第3話 楡の木の下で

 再び二人がノラスの庭に戻ってきた時、会見での不満をぶちまけたのはライエンだった。

「嘘だな!」

「何が?」

 両腕を組み、肩を怒らせて右足を幾度となく地面に打つ。常に朗らかで飄々とした塔での様子とは打って変わった姿に意表を突かれながら彼の苛立ちの理由を尋ねるホルターに、噛みつくようにライエンが言う。

「副学長さ。幽霊の存在などこれっぽっちも信じてないくせに、女神の神秘を説いてみせるなんて! それにあれは絶対に犯人を知っている口ぶりだった」

 幽霊騒ぎを楽しんでいる節のあったライエンが何やら確信を得た発言をしたのを受けて、今度はホルターがからかうように驚いて見せる。

「ほぉ! 君もとうとう神秘を捨てて犯人説を採るのか?」

 小馬鹿にしたホルターの態度に鼻白みつつ、彼は同僚の説が正しかった事を認めた。

「副学長がお前と同じ言い方をしたからな。裏があるのであれば、そこには必ず人間の思惑が潜んでいるに違いない。何事も、実際に為すのは人だ」

「成る程。真理を追究する兄弟ライエンの真骨頂だな」

「茶化すなよ。副学長が真相を知っているとして、だったら、なぜ隠そうとする?」

 副学長の職務上、もしも規律を乱す者が居るならば、突き止めて処罰するべきである。それをしないのは、怠慢であると、ライエンは言っているのだ。犯人がわかっているのであれば、放置せずに迅速で果断な裁定を下すのが、集団生活を円滑に行う要だ。

「まあ、それにも理由があるのさ。目的のためには手段は正当化される」

 尤もらしいホルターの言い種に、努めて荒げまいとしていた声に棘が覗く。

「目的?」

「そう、平穏、さ。彼が望んでいるのは偏に日々の慎ましくも静謐な暮らし。その為には敢えて口を噤む事も厭わない」

 学舎を見上げて言うホルターの横顔は冷静そのもので、それは全てを見通す者の余裕から生まれるのだろう。未だ真相に達していないライエンは皮肉の一つも言ってやりたくなった。

「妙に肩を持つな」

 ライエンの追及に、ホルターは言い聞かせるように念を押した。

「持ってない。ただ、気持ちはわかると言っているだけさ。女神の僕としての正しい在り方を望むのは、副学長の立場としては当然だろう。気に食わないとしても、ここでは部外者である我々が嘴を挟む筋合いではない」

「それはそうだが、だからといって自分が全面的に正しいのだと居丈高に言われると、腹が立つんだよ」

 人とは、一方が熱くなると一方は冷静になるらしく、ホルターはこれが小一時間前までは自分に人の世の理を諭していた者であろうかと奇妙な心地がした。

「君こそ、いつからそんなに正義漢になったんだ?」

 何を今更青臭いことを言っているんだと指摘すると、ライエンは悪びれもせずに心の内を吐露した。

「別に正義を振り回したいわけじゃないさ。ただ、あのしたり顔が何とも学生の頃を思い起こさせて、反撥したい気分になるんだよ」

 そういうものかと、ホルターが首を傾げる。生まれてこの方、優等生で過ごしてきた彼には、理解できない屈折かもしれない。

「なあ、あそこからこの木の下が見えると思うか?」

 先程から友の憤りに同調することなく、しきりに学舎と楡の木の距離を矯めつ眇めつして測っていたホルターに出し抜けに問われ、目の前の問題を片付けようと取り組む同僚に遅れを取るまいと、ライエンは自身が感じている愚にもつかない反発心を仕舞い込んだ。

「ちょっと遠いな。俺の視力じゃ人影があるかどうかも見分けられない。見えたとすれば、相当な視力の良さだ。……それにしても、見れば見るほど立派な学舎だな」

 鄙びた山奥に、不釣り合いなほど堂々とした煉瓦造りの建物が森の一本道を抜けると現れる。その威容は豪奢と言ってもいいだろう。

「だから、これが学び舎を上げて聖務に励んだ結果ということさ」

 聖務とは神聖なる奉仕の心で行う労働のこと。この学び舎では、紙の製造がそれに当たる。その品質は一級品で、莫大な報酬はこの壮大な学び舎を建てさせる事を可能にしたのだ。

 対して、彼らの属する塔は女神信仰の総本山であり、その規模と人材の層の厚さでは第一を自負するが、絢爛さという意味ではここの学舎には遠く及ばないだろう。資金が無いというわけでなく、清貧を掲げる教義を遵守する立場の塔としては、華美にすること即ち聖職に在る者の背徳行為ですらあるため、質素を旨として日々の生活をつましく送っている。故に、その規模も広くは在るが、簡素な造りをしていて、ライエンに言わせると辛気くさい前世紀の遺物ということになるらしい。

「ちょっと、そこに立ってみてくれ」

 言われるまま、ライエンはホルターの指し示す木の根本に立つ。

「そこから、学舎の二階の窓は見えるか?」

 背を伸ばし、視線を少し斜め上に上げて二階の窓と思しき高さを見遣る。

「いや、正面の一階は見えるが、二階の窓は枝に遮られて見えないな」

 楡の枝の庇を避けるように、ライエンは腰を曲げて窓の在処を確認した。

「ここの窓はどれも透明度が高くて外の景色がよく見えそうだが、誰かがここに立っていたとして、その姿が見えると思うか?」

「体は見えたとして、顔の判別までは無理なんじゃないか?」

 ライエンほど目が悪くないとしても、西日に照らされた窓からは、木陰に入る木の下は見え難いに違いない。

「……そうだな。二階からなら、見えたとして足だけかもしれないな」

 手を翳し、枝が庇を伸ばす高さまで隠して確かめる。

「では、それでも目撃され、尚且つ頭部も見えるようにするとしたら」

 条件を並べる言葉に、改めて頭の中で整理する。

「しゃがんでいた、ということだろう……しゃがんで、何をしていたんだ?」

 目撃された当時、ここに居たはずの人物が何をしていたか。人というものは、無い物をあるように見る生き物だとはライエンの言葉だが、それにも切っ掛けはあるはずで、そこに人が居たのだとすれば、度重なる幽霊の目撃で人が近づかなくなっていたこの木の下で、何をしていたのか。二人は手懸かりとなる違和を探して、周囲を見回す。

「ここ、草の色が少し違うな」

「丈も少し短いな」

 最初に来た時にも見た、木の根の間の草丈が低くなっている箇所。ホルターが置かれた石を退かし、その下の土を撫でて探った。草は、生えて間もないのか、抵抗なく抜けて、柔らかい土は少し手で掘っただけで直ぐに何かに行き当たった。

 泥にまみれた硬い木箱の中には、羊の皮に包まれ、乾いた柏の葉の褥に横たわる女神エレディスの像が収められていた。それは西に傾き始めた陽差しの中で綺羅綺羅と輝き、高貴なまでの美しさに溢れていた。



「いや、驚いた。まさか女神が木の下からお出ましになるとはな」

 イル川の船着き場から塔へ帰る船上で、ライエンはつい先程まで手の中にあった女神像を思い返すように両手を見詰めていた。

「約束されている事ならば、その遂行は容易いものさ」

 幽霊騒動を収めようとしてようと木の根元を探っていたら、行方不明になっていた女神エレディスが発見された。それによって一連の騒動は女神が自身の存在を知らしめようと発現された事が全ての原因だったということで、落着した。

 女神の帰還でデッラエルロに平穏が戻り、彼らは晴れてお役御免となったのだった。

「それにしても、聖堂に在る姿でなく直に手中に出来るとは思いも寄らなかった。実になよやかで美しいお姿だった」

 船上で川風に吹かれながら、うっとりとライエンは頬を弛めた。

「君は時々、俗人のようなことを言うな」

 聖職につく者にはあるまじき感想を述べた仲間を、ホルターが窘める。

「我々の僅かな欲求の発露なんだから、大目に見ろよ」

「我々?」

 自分はそんな欲心など抱いていないと言いたげなホルターが、不穏当は発現をする同僚に眉を顰めた。

「お前とは言ってないだろ。あれの創造者達だよ。求める心というものは、押し隠したとしてもふとした折に発現するものさ。女神の尊い姿に、自らの抱く理想像を重ねたとして、それが無意識ならば誰も文句は言えまい。その上作品として崇高さを保っているなら、それは最早、昇華された芸術作品とも言うべきものだぞ」

「そういうものか?」

 得心いかないと肩を竦めるホルターには構わず、ライエンは黄金の女神の姿を心に思い返す。黄金に光り輝く女神は、木の葉の褥に横たわり、慈悲に満ちた眼差しを湛えていた。さすが、現代一の職人の手によると名高い作品なだけはあった。その手触りを堪能できたのは、この一連の幽霊騒ぎ様々であるのだが。ふと今回の一件を思い返して、今回の出来事でまだ引っ掛かっていることがある事に気付いた。

「そういえば、女神像は出てきたが、これで全部お終いなのか?」

「どういう意味だ?」

 手にした書物に落としていた目を上げもせずに生返事をするホルターに、ライエンがもう一度噛み砕いた質問を返す。

「亡霊騒ぎ全てが女神の奇蹟だったのか、ということさ」

「女神の奇蹟、ね。それにもからくりがある」

「からくり?」

 言葉尻を捕まえて身を乗り出すライエンに、相変わらず手元の本に視線を落としたままホルターは答えた。

「木の下にしゃがんだ人影が、誰だったかわかるか?」

「誰?」

 名を問うからには、実体をもった存在なのだろう。だが、ライエンには見当がつかなかったが、ホルターはまたも簡単に種明かしをした。

「副学長さ。羊の皮と柏の葉で包まれるなんて神話に則ったご丁寧な仕事、修練生が出来るわけが無し、それに目的も理由も無い。

 原因は常に目的と可能性さ。副学長は、前々ともすれば利益に走りがちな学長の方針をよしとはしていなかった。だから、ご自慢の黄金の女神像を隠したのさ。しかも、言い伝えに擬えた形で。そうでなければ、出来過ぎだ」

「奇蹟では無かったのか?」

「まあね」

「仕組まれた事だとわかっていて、どうしてお前はそれを大っぴらにせずに黙って出てきたんだ?」

「誰か損をしたわけでも、傷ついたわけでもないなら、騒ぎ立てる事もないさ。寧ろ今回の騒ぎも手伝って、女神の霊験は増したんだ。その上、機嫌を損ねるとまた家出され兼ねないとなれば、学長も益に走らぬよう自重するだろう。副学長には願ったり叶ったりさ」

 特に感慨も無いのだろう。ホルターは再び書物に目を落とし、ライエンは落胆の濃い色を目に浮かべた。

「世間はそれで済むだろうが、裏事情を知ってしまうとなんとも残念な話だな」

 今回の一件は、奇蹟の物語として説話集にでも載りそうな類の怪事件である。それが、人間の副学長の思惑で事が動いていたとなると、女神の奇蹟も有り難みが失せる。

「……全くないとは言ってない」

 がっかりして肩を落とすライエンに、ホルターが励ましめいた言葉を呟いた。

「副学長は、あれを埋める際に目撃されているが、彼の髪の色は黒で、金色では無い」

「そういえば……そうだな」

「たとえ白髪交じりの頭髪が初秋の陽の傾きの傾きに照らされたとはいえ、そこは見間違いようがない。―にも拘わらず、それが黄金色に輝いていたとすれば……」

「女神の顕現、ということか!」

 目を輝かせるライエンに、忙しないことだとホルターは眉尻を下げた。

「まあ、その証言もそれ以前の目撃談に引っ張られてのことかもしれんがな」

 最初の目撃は楡の木の中程に金色の影を認めていた。よくよく考えれば、学舎からの目撃談とはそこが違っていたのだ。

「そうだ! それがあったな。それまでの金色に揺らめく影は、木の中程の高さだった。最初と二番目の犯人は別に居るということか! 副学長が言っていた当人達というのがそれなんだろう?」

「そういうことになるな」

「どうせお前は、もう犯人の目星もついてるんだろう」

「洗濯屋の娘、か、孫娘」

「どうしてそう言える」

 天気の話でもするかのように即答するホルターに根拠を尋ねると、これまた日記でも付けるかのような簡潔さで返事が返ってきた。

「外部の出入りで目撃証言と重なるのがその辺りさ。毎日出入りする八百屋や牛乳屋なら、曜日がまちまちになるだろうし。

 知り合いか、或いは想う相手がデッラエルロにでも入っているんだろう。一目会いたくてあの木に登って潜んでいたのさ。木登りするくらいだから、身軽な孫娘かもな」

「証拠は?」

 食い下がるライエンに、質問されることそのものが不可解そうに顔を上げた。

「あの木には、手懸かりに良さそうな高さの枝が綺麗に落とされていた。副学長が言うように腐れて折れたのならば、あれ程綺麗な切り口にはならないだろう」

「副学長に追及しなくて良かったのか」

 風紀が乱れる、とは言いたくないが、災いとはそれが芽のうちに摘み取るに限る。だが、それが災難の芽だとは、後になってみないとわからないのも、歴史が証明する事実だ。

「良いんじゃないか? あれからは本人達も大人しくしているようだから。それに、これくらいの誘惑が断ち切れないようなら、この道には向いてないのさ」

「それだ、その言いぶり。もしかしてお前にはその目当ての相手もわかってるんじゃないのか?」

 再び、興味を失ったようにホルターの目は本の文字を追う作業に戻る。何の疑問もないものには興味が沸かない。彼にしてみれば、自明の理であるこれらの話は、今更言葉を尽くして説明するまでも無いことだった。だが、訊かれたことには答えるのが責任というもの。ホルターは必要最小限の労力で、ライエンに謎解きをする。

「少女は、三回目にしてようやく、目当ての人物に会えたというわけさ」

「三回? 三番目の目撃者じゃないのか?」

「それは木の下にしゃがむ人影を見たと証言したものだろう。目撃証言としては、四番目。少女からすれば三回目の挑戦さ」

「ああ、あれか! 驚いて廊下で立ち尽くしていた、っていう。なぜ、彼だと?」

「彼だけは他と違って金髪だったと言っていない。誰もが真っ先に上げる特徴を、彼は敢えて黙っていた。それは何故か? 彼が庇いたいと思う者が、そこに居たからさ。

 彼は、少女の姿を一目見ただけでこれまでの騒ぎの全貌を一瞬にして悟った。だが、穏便に済まそうにも彼は少女の姿に驚いた時の様子を友人に目撃されている。それで、証言をせざるを得なくなってしまったのさ。だが、出来るだけ特定されないように少女の風貌には触れられなかった。最大の特徴である、金色の豊かな巻き毛には」

「……見てきたかのように言うな」

 まるでその場に居合わせたかのようなホルターの語り口に、修練生が見た景色さえもまざまざと思い起こされたライエンは、感嘆と同時に呑んでいた空気を吐き出した。余りにも優れた技を見せられた観衆は感心を通り越して貶したい方に傾くが、それと全く同じことがライエンの心の中でも起こり始めていた。

「全く、お前を敵に回さないようにしないとな」

 剣呑な同僚の言葉にも無頓着なホルターはお喋りな同僚につけつけと注文を付けた。

「なら、もうこれ以上話しかけないでくれ。往路は馬車で二日だが、復路はイル川の船旅で一日だ。塔に着くまでにこの本を読んでしまいたい」

 再び本の旅へと入り込んでいくホルターの横で、ライエンは大きく伸びをしてから船縁の背もたれに体を預けた。

「……しかしこれから楽しくなりそうだな」

「これから?」

 不穏な言葉を耳にして、邪魔をされたホルターが厳しい目で顔を上げる。

「今回の成功に味を占めた上層部が、二匹目の泥鰌を狙わないともかぎらないだろう」

 暢気にそんな予測を立てるライエンに、ホルターが噛みつく。

「冗談じゃない。君は外の空気が吸えて満足かもしれないが、私は出歩くよりも書物を相手にしていたほうが楽しいし、充実しているんだ」

 心底、外界はうんざりなのだというホルターに、ライエンは含蓄のある彼の得意の台詞を授ける。

「君の考えは関係ない。運命は人智の及ぶものではないのだよ、兄弟ホルター」

 苦虫を噛みつぶしたような渋面を見せたホルターの表情に、ライエンは朗らかに笑った。

 船頭の案内でイル川の川面を行く小舟は二人を乗せて滑らかに、フィルミ川との合流点に向かって船足軽く流れていった。

 初秋の川面は緑色も深く、女神エレディスの恵み豊かに輝いていた。


                               了  

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楡の木奇譚 -Elm folklore- 天音メグル @amanerice

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