第6話 At the library,......
放課後、教室を出て流しで手を洗い終わると瀬田さんの後姿が遠くに見えた。彼女は渡り廊下への角を曲がった。屋上へ行くルートではない。僕はハンカチで手を拭きながら、速足で追いかけた。
「瀬田さん。」
人気のない廊下に僕の声は響いた。彼女は振り返り、足を止めた。
「どこ行くの?」
「図書館。」
この学校の図書館は校舎と少し離れたとこにある。
「僕も行っていいかな?」
「それはあなたの勝手でしょ?」
そう言うと彼女は歩きだした。
校舎を出る。今日は一日中雨だ。図書館までの道は屋根がついていて、上履きでも歩けるように、白いコンクリートで滑らかに舗装されている。雨は僕らを濡らそうとするが、一部透明の屋根に阻まれ、パラパラと打ち跳ねる。
「何か借りたい本でもあるの?」
「今日は勉強のため。」
「瀬田さんは勉強好き?」
彼女は会話をしてるときでも僕の方を見ない。
「楽しいと思うことは少ないけど、必要だとは思うわ。」
彼女の言葉は的確だと思った。雨は止みそうにない。遠くに傘を差した生徒が下校していくのが見える。
「あなたは、好きなの?」
「好きか嫌いかで言うと嫌いだね。」
風が吹き、雨が白いコンクリートを濡らす。図書館の明かりが見えた。僕らは逃げ込むように走った。
ガラスをはめ込んだ重たいドアを開ける。放課後の図書館はほとんど人がいないようだ。ただ白い蛍光灯の光が室内を明るく照らすだけだった。僕はカウンターに就いている司書さんと目が合ったので、軽く会釈した。
「私あっちだから。」
彼女は小さな声でそう告げると、図書館の奥にある勉強スペースの方へ歩いて行った。僕は適当な本をとると、彼女の後を追った。
勉強スペースには僕らのほかに三人の生徒がいた。僕は一つ席を開けて、彼女の隣に座る。部屋は沈黙に包まれていた。文字を描く音だけが鳴りやまなかった。彼女もシャープペンシルをカチカチとノックし、ノートに向かった。しばらくして、彼女は僕が見ていることに気付いたのか、紙切れを僕の方に滑らせた。それには整った文字が描かれていた。
『まるでストーカーね』
僕はため息をついて本を読み始めた。
この物語は場面転換が多い。現実のほかに派生する空想の物語がいくつかある。それぞれの物語は滑らかにつながり、混ざり合う。複数あった伏線は絡み合い、つながるようでつながらない。時間をさかのぼり、仮の現実が語られ、ついに時間の概念はなくなってしまったようだ。作者の主張は見えてこない……。
僕は途中で本を閉じた。きっと今読むべき本ではないのだ。かといって、これを意欲的に読める時がいつなのかは想像できなかった。ほかの生徒は三人とも帰ってしまったようだ。
「トイレ行ってくるね。」
「どうぞ。」
図書館のトイレは広くてきれいだ。すりガラスの窓のむこうではまだ雨が降っている。僕は顔を洗って曇りひとつない鏡を見た。蛍光灯の光が震えている。あまりに静かな空間で、ここが現実かどうか疑わしくなってくる。怖くなって急いでトイレを出た。
僕が帰ってくると瀬田さんは背もたれに寄りかかり、目をつむって顔を上げていた。何かに祈っているような素直な顔だ。僕は隣に座りノートを覗いた。座標にいくつかのグラフが描かれている。そのわきに数式が並んでいた。僕はまだ公式をうまく使いこなせていないが、瀬田さんの整然とした数式の並びを見ると、僕にも理解できるような気がした。
「グラフは人の歩んでいく道で、座標は世界そのもの。そうだとしたら交点はその人たちが出会うってこと。交わらないグラフ同士もある。一生出会えない人もきっとたくさんいるのね。距離のある平行線が交わらないように。」
そういうと彼女はまた目を閉じた。
「僕らのグラフには交点があったってことだね?」
「そういうことになるわね。」
彼女は目を閉じたまま微笑んだ。
「もう帰るわ。あなたはその本の続きを読むのね?」
「冗談でしょ? この本読んだことある?」
瀬田さんは満足そうな顔をしてノートを鞄に入れた。
図書館を出ると雨は静かになっていた。
「数学得意なんだね。」
「授業についていくのに精いっぱいよ。」
「瀬田さんはいつもあんなこと考えてるの?」
「少し考え事してただけ。」
下駄箱にほかの生徒の靴はもうなかった。
「雨、止んだね。」
僕はビニール傘、瀬田さんは暖色系の柄物の傘を持っていた。
「うれしそうね。」
「君も近くにいるからね。」
「晴れと私どっちが好き?」
「君がいない晴れの日はきっと今日よりもつまらないだろうね。」
彼女の口の端が少し動いた。
僕は校門で瀬田さんと別れた後夕焼けに染まる帰り道を歩いた。僕らのグラフは今後どのような線を描いて、その距離はどう変化するだろうか。濡れた温かいアスファルトが二人の座標に点を刻んでいった。
She is on the rooftop offter @offsan
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