文学者とゆうごはん

駄駿

第1話 コロッケ

考える人は、何を考えているのでしょう。


私は路地の並木越しにある男を見つめている。

ある男は、まるで考える人のように、何かを考えていた。


男の名は花柳 垂という。

所詮はあてられたペンネームに過ぎないのだが。

男はは「一部では」名の知れた文学者である。先若くして賞をとったものの、その変人っぷりが凄まじく、いつの間にか世間の中で風化して、文学の砂漠を彷徨う民となってしまった。それが十数年ほど前のことだ。

文学者が食っていくには非常に難しいご時世になってしまった。

哲学も文学も、もはや、スマートにライトにという時代である。

最近はやる気もすっかり失ってしまったようで、原稿をすっぽかして、時たまどこかへと消えてしまうのだ。

今まで何人もの担当編集が辞めてしまっている。それも、誰が担当編集をやっても、一言も口も訊いてくれなかったというのだ。

新入だった私は、少しだけ前、この男の担当編集を任された。


噂話はかねがね聞いており、最初はとても不安だったが、私には不思議と口を訊いてくれる。だが時たま、男が企む変な事に巻き込まれてしまうのだ。


 ……本当に何を考えているのでしょうね。と、ぼーっと私は、男を見ていた。


「いるのだろう、美住くん。」


ぴぃ。という何とも言えない声が漏れてしまった。


「せ、先生、これはまた偶然ですね……。」


私は並木から顔を出し、精一杯の笑顔を繕う。心臓がバクバクとする。


「馬鹿を言え、ずっと着けられてたことくらいはわかってるぞ、どうせ、考える男は何を考えているかだなんてくだらないことを思っていたのだろう。」

「何故お分かりで。」

「お前のロマンチズムなんて所詮そんなものだろう。」


この男「花柳の洞察眼」という言葉があるほどの洞察力の持ち主である。

私は精一杯顔をしがめて、こんちくしょうという表情をした。


「それとな、考える人は実は考えているのではないのだ。」

「と、言いますと。」

「考える人、と言うのは生みの親のロダンのネーミングではない、実は考える人のモチーフは、何かをじっと見つめている人なのだ。」

「へぇ、またひとつ賢くなりました。」


先生は何かをじっと見つめていたということなのか、と、私は少し深読みをした。


「言いたい事をわかってくれたらしい、では、これを明日買って来てくれ。」


そう言って、メモをよこし、先生は足早にいってしまった。


「先生、原稿は、原稿はまだですか。」


叫べども叫べども、その背中、振り返ることなし。

先生が見つめていた肉屋と、肉屋からふわりとお腹をくすぐる香りだけがそこにあった。



「先生、これは、どういうことですか。」


渡されたメモには「コロッケ」と書かれていた。もちろん「コロッケ」だけではなく、あるデパートのもの、あるスーパーのもの、あるコンビニのもの、そしてあの肉屋のもの、と指定された「コロッケ」を買って来いとのことだった。

私は原稿を落とし、編集長に絞り上げられ、三時間睡眠しかしてないクタクタの体でそれを巡り、コロッケを買い集めて来た。

わざとなのかなんなのか、店と店の距離が離れていて、体の疲れとともに電車移動の精神的疲労が私を襲った。

はぁはぁと息を漏らしながら、チャイムを鳴らす。「美住です」となんとか声を出す。ドアが開くと、先生は私の労をねぎらうこともなく、その袋を奪い取るようにもぎ取り、奥のキッチンで皿に盛り分け「利きコロッケをしよう」と言った。


「ここには、デパートのコロッケ、スーパーのコロッケ、コンビニのコロッケ、そして肉屋のコロッケがある。もし食べ当てられれば、このコロッケ代は私が出すし、原稿も入れてやろうではないか。」


はぁ。と、私はため息をついた。


「なんで私がこんな面倒なことをしなくちゃならないの。と言いたげな顔だな。」

「先生は私と同じ場面に直面したら、それ以外の感情が湧くとでも思っているのですか。」

「美味しそうなコロッケだなぁ。と思うけどな。」


精一杯、先生を睨んだ。

「まぁ一口」と先生は言う。実に楽しそうである。いつも、こういう無茶を押し付ける時に限ってこんな顔をする。嫌がらせか、嫌がらせして楽しいのか、私は……。

呪詛のようなものが頭に流れるが、実は私もかなりお腹が空いていた。あれだけあちこち移動していたのに何も食べていなかったのだ。それに、腹が減っては何とやらというではないか。とりあえず私は、一番左の皿のコロッケをつまんだ。


冷えてもさくっとした衣を噛むと、ほっくりしたじゃがいもとゴロゴロとしたひき肉が姿を現した。

少し濃口の味付け、ソースも心なしか香りが強く、一度食べたら、これがコロッケだ。と否が応でも認識する。輪郭のくっきりした味。美味しい。


「コンビニですね。」


先生は「おお」と感嘆の声を漏らした。

私はドヤ顔を返した。


「次の皿も食べればいいんですよね。」

「是非。」


何故、楽しそうなのか。本当に何を考えているかわからない人だ。


次のコロッケをつまむ。

残念ながら衣はしなびてしまってるが、中に入っているじゃがいもとひき肉はしっかりと存在感を示している。その中に私は異邦人が紛れ込んでいることを認識した。コーンだ。コーンが入っている。

ソースはかかってないが、これにソースをかけてしまえば、色絵の具に黒を混ぜてしまった時のような、そんな、塩味の塊になってしまうと思う。


「スーパーのものですか。」

「当たりだよ。」


先生、スタンディングオーベーションである。拍手まですることなのだろうか、とは思うが、楽しそうでなによりだ。


そして、ここには肉屋のコロッケと、デパートのコロッケがあるわけだ。デパートのコロッケは松坂牛を使ったものらしい、先生の支払いで松坂牛ならば安いものではないか、と悪い笑みが浮かんでしまった。

対抗馬は肉屋のコロッケ、安牌ではないか。松阪牛、原稿、どちらも手に入る。


「じゃ、戴きますね。」


満面の笑みでコロッケを頬張る。

サクッとした食感、そして、咀嚼すると甘い芋の味がした。じゃがいもってこんなに甘いのね。肉の脂はきつくなく、舌に溶けていく。上品な脂とはこのことか。

味の五角形を描くとほどよく塩味が甘味を包む、旨味を存分に引き出しつつ、じゃがいもとお肉の風味を邪魔しない。美味しい。美味しい。


「松阪牛……。」


そう言った瞬間、先生は「愉快」と笑い散らかした。


「それはあの肉屋のだよ。どうせ悪い猫のような顔をしていたから騙されるだろうと思ったよ。」

「ぐうう。」


悔しさとやるせなさが私を襲う。勝利を確信した時ほど、逃した時の後悔は重くのしかかってくるのだ。


「では、この松阪牛は私がいただこう。」


先生が松阪牛のコロッケを頬張る。「ああああ」と私は悲鳴をあげて崩れ落ちる。何も一口で頬張ることないじゃない。


「美味い、美味いなあ。」

「意地悪。」

「お前が肉屋を侮ったのがいけない。」


今回私が学ぶべきことは、勝利を確信しても冷静に物事を見る事と、肉屋のコロッケは想像を絶するほど美味しい。という事だ。

きっ、と奥歯を噛んだ。


「はっはっはっ、余興はここまでだ、遅くなって済まないな。私は、物を美味しそうに頬張る女性が好きだ。これからもよろしく頼む。」


満面の笑みで原稿を渡してくる先生に、きゅっと胸の奥が苦しくなる感覚を覚える。


「最初から素直に渡してください。では、これで失礼します。」


原稿を受け取った私は先生を背に、そそくさと玄関へ向かった。

先生は、何を考えているの。一体、何を考えてるの。


顔がぽっと熱くなるのを、ぶんぶんと首を振って靴を履き、玄関を出た。

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