阿佐ヶ谷にくるまれて

えびあさ

阿佐ヶ谷って、おくるみみたいな街である

 新宿駅からJR中央線で十分弱。隣駅の高円寺ほどは有名じゃなく、反対側のお隣、荻窪ほどには大きくない。土日祝日には快速電車に飛ばされます。

 それが私の住む街、阿佐ヶ谷あさがやである。

 週末に快速電車が止まらない件について、賛否両論あるけれど、私にはいかにもこの街らしい立ち位置に思えて、好もしい。

 都心に近いのに、程よくローカル。程よい賑わい、程よい静けさ。阿佐ヶ谷はマイペースにのんびりした街だ。

 それにね、と私は言い、

「阿佐ヶ谷の優しさなんじゃないかとも思うの。平日は電車で出かけて仕事や学校に行く皆を、週末はこの街というおくるみで包みこんで安らがせようっていう……」

「はあ?」

 と、呆れ声を出したのは、隣に座る高校生、マミコちゃん。

実加みかは夢見る夢子だな。『杉並三駅』でググってみ。脳内お花畑女子の言葉がいかにヒンシュクか、詳らかになるからよ」

 んん。とまあ、歯に衣着せぬ、清々しさのある子。

 ここは阿佐ヶ谷神明宮。マミコちゃんとはこの神社で出会った。私は駅近にあるこの緑豊かな神社が好きで、よく訪れる。境内のベンチに腰かけ、さやさやと風に吹かれているだけで、心が軽くなる気がするのだ。その効果を実感していたのは、私だけじゃなかったみたいで。何度か顔を合わせるうち、お話しするようになったのが、マミコちゃんである。

 マミコちゃんは現実主義者っぽいけれど、実は彼女、幽霊とか妖怪とか、この世ならざる存在が見えるそうで。その能力のせいで色々あり、現在学校をお休み中だそう。

「でも、焦ってもしかたないべな」

 と、マミコちゃん。

「まずはこの能力と折り合わないと。それに、この街は人生の休息を許してくれる。ここはそういう伝説も残る場所だろ」

 というのは、神話の時代、ヤマトタケルが戦からの帰途、この阿佐ヶ谷の地でひと休みしたという伝承があるのだ。

 父帝の命令で、全国鎮定のため西へ東へ戦に向かわされ、故郷の都に居つかせてもらえなかったヤマトタケル。マミコちゃんはそんな彼に共感を覚えている。彼女にとって、都心にある女子高へ通い続けることはきっと、殺伐たる戦地に赴くかのごとき悲壮感があったのではないかな。

 彼女曰く、

「阿佐ヶ谷に帰ると、紐がパッて、ほどける気がする。紐ってのは、他人からの思惑とか、自分からの他人への期待とか、そういう目には見えないつながりね。きっとタケル兄さんも(と、マミコちゃんは悲劇の皇子を兄さん呼ばわりする)、この街では武装を解いて、ほどけられたんだろうな。それにここじゃ、この世のものじゃないやつらも比較的静かだ。阿佐ヶ谷に心があるかどうかわからないけど、何ぴとも休ませる懐の深さは感じるわな」

 いやまったく。阿佐ヶ谷は懐が深い。

 マミコちゃんみたいに特殊能力を持った子も、私みたいな地方出身者で小説家を目指して幾星霜、うだつのあがらない日々にとほほな人間も(うう、涙)、等しくくつろがせてくれる。

 テレビで見る芸人さんや、学者の先生たちも普通に道を歩いているし、あの伝説の海賊ジャック・スパロウも自転車で走っていたりするし(有名な実話。彼はすでに冒険の海に還ってしまったけれど)。

 私のアパートの部屋のお隣には、驚くなかれ、本物の正義の味方(そう。宙を飛び、弱きを助け強きをくじく、あの本物のヒーローだ!)だってお住まいですしね。

 数多くある居酒屋さんや喫茶店。誰もが自分の巣を、必ずひとつは見つけられるでしょう。

 中杉通りのケヤキ並木は、春夏、緑麗しく、秋は黄金のアーチとなり、冬枯れもまた一興、皆の目を楽しませる。

 夏の風物詩、七夕祭り。秋の恒例、ジャズ・ストリート。お祭りやイベントもたくさん。

 阿佐ヶ谷って実に、色んな年齢の、色んな生き方をしている人、色んな国、色んな世界からやって来た人がいて、皆でふんわりまとまって、ゆるやかに生きられる。この世もあの世もどの世もひっくるめられる、街の包容力を思わずにいられない。

 生来現実と空想を行き来しがちな私にとって、この街の居心地の良さは至上だ。

 光に吸い寄せられる虫のごとく、阿佐ヶ谷に住みついて、五年。

 懐の深いこの街に着床した私は、おくるみの中で慈愛深く培養されている気がする。


 ある土曜の朝。

 折り入ってお話が、と隣に住む正義の味方くんに切り出され、とうとうこの日が来たかと思った。

 きっと彼は、私が彼の秘密――夜ごと空を飛び、正義の味方の活動をしていること――を知っていると勘づいたのだ。その折衝が目的だろう。

 だとしたら、私も打ち明けなければなりますまい。不肖私が小説家を目指していること、それに、勝手に彼をモデルに物語を執筆中だってこと。

「では、ギオンでモーニングでもしながら」

 ということで、私たちは歩き出した。

 と、道中出くわしたのは、なんと、身長二十センチメートルくらい、金太郎みたいな腹掛をした男の人。噂に聞く謎の妖精、「小さいおじさん」じゃないですか。

 私と正義の味方くんは顔を見合わせた。そして、駆け去る小さいおじさんを見送りながら、ふわっと微笑み合った。さもありなん、ここは阿佐ヶ谷だからね、って。

(了)

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