空を飛べなくなった今も

鋼野タケシ

空を飛べなくなった今も

 向ヶ丘遊園駅を出ると、小さなドラえもんが出迎えてくれる。

 改札を出てすぐ目の前、バスロータリー。小さなドラえもんの銅像がある。

「ドラえもんのどうぐ、なにがほしい?」

 3歳になったばかりの娘が言った。ついこの間までベッドの上で足をじたばたさせているだけだった子が、アッという間に言葉を話すようになるから子供の成長は不思議だ。


 川崎市多摩区、長尾。藤子・F・不二雄ミュージアムが建てられたのは2011年のことだ。

 藤子・F・不二雄先生は多摩区に長いこと住んでいたらしく、その縁で建設地が選ばれたのだとか。子供のころ夢中になったドラえもんの、作者が自分の故郷に住んでいた。ただそれだけなのに、なんだか誇らしい気分になる。

 向ヶ丘遊園の駅前は、昔に比べてずいぶんキレイになった。

 商店が雑多に立ち並ぶバスロータリー。そこから真っ直ぐに伸びる遊歩道。一番変わったと感じるのは、空だ。

「パパはタケコプターが欲しいかな」

 昔は見上げるほどの高さに、空を渡るようなモノレールが走っていた。


 藤子・F・不二雄ミュージアムが建っている場所に、かつて遊園地があった。

 昭和二年に開園した向ヶ丘遊園地。駅の名前である向ヶ丘遊園駅も、遊園地の名前が由来している。

 最寄りの向ヶ丘遊園駅から、遊園地まで徒歩で十五分程度かかる。不便さを解消するために開園直後から駅と遊園地を結ぶ豆汽車のレールが敷かれた。

 やがて道路が整備されると線路は撤去され、代わりに地上高7メートルのモノレールが作られた。モノレールの完成が昭和四十一年だから、私が生まれる十年も前だ。

 昔ここにはアレがあって、お前が生まれる頃にはどうなって。父の語るこの手の話を、私はいつも退屈して聞き流していた。

 見上げた高さを走るモノレールが私の知っている光景。モノレールが通過する時に奏でるガタゴトやかましい音が聞き慣れた音楽。

 撤去されたモノレールは跡すら残っていない。支柱が並んでいた川沿いの道が、今はバラの植えられた花壇になっている。

「昔、この場所にはモノレールが走ってたんだよ」

 かつて父から聞いたような話を、今度は私が娘に聞かせている。

 3歳の娘は話に興味を示さず、コロ助の銅像に夢中になっている。

「ドラえもん」と、コロ助を見て楽しそうにはしゃいでいる。丸くて目がついていれば、何でもドラえもんに見えるようだ。

 興味はないか。

 幼い頃の私も父の話を聞き流していた。昔はどうだったと言われても、私には今の姿しか見えない。


 幼い頃、誕生日は必ず向ヶ丘遊園地へ連れて行ってもらった。遊園地までは家から徒歩で十分ほどだが、両親にワガママを言って遠回りし、駅からモノレールに乗りたがった。普段はワガママなんて許してくれない父も、誕生日ばかりは私の言うことを聞いてくれた。

 モノレールの中から見える街並みが好きだった。当時はマンションの数もそれほど多くはなかったから、7メートルの高さでもとても高いように感じられた。イスに膝を乗せて、窓に張り付くようにして外の景色を眺めた。

 空を飛んでいる。

 モノレールに乗るたびに、私はそう思っていた。


 遊園地のアトラクションでは、アドベンチャーコースターという乗り物が好きだった。アメリカ西部然とした岩山のコースを、水路が流れている。水路に浮かんだ船が岩山の間を進んでいく。スピードはそれほどないのだが、最後に坂道を一気に滑り降りる時は迫力がある。坂道を降りきると水しぶきが上がり、雨のように降り注いでズブ濡れになる。その瞬間がたまらなく好きだった。

 私は毎年、アドベンチャーコースターに乗るのを楽しみにしていた。

「来週の誕生日、お父さん休み取ったからな。また遊園地、行くか」

 中学一年の夏休みだった。父は私のために休みを取ってくれたのに、私は素っ気なく断った。

「もう今年からは行かない」

 中学の頃、私は自分を大人だと思っていた。

 大人だから、子供の頃と同じことはしない。自分が好きだったものすら否定する。

 そうやって大人ぶるのがどれほど子供じみているか、大人になった今ならわかる。

 結局、父と遊園地に行くことは二度となかった。

 数年後、父は病気で他界した。


 ドラえもん、コロ助、パーマン1号、2号。銅像を見るたびに娘は大はしゃぎだった。花壇に咲いたバラを見て、キレイだねとしきりに言っている。

 あと五年か十年すれば、娘も私と一緒に居ることを拒むようになるのだろうか。 そう思うと少し寂しい。

 もっとも、娘に嫌われたとしても私は娘を愛している。

  

 ミュージアムの入り口が見えて来た。

 遊園地があった場所に、今はミュージアムが建っている。

 あの頃の私が覚えた感動とは違うだろうが、きっとこの子も楽しんでくれるはずだ。

 いつかこの子が離れるまで、父親としてたくさんの夢を見せてあげたいと思う。

 大人になった時、この子の大切な思い出になってくれれば幸せだ。

 空を飛べなくなった今も、私があの頃の感動を忘れずにいるように。

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