俺と母

吉津駒 日呂

俺と母

 高知駅に降り立つとうだるような熱風がすぐに汗ばませる湿気を伴って顔を撫でた。もう秋だというのにこの暑さは最近よく聞く温暖化の影響なのだろうか。それとも高知特有の気候のせいなのだろうか。


 高知県出身の漫画家が描いた事で有名なアニメの音楽とともに列車が出発していく。俺はそのまま二階にある吹き抜けのホームから改札のある一階へと降りる。片手で数えるくらいしかない改札を抜けて高知駅の中心へ。そこから北を向くとタクシーなんかと一緒に一般車両が迎えの行列を作っているターミナルがすぐ見える。そしてそこに見慣れた軽四の姿も。


 少し近付いてナンバープレートを確認。験を担ぐように同じ数字が四つ並んでいる。間違いない。助手席に寄るとドアを開ける前に窓が開いた。


「おかえり」

「ただいま」


 母の元気そうな顔を見た瞬間、帰ってきたという実感が沸々とこみ上げてくる。

そうだ。俺は今、生まれ故郷の高知に帰ってきたんだ。


「向こうはどうやったぞね」

「高知よりは都会。東京みたいじゃないけど。今の時期だと高知よりちょっと寒いからついた瞬間暑かった」

「こっちにはいつまでおるが?」

「一週間。来週のこの時間には電車に乗らないとダメっぽい。席の予約とかは全然してないけど」


 ターミナルから出てすぐの信号にひっかかっている間の会話。久しぶりの母と喋るとなんだか間とか答え方とか、どこかぎこちなくなっている気がした。そのせいか母が眉をひそめて微妙そうな顔をしたのを俺は見逃さなかった。

 それも少し話していたらすぐに慣れてしまうだろう。そう考えて自分から次の話題を出す。


「そういえば車のシートとか変えた?」

「ちっくとちゃがまっちょった所あったきね、修理したがよ。車検に出したばっかやったのに」

「へー、どこが壊れてたの?」

「エンジンとか……」


 母は、やはりどこか納得いかなそうな、違和感でも覚えているような顔をした。なんだろう、おかしな事でも言っただろうか。それとも言い忘れていた事でもあっただろうか。

 その時、スマホが震えた。画面を見ると高知の友達から電話だった。


「ちょっとごめん。電話」

「はいはい」


 母に一言断ってから通話を始める。


『よ、久しぶり』

「おう、久しぶり」

『高知帰ってくるんやろ。そう呟いちゅうの見たで』

「丁度今、帰ってきたばっか」

『マジか、電車?』

「いや、母さんに積んでってもらってるからさ」

『今日はこれから遊べんが?』

「無理無理。流石に今日は家におらんと。母さんに晩飯頼んじょったし」

『じゃ、明日遊ぼうや』

「それならいいよ。明日は予定ないき」

『他のメンツにも声かけちょくわ。プチ同窓会みたいな感じで。ボウリング行こうぜ。いつもの所の』

「あっこか。分かった。そんじゃ頼むわ」

『おう任せちょき。そんじゃまた明日の朝電話する』

「よろしく。切るで」

『じゃあな』


 通話を切って母の顔を見ると、何故母は嬉しそうな顔をしていた。勿論理由なんて分からないし、それを聞くのもなんか変な感じがする。なんだかむず痒い気持ちのまま、ちょっとだけ座り心地が昔と違う助手席に腰を落ち着けながら母の運転する姿を横目で眺める。母はラジオを聴きながら、高知についていきなり語りだした。外の人達の高知のイメージは偏りすぎだとか、高知県人はお祭り好きだとか、でもやっぱり高知が安心するだとか。俺はただそれに相槌を打っていた。


 俺達を乗せた車は家路までの道を走り切って、小さい頃から高校までずっといた実家へとたどり着いた。車を降りて玄関前に立つと、見慣れているはずの家が少し様変わりしている事に気付く。壁は前よりも汚れているし、いつも閉めっぱなしだった小さな門扉が開け放たれている。それになんだか家全体が小っちゃく見えた。


 玄関ドアの鍵を母が開けて先に入っていく。俺もそれに続いて玄関をくぐる。あれだけ嗅ぎなれた家の臭いが酷く懐かしくて、母の顔を見た時以上に帰ってきたという気持ちが沸き上がってきた。


「おかえり」


 改めて母が俺に言う。


「ただいま」


 俺は、やはりそう返すしかない。

 ダイニングに入ると同時にいい匂いがした。晩御飯の支度の途中だったらしい。まな板の上には食材やら調理器具が置きっぱなしだ。母の事だからちゃんと放置してても大丈夫な物なんだろうけど。


「今日の晩御飯は何?」

「四方竹と椎茸を煮ちゅうき、あとは秋刀魚の焼き魚とお味噌汁にしようかなあと思いゆう」


 俺の好きなメニューだった。特に四方竹は大好きだ。高知の外じゃあんまり食べる事の出来ない食材だと思う。


「美味しそうな匂いがしゆうと思った」


 その瞬間、また母がにやりと笑った。別に変な事は言ってないのに。そんな思いが顔に出ていたのか、母はからかうような顔で俺に目を合わせようとはせずにこう呟いた。


「最初なんか別人と会話しゆうみたいやったけど、でも変わっちゃあせんようで安心したちや」


 理解するまでに時計の針が五回動いた音を聞いた。

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