風を待つ

斉藤 犬子

風を待つ

 まるで風のような人だと思った。


 大阪で生まれ育ったと言うわりに、ジュンくんからは土地のにおいがしなかった。良く言えば爽やか、悪く言えば掴みどころが無い。必死にしがみ付いていなければ、ふらりと何処かへ消えてしまいそうな危うさを持った人だった。


「ちょっと寄りたいところがあるんだけど」


 彼がそう切り出したのは2人でドライブに行った帰りだった。彼は私の返事を待たずにハンドルを切り、高速道路「姫路」の出口に向かう。


「何? お城でも見に行くの?」

「ううん。昔住んでた所を見たくなって」

「大阪育ちって言ってたよね?」

「小学生のとき3年間だけ姫路に住んでたんだ。親父の転勤で」

「ふうん、そうなんだ……」


 ジュンくんと知り合ったのは1年前、職場近くの立ち飲み居酒屋だった。残念ながらお洒落なバーとは程遠い疲れたサラリーマンたちが集う店で、ジュンくんはたまたま私の隣にいて、話が弾んだなりゆきで付き合うことになった。10歳年上で、同じ業界で働いているということ以外、私は彼のことを詳しく知らない。


 夕陽に照らさた白鷺城を横目に、彼は海の方へ向かって車を走らせて行く。


「死んだ親父が臨海工場に勤めてたから、ずっと海辺の社宅で暮らしてたんだ。海って言ってもキラキラしたビーチなんか無い工場地帯ね。大阪に住んでいたときもそうだった」


 あまり自分のことを話さない彼にしては珍しく饒舌だった。微かに楽しげな横顔に、まるで知らない男と話しているような居心地の悪さを感じて窓の外に視線をそらすと、巨大な葉の群れが目に飛び込んだ。


 蓮の葉だ。

 街中に蓮池があるなんて思いもしなかった。寺院の庭でしか見たことがなかったので咄嗟に気づかなかったのだ。蓮池は所々建つ住宅の合間を埋めるように広がっている。左手に工場が立ち並ぶコンクリートの海岸、右手に蓮池が広がる不思議な景色は、私の目にはアンバランスに映った。


「どうして蓮池があるの?」

「レンコン畑だよ」

「レンコン畑? レンコンって蓮池でできるの?」

「蓮の根って書くだろ。見たことないの?」

「初めて見る……」


 いくつかレンコン畑を通り過ぎた所で彼は車を止めた。


「ここに住んでいたんだ」


 古びた4階建ての団地を見上げ、懐かしそうに目を細めながら彼は車を降りた。後を追うように外に出ると、海の乾いた風が髪を撫でた。


「3年間だけだったけど、すごく楽しかったんだ。ここの暮らし」


 すっかり陽が落ちて暗くなっていた。今は空き部屋が多いのだろうか、所々しか明かりの灯っていない団地を眺めながら、彼は嬉しそうに、けれど泣き出しそうにも見える表情を浮かべた。


「地方から働きに出て来た家族ばっかり住んでいたから、仲が良かったんだ。一緒にバーベキューしたり花火したり」


 ジュンくんが過ごした30年を私は知らない。

 今までどんな友達と遊んでいたんだろう。

 どんな学校に通っていたんだろう。

 そして、どんな人に恋をしたんだろう。

 たくさん聞きたいことはあるけれど、喉の奥に流し込む。面倒くさい女と思われたくない。くだらない意地のせいで、彼にあと一歩近づけずにいる。


 ジュンくんがもし、このレンコン畑がある海辺の街に住み続けていたら、きっと私たちは出会わなかった。居酒屋で隣合わせになることもなかったし、会社の近くですれ違うこともなかっただろう。出会えたのはたまたま、ジュンくんという風が私のそばを吹いたからだ。私とジュンくんを繋ぐものは何も無い。そう思うと、どうしようもなく寂しくなった。


「どうしたの? お腹すいた?」


 いつの間にか俯いていた私を気遣ってか、ジュンくんが優しく語りかけてくれた。


「コンビニ寄って帰ろうか」


 そう言って微笑む彼は、私の知っているいつもの男の顔に戻っていた。


「コンビニじゃなくって、ちゃんとお店で食べたい。ジュンくんの気まぐれに付き合ってあげたんだから、私のわがままも聞いてよ」

「はいはい、わかったよ」


 ジュンくんは私が子どものようにわがままを言うので、呆れたように笑った。私がどうして機嫌を損ねているかなんて、きっとわからないし考えもしないのだろう。

 気まぐれに過去の片鱗を見せられた私は、彼の過去という実態の無いものに嫉妬するはめになってしまった。ますます彼を知りたくてたまらなくなった。けれど、彼は私がこれ以上近づけば逃げてしまうだろう。


 吹き付ける海の風は彼に似ている。遠くから吹いて来て、気まぐれにどこかへ行ってしまう。無機質な海辺の街で育った男は、皆こうなのだろうか。暗くなった海とレンコン畑の影を眺めながらため息をついた。山に囲まれた田舎街で育った私は、風が通り過ぎるのをただ、ぼんやりと見るしかできない。


「もう暗くなったし、早く行こう」


 自分から寄り道をしたいと言ったくせに、ジュンくんは本当に気まぐれだ。さっさと車に乗り込むジュンくんの代わりに、海辺の街に別れを告げた。


「さようなら」


 小さく呟くと、風に吹かれた蓮の葉がざわざわと音を立てて返事をしたように聞こえた。

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