花火

 夜の山中、寂れた神社の隅に二つの影があった。

 一つは成年間もない男。一つは狐の耳と尻尾を生やした着物の少女。

 二人は境内にしゃがみ込み、目の前の小さな灯りを見つめている。


「――きれいじゃの」


 少女が小さく呟く。すると青年は嬉しそうに笑う。

 二人が見つめる光は線香花火。それぞれが手に持ち、小さく火花を散らしている。


「良かった、菊に一番に見せたかったから」


「――そうか」


 少女はくすぐったそうに笑う。耳がピクピクと前後に動き、尻尾の先端が揺れた。


「ずっと考えてた」


 青年は小さくなりつつある花火を見つめながら言う。


「なんで菊が、会ってくれなくなったのか。自分なりにだけどさ」


 少女が小さく息を飲む。ぽとりと火玉が落ちる。

 青年は新しい花火を差し出しながら言葉を続けた。


「きっと、俺は菊に甘え過ぎたんだろうな。だから菊を困らせてしまった」


「それは……いや、そうじゃな」


 迷うようにして、少女が肯定の返事をする。目を伏せ、その表情は青年からは窺えなかったが、少しだけ声は震えていた。


「だから、もう一人でも大丈夫だってとこ見せたくてさ」


「――そうか」


 再び少女は笑う。少しだけ寂しげに。


「でも、これだけは分かって欲しい」


 青年は顔を上げ、少女を見つめる。


「俺は本当に、菊に救われた。菊がいなかったら、俺はどうなってたか分からない。だからさ、これはお礼なんだ」


 少女はしばらくきょとんとして、それから吹き出す。

 ケラケラと笑う少女に青年は頬を赤く染めるが、何も言わず俯いた。


「本当にお主は……ああ、もうよいよい。そういう堅苦しいのは、もうなしじゃ。ぬしとわしの仲じゃろ」


「どの口が……」


 少し恨めしげに青年は少女を睨むが、やがて諦めたように視線を落とす。

 その口元には笑みを浮かべながら。

 

 線香花火の火花の散る音だけが境内に響く。

 時間の経過を数えるように燃え尽きた花火が足元に重なる。

 ふと、何か大事なことを思い出した様子で青年が口を開いた。


「線香花火にはさ、それぞれの火に名前がついてるんだよ」


「ほう?」


 笑顔の男が少女に優しく語りかける。少女も可愛らしく小首を傾げて応えた。


「まず火をつけた最初、大きな火の玉が出来る。それが『牡丹』」


 少女は興味深げに手元の光を見て頷く。

 二人の持つ花火は最後の力を振り絞るように火花を散らしている。

 その輝きは黄金のようで、少女は魅入るように見つめていたが、すぐにぽとりと地に落ちて冷たく消えてしまった。

 

「……ありゃ、もうこれで最後か」


 男が袋から二本の線香花火を取り出す。

 くしゃくしゃと紙袋を丸め、ろうそくを使って花火の先端に火を灯す。

 大きな丸い『牡丹』が二つ生まれ、小さな火花をパッパと散らした。


「んで、次が『松葉』。これが一番激しい」


 男の言葉通りに火の様子が変化する。

 火花が大きくなり、ぱちぱちと音を鳴らして弾ける。

 

「次が『柳』」


 少し火玉が小さくなり、火花もおとなしくなり始める。

 火花が長く下に垂れる様子は、確かに柳を連想させた。


「最後が――『菊』」


 少女が顔を上げる。

 青年は手元の火花を見つめ続ける。

 消えないように、じっと身を固めてその輝きを見守り続ける。

 黄金の火花が小さく、それでも力強く弾け続ける。

 くすりと、笑い声が漏れた。


「余計な気は使わんでよいわ、本当は『散り菊』じゃろ」


 青年が僅かに身を強張らせる。まだ火花は消えない。

 小さく、今にも消えそうになった火玉だがまだその役目を終えまいと震え続けている。


「知ってたのかよ……」


「最後の『菊』だけな、随分昔に聞いた話じゃが自分の名が入ったものは忘れないものじゃな」


 光が段々と小さくなる。夜の闇が濃くなっていく。


「本当に、きれい」


 ふっと、風が吹いた。

 ろうそくが消え、暗闇が辺りを包む。


 青年は慌てて懐中電灯を取り出し、再び明かりをつける。

 照らし出された神社にある影は、青年一人のものだけだった。

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