中山道宿場町珍事譚

紺藤 香純

中山道宿場町珍事譚

 運動会の前の日なのに、僕はタイムスリップをしたのかもしれない。

 昭和の雰囲気のある呑気な街並みは、時代劇の江戸時代のような木造建築ばかりの街並みへと変わってしまった。電柱も自動車もなく、馬や人がにぎやかに行き交っている。その人達は、洋服ではなく着物を着ている。かく言う僕も、小学校の体操着ではなく、すり切れた着物を着ていた。

 僕のいる埼玉県本庄市は、一瞬で、中山道の本庄宿になってしまった。



「おい、坊主。どうした?」

 急に声をかけられ、肩を叩かれた。叩かれた方を見上げると、背の高い男の人が僕を見おろしている。なぜか怖くはない。町の人とも侍とも違う個性的な恰好をして、槍を持っている。

「坊主、悩みなんかおんぶしてないで、このにいちゃんに話しちまいなよ。お父ちゃんやお母ちゃんには言いづらいんだろ?」

 意外と察しが良い。男の人は、図体の割に整った顔をしているが、それを崩すように、にかっと笑った。

「俺は原田ってもんだ。よろしくな」



 本当にタイムスリップしたかは定かではない。それに、話したところで信じてもらえるわけでもない。もうひとつの目下の悩みを原田さんに聞いてもらうことにした。

 原田さんは「団子をおごる金もない」と苦笑いし、「へそくりにとっておけ」と小銭を1枚くれた。四角い穴の開いた、綺麗な硬貨だ。

 近くの路地に、材木が積まれたところがあった。原田さんと僕はそこに腰を下ろした。

 僕の悩みは、明日の運動会のことだ。僕はとにかく運動神経が鈍い。僕の組は毎年ぼろぼろに負けてしまう。明日は小学校生活(“小学校”は“寺子屋”に言い換えた)最後の運動会だ。そう思うと憂鬱で仕方がない。

 それを聞いた原田さんは一言。

阿呆あほか」

 僕は生れて初めて阿呆と言われた。“馬鹿”は何度もあるけれど。

「うじうじ考えるから走れねんだよ。子供がき子供がきらしく、がむしゃらにやってみろ。頭をからにして夢中になれるのは、今しかないんだぜ」

 僕は、とりあえず頷いた。原田さんの理屈はよくわからない。でも、最後の言葉は心に引っかかった。

 頭をからにして夢中になれるのは、今しかない。



 原田さんは、仲間らしき侍の人と一緒にどこかへ行ってしまった。

 僕は行くあてもなく道をぶらぶら歩くことにした。僕の知っている本庄とは全くもって違う。

 偶然、ある場所に着いた。そこは意外にも、ほとんど変わっていなかった。

 そこは、僕のお気に入りの場所だ。



 日が暮れてからは、雨風しのげそうな所に隠れて眠った。

 どれくらい経ったのかわからない。騒がしい声と音で目が覚めた。

 騒ぎの原因は、すぐにわかった。火事だ。正しくは、建物火災。大勢の人が野次馬に出ている。僕はその中から原田さんを見つけた。

「原田さん! どうしたの?」

「おお、坊主か。俺にもよくわからん。芹沢さんて人が店に火をつけたらしい。今、近藤さんがなだめに入っているんだが……こなくそ!」

 このままでは、火が広がってしまう。この時代に消防車はない。火消は建物を壊して火が広がらないようにするだけだと聞いたことがある。

 運動神経が鈍く利口でない僕だけど、火を消さなくてはいけないことくらい、わかる。

「原田さん、ついてきて!」

 僕は、原田さんを“お気に入りの場所”に案内した。そこは、火事の現場に近い水路だ。周りに草木が生え、川のような雰囲気がある。水量も、そこそこある。

「坊主、でかした! 何か汲むもの借りてくる!」

 原田さんの行動力のおかげで、たくさんの人に協力してもらうことができ、バケツリレーのように水を運んだ。原田さんなんか、水がいっぱい入った樽を抱えて走ったりして、パフォーマンスのようになっていた。さすがに水路の水だけで火を全て消すことはできなかったが、「大火事にならなくてよかった」と周りの人は話していた。

 僕は、考えていなかった。火を消すこととお気に入りの水路が同時に思い浮かんで、気がついたら水を運んでいた。

 そうか。これが「夢中になれる」ということなのか。

「夢中になれるじゃねえか、坊主。明日のもこの調子で出来そうだな!」

 原田さんは、大きな手で僕の髪をぐしゃぐしゃに掻き回す。

 僕は急に疲れてきて、まぶたを開けていられない……。



 気がつくと、僕は家のソファーで横になって寝ていた。服は、着物でなく小学校の体操着。元の時代に戻っていた。

 次の日の運動会、僕は馬鹿みたいに走った。徒競走は最下位だったけれど、リレーはバトンパスが上手くいった。その上、僕は途中でひとり抜いたらしく、最下位はまぬがれた。走っている間の記憶がないのが恐ろしい。走るのに夢中になっていたようだ。



 あのときの体験が本当にタイムスリップなのかは、結局わからない。

 江戸時代のような本庄の街並み、火事の現場、水の冷たさ、原田さんの言葉と大きな手……どれも実感したが、夢だと言われてしまえば、それまでだ。

 そういえば、目が覚めたとき、僕は小銭を握っていた。四角い穴の開いた、綺麗な硬貨だ。

 僕は小銭の穴に紐を通し、お守りとして財布に入れておくことにした。

 これのおかげで「頭をからにして夢中になれる」自分になれたと思いたいから。



 【終】

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中山道宿場町珍事譚 紺藤 香純 @21109123

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