鬼ヶ島の鬼
緑川 赤城
ある鬼夫婦のはなし
連絡船はようやく岸に着いたようだ。
辺りのテトラポットにはちらほらカモメの姿がある。陸の方に目をやると砂浜と旅行者を出迎える迎賓館が待ち構えていた。地獄の様に暑い真夏の三日間、夏休みを利用した余暇の最後の日はここ女木島に訪れた。
なぜこの島に足を運んだか、それは単に足が向いたからだ。
そもそも夏休み真っ只中の今日、ロクにバイトもせずに何ら計画のない本当に行き当たりばったりの旅に興じて『東京より西に行った事が無いから』という理由で奨学金を切り崩し。わざわざ仙台から新幹線を乗り継ぎ四国、香川県まで足を運んでその日、その縁で宿を決めて目的のないのが目的、といった脈絡のない旅をしていた。
路中は宿の子供らと仲良く遊んだり、三十五度を超える炎天下の中、熱中症寸前で島中を歩き回り、なかなか宿が決まらず野宿になる危険もあったがそれなりに楽しめた。
そんな遊び呆けてる学生だった自分が旅の行程三日目に選んだのは童話『桃太郎』の決戦の地として有名な鬼ヶ島、もとい女木島だ。
別に最初からそこに行こうとも思って居なかったが船の時間と少しの好奇心もあり文字通り船に飛び乗った。
船から見る諸島の光景は大パノラマで見渡す青い水平線と存在感を放つ島々の風景に感動していた。
海風は思いの外強く、肌寒いのが正直なところだったが風邪を引くでも無かったのでよしとする。
香川の海の諸島群に位置する女木島は観光地だ。桃太郎の逸話にある鬼のねぐらにはこの時期人が多い。
山の上の観光名所はバスが往来して本来なら静かな筈の洞穴も人の足音が絶えない。
看板によれば鬼のモデルとなったこの地の海賊が手掘りで掘ったものらしい、その割に天井も低くなく、幾つか部屋も散見された。
ただ、犬、キジ、猿が乱舞する乱戦の場とするには正直狭すぎる気もする。
土産屋にはきびだんごもあり、クラスの土産に買おうと思ったが日持ちしないので止めた。
その後は女木島の昔ながらの町並みをぶらぶらとしながらついでに今日の宿を探す事にした。
夏は海と戯れ、バーベキューや一夏のロマンスなんかに興じる若者も少なくないこの島は何件か泊まれる場所もある。
大体が海の家と併用した簡単な宿で、それでも何処も部屋は埋まっている盛況ぶりだ。
で、それだと困るのが今日の自分。
迎賓館で貰ってきたチラシの電話番号をしらみ潰しに掛けてみてもにべもなく断られてしまう。
どうしたものかと最後の二件に掛けてみると、
「だったら、あの子の部屋が空くからそこにしなさい」
そんな返事が返ってきた。そのお婆さんの声の案内に従って行くとそこは文字通りの海の家だった。
皿には焼きそば、水着姿の若者たちで賑わう一階を店先として利用した一軒家。見れば砂浜と海が広がる絶好のロケーション。
「時間より早いわ、どっかで時間潰していき!」
威勢のいい関西弁に押されて仕方なしに宿を離れる。どうやら前の客の支度がまだらしい。
泊まれる事を確認して向こうの人気のない海岸線を散歩してみる。
アスファルトの道路のある山道を行き、テトラポットひしめく海辺を歩く。雄大な水平線の景色は田舎の海とは一味違う。
そんな感慨にふけりながら時間を潰す事、一時間。四時を回ったその頃に宿に戻ると宿代を払って腰を落ち着ける。
宿には四人ほどが働いていた。先ほどの関西弁のおカミさんとガタイのいい色黒の旦那さん、アルバイトの高校生男女二人が今日の面子らしい。
夏は繁忙期のためアルバイトを雇っているらしいが、人手が足りひんのや、とボヤいていたのが印象的だった。
「なんだ、水着持ってへんの? なら貸したる」
特に何をするでもなく、海を見ているとおカミさんに物欲しそうな目に見られたのか、水着を貸して貰う事になった。
そんなわけで久方ぶりの水泳に興じる。浮かぶ板状のブイまで辿り着く頃には足がつっていて危うく溺れかけていた。
それでも犬掻き紛いの泳法で辿り着くと一望した砂浜の景色が出迎える。
人で賑わう夏の砂浜は海にきらめいて鮮やかだった。
六時を回った頃、おカミさんの厚意に甘えて従業員全員での食事に付き合う事になった。それも宿代に含まれていると言うのだから有り難い話である。
食事はブリやタコなど海産物が主で、特にタコは食べた事がなくコリコリとした食感が新鮮だった。
「おれな、昔高校球児やったんや。昔は甲子園にも出場してた」
食卓の団らんで旦那さんが話を進める。この旦那さんは甲子園までコマを進めた強豪校の野球男児だったらしい。
いまも熱心に高校野球を語る姿は、かつてただ時間が過ぎるのを待つだけだった高校時代を送った自分には眩しく見えた。
どうやらアルバイトの男の子も高校野球らしいがあまりパッとしない成績の様だ。
旦那さんのお気に入りのその子にはそれなりに期待のある言葉を掛けている。
本人は満更でもなさそうだが、甲子園は遠そうではあった。
暫くしてアルバイトの女の子が船で帰ると話はおカミさんと旦那さんの馴れ初めに変わる。
旦那さんはなんでも元裏稼業の人だったらしく、毎晩取っ替え引っ換えで女を抱く程にブイブイ言わせていたとか。
おカミさんの方はホステスで成り上がろうと躍起でこの世はアタシを中心に回っていると、それ程に勝気で怖いもの知らずだったという。
やがてふたりは出逢い、紆余曲折の末に仕事も他の女も全て切り捨てて現在は夫婦仲むずましく経営をしているのだとか。
夜も九時を回りようやくと食卓を終える。その後少しばかり砂浜でだべり、先ほどの紹介を受けたお婆さんを交えて写真撮影。
そういった出来事は過ぎて、明朝。
餞別にお握りを貰い朝一の船に飛び乗る。女木島の朝はひんやりと涼しい。
鬼が棲むと云う鬼ヶ島、そこには角も財宝も捨てた鬼の夫婦が暮らしていた。旅の糧を持ち帰り帰路に就く。
自分には角も財宝も無いが、それでも、と。遠ざかる島を背に道を急いだ。
鬼ヶ島の鬼 緑川 赤城 @gababa-bunco
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