69 予期せぬ遭遇


「やっぱ上手いよなぁ」


 僕はドリンクバーの前で二つのコップを手に呟く。

 何が上手いかと言えば、それは司波さんの歌だ。

 とても素人とは思えない歌声とそのテクニックに、正直何度、改善点を探すのを忘れて聞き入ってしまったか分からない。

 今は連続で何曲も歌っていた司波さんが休憩していて、その間に僕が自分と司波さんの分の飲み物を注ぎに来ているというわけだ。


「この調子ならすぐにでも歌枠できるんじゃないか……?」


 そもそも今のクオリティなら配信で歌枠をするにしても十分に誇れるレベルだと思う。

 なのにどうして今更カラオケにやってきて練習する必要があったのだろうか。


「あれ、亮くん?」


「え……?」


 そんなことを考えていると、ふと後ろから呼び慣れない下の方の名前で呼ばれる。

 こんな呼び方で僕を呼ぶ人なんて今の僕の周りには一人しかいない。

 でもまさかこんなところでと思いつつ振り返る。

 しかしそこには僕の予想が的中しているのかいないのか、クラスメイトで司波さんの親友でもある東雲さんがコップを片手に立っていた。


「やっぱり亮くんだ。普段と雰囲気が全然違かったから、最初分からなかったよー」


「し、東雲さん……」


「どうしてこんなところにいるの? 一人?」


 突然の遭遇に固まる僕を余所に、東雲さんはまくし立てる。

 東雲さんの勢いに僕は思わず後ずさるが、東雲さんは意図しているのかしていないのか、後ずさった分だけ身を乗り出してくる。


 しかしこれはどうするのが良いのだろうか。

 全てを正直に話すわけにはいかないし、かといって部分的に話したとしても、僕と司波さんが二人きりで遊びに来ているという事実を知られて良いものか悩みどころだ。


「まったく、ドリンクバーにどれだけ時間かかってんのよ……って、え……」


「し、司波さん」


 しかし僕がそんなことを考えていたのを全て無に帰すように、司波さんがやって来てしまう。

 そうなれば当然、司波さんも東雲さんと鉢合わせてしまうわけで。

 案の定というべきか、東雲さんに気づいた司波さんは固まってしまっている。


「あれ、凛? こんなところで何して……って、なるほど。そういうことか」


 一体何に納得したのか、にやにやしながら頷く東雲さん。


「ち、違うからっ! 普通に遊びに来ただけだからね!?」


「そうなの?」


「ま、まあそうですね」


 東雲さんは相変わらず僕たちに疑いの目を向けてくるが、僕たちの関係について本当のことを言うわけにはいかないので、僕は適当に司波さんの話に合わせる。


「じゃあ私もそっちの部屋に行っていい?」


「え……」


 突然の提案に僕は思わず固まる。

 司波さんに至っては露骨に嫌そうな表情を浮かべている。


「遊びに来てるだけなら別にいいでしょ? それともやっぱりお邪魔かな?」


「そ、そんなことないから! き、来たければ勝手に来ればいいじゃない」


 売り文句に買い言葉とは、もしかしてこういうことを言うのではないだろうかなどと的外れなことを思いつつ、僕は二人の会話を聞いている。

 だがいつもは強気な司波さんも東雲さんには弱いのか、東雲さんの思惑通りに話が進んでいるような気がする。


「部屋番号は?」


「な、七よ」


「じゃあ皆に一言入れてくるから、待ってて!」


 そう言い残すと東雲さんは早足で自分の部屋に戻っていく。

 皆、というのは恐らく東雲さんが一緒に来た友達とかだろうが、その人たちを放って僕たちの部屋に遊びに来たりして本当に良いのだろうか。


「…………」


 そんなことを考えていると、隣から不機嫌なオーラが嫌と言うほどに伝わってくる。

 恐る恐る横を窺ってみると、そこには明らかに不満そうな表情を浮かべた司波さんがこちらをジト目で見てきている。


 そんな視線を向けられたところで、今日カラオケで東雲さんと会ったのは偶然で、話がこんな風に進んでしまったのも僕のせいというわけではないはずだ。

 恐らく司波さんもそれを理解しているからこそ、視線だけで、特にそれ以上の文句を言ってくる気配がないのだろう。


「……コップ」


「?」


「コップ、一つ貸して」


「あ、はい」


 有無を言わさない司波さんの口調に僕は大人しく二つのコップの内の一つを司波さんに渡す。

 当然嫌な予感は漂ってはいるが今の僕に反抗できるほどの勇気もなければ、そんなことが許される雰囲気でもない。

 だがそんな僕の不安を余所に司波さんは特に何もすることなくドリンクバーに近づく。


「……?」


 司波さんは一体何を飲もうとしているのだろうかと気になってみていると、意外なことに司波さんが注いだのはコーヒーだった。

 しかも見ている限りでは特にミルクや砂糖を入れる気配もないということは、恐らくブラック。

 司波さんがブラックを飲むのは予想外だったが、もしかしたら普段からブラックのコーヒーを飲んだりするのかもしれない。

 そんなことを考えている内に、コーヒーを注ぎ終わった司波さんが戻ってくる。


「はい、これ」


「え?」


「これあんたのだから」


「……え?」


 しかし司波さんは戻ってくるやいなや、僕にコーヒーのコップを差し出してくる。

 なかなか受け取らない僕を見かねたのか司波さんは強引に僕にコーヒーのコップを握らせると、もう片方の空のコップを奪い取っていく。

 そして再びドリンクバーの下へ行くと、今度は普通に炭酸飲料を注いでいた。


「……ま、まじですか」


 どうやらこのコーヒーは司波さんなりの八つ当たりらしい。

 僕は思わずため息を吐くと、ドリンクバーの近くに用意されているミルクと砂糖を取りに行った。

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告白したクラスメイトが実は有名配信者で、その秘密を知った僕は配信の手伝いをさせられている きなこ軍曹/半透めい @kokiyuta0203

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