工場飼育についての所感
鰐人
所感
ベランダから、工場の呼吸する姿がよく見える。
私の住むこの町は県下屈指の工業地帯にあり、大小合わせて十数体以上におよぶ工場を飼育している。工場たちは瀬戸内に面した湾岸地域にずらりと横一列に並んでおり、日々原料を食っては製品を排出し、エネルギーを飲んでは煙突からもく、もく、もくと煙を吐き出している。
この地域の産業は彼らに大きく依存している。工場はその種類によって必要とする食料も排出する製品も異なることが広く知られているが、この近辺で飼育されている工場も実に様々であり、苛性ソーダだったり、石油製品だったり、ステンレスだったり、合成ゴムだったり、セメントだったりを彼らは排出する。工場の排泄物に過ぎないこれらがたまたま人類にとって有用な製品となりえるものだったため、古くからこの町の住民たちと工場たちとの間には大規模な共生関係が築かれており、それが現在まで続いているのだ。
私も工場飼育員として働く者のうちの一人である。工場の体表やときには体内を走り回り、工場の食料となる原料や電力といった各種エネルギーを運搬したり、工場の排泄物から有用な製品とダストを区別したり、工場の身体を清潔に保ってやったりするのが我々の仕事だ。24時間ひっきりなしに飲み食いを続ける彼らの世話はやはり24時間体制で行われ、深夜であろうとお構いなく彼らは体の不調を訴えてはアラーム音に似た泣き声をあげるので、手がかかることこの上ない。夜泣きを続ける赤子のようなもので、誕生してから何十年と経った今でも赤子のままなので手に負えない。
物を食って消化して製品として排泄する、それだけだったはずのプロセスは効率化を図りたい人間たちの手によって半ば強制的に進化を遂げられており、様々な装置がくっつけられてサイボーグだかアンドロイドだか巨大ロボットだかなんだかよく分からない出で立ちとなっている。赤ん坊を一人置いてみて、そいつに食べ物を流動的に流し込むパイプやら強力な胃酸を吐き出すスプレーやら体温を自動的に調整するスーツやら糞尿を浄化して再び食べ物として再利用する装置やらを装備させた状態を想像すれば、それが一般的な工場の姿の適切な比喩となる。そう表現すると我々の仕事が非人道的な行いのように思えるが、そうまでしなくては健全に生きていけない工場の生態の方にだって問題がある。
工場飼育に必要とされるものについて。何よりも重要なのは広い土地。それを用意して工場の幼体をポンと放り込んでおけば、次第に成長して大きくなっていく。粉塵や騒音はできるだけ取り除くべきである。これは粉塵や騒音自体が工場の発育を妨げるのではなく、粉塵や騒音に対して寄せられる近隣住民のクレームが工場をしょんぼりさせてしまうからである。工場はわりと繊細で打たれ弱いので、寛大な愛情を持ってしっかり守ってやらなければならない。
工場が際限なく大きく育っていくのは、過去の写真を遡ってみればよくわかる。はじめはぽつりぽつりと散在するだけだった工場たちは十年、二十年と経つにつれてその規模を明らかに拡張していっている。時には海の方まで進出したがり、しかし工場は泳ぐのが苦手なので、しょうがないからその下に埋め立て地を用意してあげたりした。埋め立て地の上に恐る恐る身体の一部を預けてみた工場は、それが沈まないことを確認して安心し、嬉しそうに煙突から煙をいつもよりたくさん吐き出して、環境庁から怒られてちょっとしょんぼりしたそうだ。
工場夜景。それもこの町にとっては欠かせない。夜になると工場は身体の各所をちっかちっかと様々な色に光らせる。求愛行動なのだとも、真っ暗だと怖くて眠れないからだとも言われている。工場たちが夜、一斉に光を放つ姿はたいそう美しく、この地域ではそれらを観察するためのナイトクルージングが催されている。ホエールウォッチングよりは遥かに対象と遭遇しやすいため、結構な人気を誇っている。
工場夜景の問題点として、工場本体からはその美しさを確認できない点が挙げられる。工場のために昼夜を問わず走り回っている我々は、この工場の光る姿を楽しむことはできない。仕事中なのだから楽しめないのは当然で、文句を言う前に仕事に勤しめと言われればそれまでなのだが、工場夜景の美しさは我々工場飼育員の過酷な労働によって支えられているということを努々忘れないでいただきたい。これは忠告なのではなく、ただの嫌がらせに過ぎない。ほら、もう純粋には工場夜景を楽しめなくなったでしょう。
工場の町。巨大な生物を世話する町。ここに住み始めてようやく一年半が経つ。始めは物珍しかった巨大な煙突の立ち並ぶ姿も今ではすっかり日常の景色となっており、もく、もく、もくと間断なく吐き出される煙を見ては彼らの元気な姿に安堵する。
久しぶりの休みに、ベランダから工場の姿を眺めながら、私は煙草を一本吸う。私だって工場と同じだ。飯を食って煙を吐き出しているし、誰かの助けがなくては生きていけない。
海に向かって佇む工場。我々のために製品を排出しつづける巨大な赤子。願わくば、この先も健やかであり続けることを。君たちの成長こそがこの町の歴史であり、そして今や私の生きがいでもあるのだ。
工場飼育についての所感 鰐人 @wani_jin
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