急須を買いに
笛吹ヒサコ
急須を買いに
混沌とした名鉄名古屋駅を、赤い電車で脱出した。
常滑駅。
知多半島の中程で、伊勢湾に面した常滑市。
駅の西側、
僕が足を向けたのは、駅の反対側だった。
※
じいちゃんが死んだ。
僕はじいちゃんが好きだった。それは事実。
小学生の頃は、近所のじいちゃんの家に毎日のように遊びに行ってたから。
じいちゃんは、必ずおやつを用意してくれていた。
おやつといっても、せんべいや、まんじゅうといった、昔ながらの和菓子ばかりだった。
それから、常滑焼の急須と熱いお茶。
『司が来てくれたから、お茶を淹れんとな』
朱色の小ぶりの急須を、片手で無造作に傾ける。そんなじいちゃんの仕草を、僕はかっこいいと思っていた。
僕のために淹れてくれるお茶を、熱っ、熱っと言いながら苦労して飲み切ることに、達成感を覚えていた。
※
常滑焼は、
駅から陶磁器会館へ向かう途中、とこなめ招き猫通りという道を通った。
ただ歩道沿いに、個性豊かな招き猫たちが顔を出しているだけだが、猫好きにはたまらないかもしれない。
僕が常滑に来たのは、多分、初めてだと思う。
多分というのは、週末よく父が家族でいろいろな場所にでかけていたから。覚えていないだけかもしれない。
※
僕はばあちゃんを、じいちゃんの家の仏壇の写真でしか知らない。
じいちゃんは、自分から話すことの少ない人だった。
いつも僕から話しかけていた。家族のこと、近所の友達のこと、学校のことなどを。
それも、小学校を卒業する頃までの話。
中学校に進学すると、正月やお盆くらいしか行かなくなった。
あの頃の僕は、なんにでもなれる気がしていた。僕の中でボクがどんどん大きくなっていって、じいちゃんはどんどん小さくなっていった。攻撃的なボクと、周囲の人たちと折り合いをつけるのに、僕は手一杯だった。
そんなボクを持て余していた時に、僕はじいちゃんの急須を割ってしまった。
※
時おり、スマホの中で地図を開いて、陶磁器会館までやって来た。
陶磁器会館に用はなく、僕はそこから始まる、やきもの散歩道を散策しに来たんだ。
僕は、ここに来たことがある。
ぼんやりとした懐かしさが、僕にそう教えてくれた。
※
正月にじいちゃんの家を、僕は家族と一緒に訪れていた。
喉が少し乾いていたから、勝手知ったるじいちゃんの家の台所へ、飲むものを探しに行った。コップを食器棚から取り出すはずが、近くにしまわれていた急須を落としてしまった。
その場には誰もいなかった。とっさに割れた急須の欠片を集めて、隠してしまった。
『司が来てくれたから、お茶を淹れてこんとな』
じいちゃんはいつも通り、僕のためにお茶を淹れに行った。
ビクビクしている僕と、いつか壊れるんだからと鼻で笑うボク。
『すまんな、司。急須がどこにもなくてな。すまんな、お茶淹れれてやれなくて』
居間に戻ってきたじいちゃんは、心の底から申し訳ないと、謝ってきた。
謝らなくてはいけないのは、僕の方だったのに。
その時から、攻撃的で身の程知らずのボクは、ボクの中で小さくなっていった。
かといって、じいちゃんが元のように大きくなるわけでもなく、後悔だけが残った。
※
坂の多い道を歩く。
レンガの煙突。
古民家。
登り窯。
一昔、二昔も前のノスタルジックな散歩道を歩く。
おぼろげな懐かしさは、もどかしいほどおぼろげなままだ。
僕は、いつ、誰とこの散歩道を歩いたのだろうか。
※
じいちゃんが死んだ。
元気だったじいちゃんが、買物中に倒れて救急車で運ばれたと、母から連絡があった。
僕は学校を早退して、病院に駆けつけたけど、間にあわなかった。
じいちゃんが死んだ。
その事実は、僕の中の後悔を一瞬にして胸がはちきれそうなくらい大きくなった。
死因なんてどうでもいい。
じいちゃんが死んだ。
今際の際にうわ言のようにこう繰り返しながら。
『司が来るから、お茶を淹れんとな』
じいちゃんが死んだ。
※
僕が常滑にやってきたのは、じいちゃんのためではない。
後悔に潰されそうで、じっとしていられなかっただけ。
少し大きなスーパーで、常滑焼の急須は手に入る。
でも、それではダメだと、僕の中の何かが叫んでいた。
ふと、道端に咲いていた紅色の彼岸花が目に止まった。
彼岸花。
彼岸。
彼岸と
あの世とこの世。
じいちゃんは天国でばあちゃんと再会できただろうか。
何軒か、急須の買えそうな店を通り過ぎているが、まだ買う気分になれない。
「あ、ああ、ぅあ……」
そしてやって来た、土管坂。
『急須がほしいのか?』
『うん! きゅーすがほしい』
じいちゃんと来たんだ。
土管や焼酎瓶を重ねられた壁に挟まれた坂にきて、僕はようやく思い出した。
なぜ、僕にお茶を淹れてくれていたのかも。
「約束、忘れて、ごめん、じいちゃん」
ボヤけた視界に、じいちゃんと幼い頃のぼくが手をつないで坂を下っていく背中が、はっきりと見えた。
「ごめん、ホントにごめん」
僕にその幻を追いかける資格なんてない。
『司はまだ小さいから、大きくなるまでじいちゃんが預かっておいてやろう』
『うん、やくそくだよ』
不意に幻のぼくが、僕を振り返って駆け寄ってきた。
嬉しそうに笑いながら。
「お帰り」
僕は幻を、攻撃的なボクに追い出されてしまったぼくを、僕自身を抱きしめた。
※
所詮、僕の気持ちの整理をつけるための行いだ。死んだじいちゃんに許してほしいなんて、都合のいいことは考えていない。
帰りの赤い電車に揺られる僕は、膝の上でビニール袋を抱えていた。
新聞紙に優しく包まれた、昔ながらの朱泥の朱い急須が入っている。
茜色の夕日が、こんなにも優しいなんて知らなかった。
西方浄土。
じいちゃんのいる極楽は、きっと優しくて暖かいに違いない。
ビニール袋を抱える両手に力がこもった。
じいちゃんと再会できるように、しっかり生きていこう。
僕の中に、強い決意が芽生えた。
急須を買いに 終
急須を買いに 笛吹ヒサコ @rosemary_h
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