第4話 11/5 お題『雨』

 504号室のハマグチは雨が嫌いだ。

 雨の日になるといつもの活動的な様子からは打って変わって部屋の中に閉じこもってしまう。だけど元々が活動的で社交的な性格であるから、1人きりで部屋にいることが出来るのは精々1日がいいところ。雨が二日以上続くと、他の部屋の住人を自室に呼びつけるか、あるいは他の部屋に上がり込む。そして雨が止むまで喋り倒し遊び倒す。

 その日も三日連続で続く雨の日の午後だった。

 前日にレンタルしてきた映画のDVDとスナック菓子とスプライトのペットボトルを片手に雨天の休日に胸を膨らませていた僕の携帯が、『帝国のマーチ』を奏でた。高揚感に水を差すような着信音。無視していればその内切れるだろうと思ったが、30秒経っても1分経っても鳴り続ける音楽に、僕は電話の向こうの相手がハマグチだということを悟った。

「もしもし」

『おう。ヤマダか? 今何してる?』

「勉強してる」

 僕は嘘を吐いた。

『じゃあ俺の部屋来いよ。この間出た"エクストリームライジングドラゴン4"のBlue ray買ったんだ。見たいだろ?』

「……」

 ハマグチの誘い文句というのはこれまた巧妙で、たとえ部屋に行く気がなくても行く気を起こすような何かを引き合いに出してくる。今回は僕が大ファンを公言しているアクション映画の最新作だった。劇場にも三回ほど足を運んだが、家でもあと十回は見たい傑作だ。正直なところ今手にしているB級ホラー映画の2億杯は面白い。

 四秒迷った挙げ句、僕は自分の部屋を出た。ついでにスナック菓子とスプライトのペットボトルも持って。

 僕の住むマンション"グランドキャッスル城ヶ崎"は地上二十階地下三階のタワーマンションで、インスピレーションのままに直方体を積み上げていったような複雑な外観をしている。しかも内部構造は外観の5倍は複雑で、さながら地上20階建ての大迷宮だ。住んで一年弱経った今でも、全貌を把握していない。そんな迷宮だかマンションだか分からないマンションであってはたった二階層上のハマグチ家を訪問するだけでも一苦労。ようやく彼の部屋のインターフォンを押した時には、電話を受けてから10分近く経過していた。

「遅かったな。まあ上がれよ」

「言われなくても」

 僕の部屋とは微妙に造りの違う玄関で靴を脱ぎ、部屋干し衣類のカーテンを掻き分け、僕は今の左隅に腰を下ろした。ハマグチ家での僕の定位置だ。

「雨だからな」

「知ってるよ」

「ま、これでも食え」

 ご丁寧に用意された山のようなお茶請けを遠慮なく頂き、早速彼に映画のDVDを要求する。僕がここに来たのはハマグチの暇つぶしに付き合うためではない。宇宙一面白い映画を観るためだ。

 やはり冒頭から突き抜けた映画だ。四回目の観賞だというのに見る度に新たな発見がある。僕は初見の時と何ら変わらない気持ちで画面上のど派手な映像に食い入っていた。

 雨の日の沈鬱とした気持ちを吹き飛ばす爽快なエンディングを終え、何度味わっても色褪せない心地よさに浸っていると、僕はハマグチが口を半開きにして窓の外を見下ろしているのに気がついた。口は半開きだが目は真剣で、時折動いては何かを探している。

「どうしたの?」

 急に声をかけられたことに驚いたのか、ハマグチは肩を振るわせて首を振った。

「何でもねえ」

「何でもなくないな」

 丁度スタッフロールも終了したので僕も窓際に寄る。通りに面したハマグチの部屋からは、路上を行き交う色とりどりの傘たちを見下ろせた。小さな傘、大きな傘、足早の傘、のんびりとした傘。人ではなく傘自体が生き物のように、僕の視界を横切っていく。

 僕は眼下と隣のハマグチとを交互に見比べながら、直感を口にした。

「恋」

「は?」

「恋する野郎の目だな」

「ち、ちげえよ」

 僕はハマグチの目を覗き込む。斜め下や真横や斜め上に泳ぐ視線。クロだと確信した。

「どの人?」

「違うって」

「あの赤い傘」

「違う」

「あの黄色いやつ」

「違う」

「……じゃあまさかあの変な『晴』の字が入った傘」

「……違う」

 微妙な間があった。

「正解か」

「……だったらどうしたんだ」

「告白しよう」

「まてまて」

「じゃあデートに誘おう」

「無理無理」

 ハマグチは首を振って窓から飛び退いた。この男は社交的で活動的なくせして、相手が女性となると途端に奥手になる。行動力もコミュニケーション力も、何かの呪いにかかったように急に低下するのだ。

 ハマグチは面白い奴なのに、面白い奴であることを相手にアピールできないから未だに彼女がいない。もうすぐ10代を終えようとしているのに、キスの一つもしたことがないらしい。

「いつから?」

「一ヶ月くらい、前?」

「長いな。ここから見下ろしてるだけなのか?」

「ああ」

「待て。本当に傘の下は女なのか?」

「女だ。一回だけ見た。間違いねえ」

「ここから見たんだよな? よく覚えてるな」

「まあな。雨が止んでしばらく経ってたってのにあんな変な傘を差して、そして丁度俺の部屋の真下辺りで傘を畳んで空を仰いだんだ。その時に彼女の顔を見た。気絶するくらい美人だった」

「気絶したのか」

「三秒ほど」

「したのか」

「以来雨の日は窓の外を見てあの変な傘を探すのが日課になってる」

 会話の最中もハマグチの目線は通りの隅から隅までを『晴』の字の傘を追って移動する。僕も釣られて目を動かした。やがてその妙な傘はその奇抜なデザインを僕の脳裏に置いて、見えなくなっていった

「晴れの日は?」

 僕はハマグチの方を向いて訊ねた。

「晴れの日に会えたことはない」

「雨の日だけ?」

「ああ。あと、もうしばらくしたら彼女は戻ってくる」

「戻ってくるのか?」

「戻ってくる」

 去ったばかりなのにもう既に彼女の復路に期待を膨らませつつあるハマグチに向かって、僕は手を打った。すると嫌な顔をしてハマグチはそっぽを向く。

「俺は雨の日は外に出ない」

「出よう」

「出ない」

 僕は無理矢理ハマグチを部屋から引きずり出した。ハマグチは抵抗した。しかし日々の筋トレで鍛えている僕の敵ではない。複雑なグランドキャッスル城ヶ崎の内部を上がったり下がったりしながらエントランスまで引き摺ってくると、僕は雨の滴る自動ドアの前に立たせた。

「彼女が通るまで待とう」

「やだよ」

「待とう」

 強引さに定評のある僕だ。ほどなくしてハマグチは折れた。

 そこから待つことおよそ10分。マンションの前を例の珍妙な傘が通った。

 女性が一人、と男性が一人。

 仲良く相合い傘をし、笑いながら雨の下を幸せそうにくぐり抜けていった。

 ハマグチの恋は闘わずして終わった。

 ハマグチはなおさら雨の日が嫌いになった。

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ワンライ 桜田一門 @sakurada

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