟲を放っていたのだ!
「とりあえずこの爆弾の雨が止んでも立っておられるようナラ、その時改めてお相手いたしマショウ」
言い終わるや否や、無数の羽蟲が追跡者に殺到する! KABOOM! KABOOM!KABOOM! 無数の爆発が起き、爆炎で視界が埋まる。呆気なく片が付いてしまったかに見えたが、ガルチュアは油断無く戦闘態勢に入った。メキメキと音を立て、触手が伸びる。
「確かに研究所の連中とは違うようだ」
「え?」
どう見てもこれでは生きていない。そう思ったイヴはキルエの方を見る。だがキルエもニタニタと笑っていた。
「そのようデスネ。少しは楽しめるかもしれナイ」
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