煙の行く先

和泉 夏亮

煙の行く先

「かおりちゃんは、出身はどこなの?」同期の男の子に訊ねられる。


「横浜市の磯子区ってとこなんだけど……、ゆずの出身地」私の口からは使い古された言葉が自然と出てくる。


この街はそう自己紹介するのが一番手っ取り早い。


 神奈川県は横浜市磯子区、岡村。近隣には滝頭という地名が付いていて、私なんかよりずっと年上の方には、美空ひばりの出身小学校が近くにあると言った方が話が弾む。地元から有名人が出ていると、話題に困ったときなんかには便利だ。


 まあ、ただそれだけなのだけど。



「え、すごいじゃん。ゆずと知り合いだったりしないの」


「あぁ、お母さんの同級生の友達が北川さんのお兄さん」


「それって知り合いって言わないでしょー」いかにも体育会系っぽい男の子は豪快に笑う。あんた、初対面でしょ。


 こんな具合に、一言でいえば便利なのだ。


 街の良いところを挙げろと言われれば、確かにいくつか挙げることはできる。駅からの帰り道には船も通れる二級河川の掘割川があるし、横浜市にしてはそんなに坂が急じゃないし、岡村の三角コロッケ屋のコロッケなんか絶品で、中学の頃何度も買い食いしていたし……。え、そんな街どこにでもあるって? 



「えー、かおりちゃんも横浜なの? 私と一緒だ」嬉しそうに体を寄せてきたのは、先程の内定証書授与式で隣の席に座っていた女の子で、名前は斉藤久実。黒髪のショートで、小顔に黒縁メガネ。男の子には困らないだろうなあ、なんて邪推をしてみる。


「久実ちゃん、何区?」


「中区だよー」


「最寄りは?」


「山手!」コテン、と首をかしげながら答える久実。同性に対する仕草も気を抜けないというわけか……。


 というか、この子、最寄りが山手とは。バリバリのお嬢様かもしれない。何せ山手と言えば横浜市民は誰もが知る高級住宅街だ。私の最寄り駅である根岸と隣の駅なのに、この劣等感。どうしてくれようか。



「わあ、隣じゃん! これからよろしくね」久実は私の腕を取ってぶんぶん振り回す。人の気など知ったものじゃない。


「よろしくね……」


苦笑いしかできない私は今後、社会の荒波を潜り抜けていけるのだろうか。浮き輪がないと溺れちゃうかも。




内定者懇親会が終わった後、久実と一緒に帰った。本社は下り方面だったので、帰りは上りとなり私が根岸駅で先に降りた。


リクルートスーツで自転車を漕ぐ私。帰りが遅くなるときにはバスは使えない。誰が見ているわけじゃないし、そこまでお酒も飲んでないから大丈夫だろう。



 堀越川沿いに風を切って走る。何本か橋が架かっているのでどこかで左に折れて川を渡ることになるが、私は毎日直前になるまで渡る橋を決めていない。今日は坂下橋から渡ろうか……。


 横断歩道をまたいだ先の橋に、もたれかかって煙草を吹かしている男がいた。通り過ぎようとしたとき、声をかけられてキィとブレーキをかける。


「かおりじゃん。どしたのその恰好」

 幼馴染の翔だ。そういえばこいつ、いつの間にか喫煙者になってたんだった。


「あー、久しぶり。これ、今日内定式だったの」


「ついにお前も社会におん出されるわけだ。晴れて歯車の一員だな」翔はそう鼻を鳴らす。


「なんであんたはそう人の悪口が次々と……」二人の中では、これはお決まりのパターンであることは分かっている。


「どんなやついた? 近所のやつとかは」


「えっとね、山手が最寄りの女の子が一人いたよ。さっき一緒に帰ってきた。まー、これがモテそうったらありゃしないっていうか、男のツボを分かってるというか」


「お前分かってないのにそんなこと言えないだろ」ぼそっと翔が呟く。


「私の話じゃなくてー。あれは絶対顔採用だわ、うん。間違いない」


「そんなのが同期で大変そうだな。会社を追い出されないようにしないと」翔は深く煙を吸って、真っ暗な夜の空へと吐き出す。冬の吐息みたい、なんて思って躰がぶるっとする。


「ほんと、そうだね」煙が消えゆく先を、ぼんやりと眺める。


 今日はあんまり星は出ていない。見えるのは霞んだ三日月くらい。私は自転車を降りて、前かごに鞄をどさっと放り込んだ。



「マンモスプール、あるじゃん」突然口を開く翔。


「あるね」


 根岸駅のほど近くにある割と大きめのプールだ。


「あれ、なんでマンモスっていうか知ってる?」


「おっきいからじゃないの」


「昔、プールの建築予定地からマンモスの骨みたいなのが出てきたんだってよ」


「何、それ」私はおかしくなって笑った。


「で、鑑定の結果結局は誰かが象の骨を使ってしたいたずらだったみたい」


「ほんとにー?」


「知らないだろ? それくらい、注目も何もされないどこにでもある街なんだなーって思ってさ」


「確かに、今日も山手に住んでる子が居なかったらあんまり話の広げ方が分からなかったかも」


「それはかおりが話下手なだけだろ」


「違うってば」


「まあ、さっきの話は全部嘘なんだけどな」


 バッと翔の顔を見ると、思いの外馬鹿にした表情はしていないかった。笑ってるけど。


「ばか」私はそう呟いて、翔を小突いた。



 私たちの街みたいなところが、全国にも沢山あるんだろう。


 でもそんな、パッとしないかもしれないけれど、自分が生まれ育ったこの街が、



 私は大好きだ。

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煙の行く先 和泉 夏亮 @izumi0609

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