それから


 目が覚めると今日も嫌になるほどの快晴だった。

 10月に入ったというのにうだる暑さは健在で、他から遅れて地上に這い出した蝉まで鳴いている始末だ。


「あんた、今日はお父さんの手伝いっしょ? はよ準備しね」


 母親に言われて今日の予定を思い出す。さっさと顔を洗って支度をせねば。

 まずは火薬取扱の資格取得もしなければならないが、見て覚えるのも大事だし、何より雑用が山ほどある。

 とりあえず10年修行だと言われた。先の長い話ではあるが、10年面倒見てやる宣言だと考えれば有り難い。

 洗面所へと向かおうとしたとき、後ろから再び母が声をかけてくる。


「そういえば、あんたこの間お酒買った?」


「ん? ああ、少し前に親父に聞いて。どうして?」


「お父さん、てっきりあんたと酒飲めると思ってすっごい楽しみにしとったよ。口には出してないけども。可哀想だから誘ってあげんね」


 あの親父が?

 いつもの厳ついしかめ面が浮かび、何だか妙な気分になる。

 親子でも、結構知らない一面があるものだ。


 とりあえず今日の夕方にでも酒屋に行こうと、頭の中の予定表に書き込んでおいた。


     ◇


 次の休日。大きめのリュックサックを背負い、少しゴツめの登山ブーツを履いて表へと出る。

 母はもう慣れた様子で俺のことを見送る。親父は朝食に姿を見せなかったが、多分二日酔いだろう。


「あら、今日も山? いつも元気ねえ」


「ええまあ、いいですよ山」 


 すれ違う人と挨拶をしたりしながら、山道へと入る。

 相変わらず無遠慮に生い茂る草を払いつつ、足場を踏み固めていく。

 将来的には石かコンクリートで舗装したいところだが、今はまだそこまでは難しい。

 地主には好きにして良いと言われているがあまり協力的ではないし、まずそこを籠絡するところからだろうか。


 2時間ほど道を作りつつ進むと、見慣れた神社へとたどり着く。

 何だか最近体力がついた気がする。これぞ信仰の賜物である。

 『健康のためのトレッキング』という宣伝文句が浮かび、ポケットからメモ帳を取り出して書き込む。

 頭を小さく下げてから鳥居をくぐり、参道を進み、本殿の前に立って二礼二拍手一礼。

 今まで散々中に上がって飲み食いしてた身で今更な気はするが、まあこういうのも大事だろう。

 汗で少し湿ったリュックサックをその場に置いて、軒下から大きめの箒を引っ張り出す。

 少し前に苦労して持ってきた竹箒だ。流石にこれを持って登ろうとすると、奇異の視線で見られたが。

 外から覗く本殿も、以前よりは片付いた。

 とりあえず天井だけはプラスチックのボードで簡単に塞いだので雨がこれ以上中を荒らすことはないが、本職を呼ばないとしっかりした修理は難しいだろう。

 いや、それとも最近ならDIYなんかも流行っているし、個人でも勉強すればそれなりにいけたりするのだろうか。

 汗が額から頬伝い、雫になって落ちたところで考えを止め、気持ちを切り替える。

 汗を拭い、手持ちのペットボトルで水分補給をすると境内の掃除へと取り掛かることにした。



 あの日から菊は姿を見せることはなかった。

 何となく予感はしていたことだが、それでも信じたくはなかった。

 というかムカついていた、あれだけ世話しておいて、一人で消えるなど勝手にも程がある。

 自分を頼ってくれなかったというのが、何よりも情けなくて、悔しい。

 

 まあ彼女の性格を考えれば、人間に助けを求めるなんて神様としては考えられなかったのだろう。

 ならばこちらから何とかしてやるしかない。

 この神社に再び人が集まるようになれば。かつての信仰を取り戻してやれば。あるいは。

 ただの希望的観測に過ぎないが、それでも神様はいるのだ。きっと信じれば叶うのではないだろうか。

 

 少なくとも、彼女が居たこの場所が。彼女と過ごしたこの場所が。

 このまま誰にも知られぬまま、寂れていくのは耐え難いことだった。



 掃除を終える頃には太陽が傾き、空の色が変わりつつあった。

 日が短くなったことを実感しながら、ぱんぱんと手を叩いて汚れを払う。

 境内に置きっぱなしになっていたリュックサックから酒瓶を取り出し、一緒に用意しておいた紙コップ2つに注ぐ。

 山を下ることを考えて自分の分はほんの少しにしておくが、もう一つもあまりなみなみとは注がないでおく。


「……酒グセ悪かったしなあ」


 本殿の軒先に一つを置いて、コツンとコップの縁を当ててから自分の分を飲み干した。

 口に広がる酒精に少し懐かしさを感じながら、そろそろ下りないとまずいだろうと片付けを進める。

 誰もいない本殿を背に鳥居へと向かう。伸びた影が境内に落ち、視線が自然と下を向く。

 その刹那。


 ――またの、次は食い物にせい。


 慌てて振り返る。しかしその先には誰もいない本殿があるだけだ。

 幻聴だろうか。

 いや、違う。何の根拠もない、それでも不思議とそう思えた。

 

 さて、またコンビニのいなり寿司にしようか。それとも何か他のものがいいか。

 次の土産を考えながら、前を見据えて歩く。

 この場所で、もう下を見ることはない。


 歩みは自然と力強くなる。

 後ろを振り向くことはなく手を降って、俺は鳥居をくぐり抜けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨上がりは線香花火を 紅生姜 @benisyouga

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ