島に孤独の風が吹く

白里りこ

第1話

 希望に輝く生徒たちの笑顔。

 色とりどりの荷物。

 絶え間ないお喋り。

 全てが、歯軋りするほど煩わしい。


 ◆◆◆


 飛行機を降り、私は生まれて初めて沖縄の地を踏んだ。

 記念すべき第一歩と言いたいところだが、残念ながらこんな所には、来たくもなかったし居たくもない。今すぐ引き返す事ができたらどんなに良いか。


 私は恨めしげにクラスメイトを見やった。修学旅行の独特な興奮に、彼らはフライトの疲れも忘れて談笑している。

 だいたいあんたらは何がそんなに楽しいのだ。私がぽつねんと黙りこくっているのに、何でそんなに楽しめるのだ。どこまでも気遣いのできん奴らめ。もう高校生にもなるのに、ムシだのシカトだの本当にいい加減にして頂きたい。


 私は早くもイライラが募り、舌打ちをして「修学旅行のしおり」を引っ張り出した。暇つぶしに、本日の予定である「平和学習」の概要を目で追う。

 読みながら、周囲への嫌がらせとして、あからさまに大仰な溜息をついてやった。


 ◆◆◆


 飛行機で寝てしまったから、今は全然眠くない。バスに揺られて、私はやっぱり黙っていた。


 隣に座るのは女子生徒の一人だが、彼女は通路越しの友達と、大声で喋っている。

 あまりに退屈なので、「ねえ、カーテン開けていい?」と、ぶっきらぼうに尋ねてみたが反応はない。

 私は彼女の背を叩き、同じ言葉を繰り返した。


 振り返った彼女は、心底迷惑そうに眉を顰め、「え、ああ、好きにすれば」とぞんざいな口調で言って寄越した。

 哀れな奴、誰かを見下さないと安心できないのだろう。だが貴様は、その矮小な安心と引き換えの犠牲を、解っているか?

 私はまた舌打ちをしたが、女子生徒はもうあちらを向いてしまっていた。


 気を取り直し目一杯カーテンを引く。

 途端、車内に光が満ちた。息が詰まる様な薄暗さから一転、空や木々の色彩が飛び込み、目が眩む。


 煩いお喋りは聞こえぬふりで、私は一心に窓外を眺めた。


 海外でもないのに、過ぎ去っていく風景はとても異色に見える。山が無いせいか。植生が違うせいか。


 それとも、鉄条網が多いせいか。


 そこかしこで目に付く鉄条網を見ると、沖縄のもう一つの顔を実感してしまう。

 向こうには漏れなく米軍基地が広がっているのだから。


 先の大戦では「本土」を守る砦として、切り捨てられた沖縄。その後米国に占領され、名残として今も全国の基地の七割強を任されている。


 そんな沖縄の感覚を、私達は同じ日本人として共有しているのだろうか。遠い他県として見てはいないだろうか。

 沖縄県と他の都道府県の間に、あってはならぬ差異がありはしないか。

 今も昔も、沖縄でしか吹かない風がある気がする。県民の声は海に阻まれ、なかなか「本土」に届かない。


 ◆◆◆


 平和祈念公園の資料館の見学を終え、私は外でぼんやり立ち尽くしていた。


 今はグループ行動をすべきなのだが、班員は碌に展示も見ずに、ばらばらとどこかに行ってしまった。仕方なく一人で館内を回った後、こうして残り時間を持て余している。


 今みたいに疎外感がいよいよ強まった時には、取っておきの呪文がある。心の中で「死ね!」と吐き捨てるのだ。

 だが流石に今は、そんな悪態は出て来なかった。

 死体を写した大きな白黒写真が、まざまざと脳裏に蘇る。体に無数の銃痕を空けて死んでいる、子供の写真だった。


 ああいう展示を真面目に見ないなんて、人としてどうなんだ。「死ね!」はまずいから「畜生め!」に変更しようか。

 何れにせよ、私の班のメンバーは揃いも揃って、不勉強で薄情者だ。


 特殊な歴史を持つ沖縄は、戦争の悲惨さを体現しているだけではない。

 日本の過ちを明示できる島。植民地での兵士の所業を忘れがちな我々が、それを目の当たりにできる貴重な場所。

 日本の勝利のために、日本人が日本人を殺した地。


 私は掌を見下ろした。

 何人なにじんかは大した問題ではないが──人が人を見捨てたら、後には何が残るのだろう。


 ◆◆◆


 集合時間まではまだ間があった。とっても、とっても暇だ。

 手持ち無沙汰にぶらぶらとそこらを歩き始め、売店の傍まで来た時、再び私はピタリと立ち止まった。偶然目に入ったのだ。楽しそうにアイスクリームを食らう班員達の姿が。


 ──私も展示も、何もかも放棄してまで買ったアイスの味はどう?


 考えて、自然と苦笑が浮かんだ。私の声に彼らが耳を傾ける事は無いだろう。

 私とクラスメイトとの間にも、大洋の如き隔たりがある。


 私は売店に背を向け、芝生のあった方へと歩き出した。


 私を好きになってくれとは言わない。

 ただ一欠片の思いやりが欲しい。

 体裁とか保身とか、そんな雑事は脇に置き、人としての品格を持って接して欲しい。

 それが望めぬ今、私は胸中で「畜生め!」と罵り、溜飲を下げるしかない。まあ態度や口に出てしまう事もあるだろうが、そこは勘弁してくれ。


 ──こんな。

 ふと、胸に虚しさが去来した。

 ──こんな、いつも通りの心構えで、四日間を過ごすのか。


 私はこの旅で、沖縄の本当の価値を、見つけることはできないのだろう。

 一人旅でもしない限り、美しい沖縄の姿など永遠に解らないに違いない。


 もうそれでいい。もとよりこの修学旅行に、何の期待も抱いていない。最大の目的である「平和学習」が終わったら、あとは「お遊び」という名の地獄だけ。とうに知れている事だ。


 ただ一つだけ、心に決めた。思いついた素敵な誓いを。


 いつかきっとお金を貯めて、一人で好きなだけ沖縄を満喫しよう。一人で沖縄の魅力を探しに行こう。

 その時はこの暗い思い出を、きらきらに塗り替えてやるのだ。


 いつの間にか芝生に辿り着いていた。

 風が溜息を拾い上げて、ざわざわ吹き抜けていく。

 私は空を仰いで、暖かな空気をただ感じていた。


 ◆◆◆


 後に私は大学生となり、再び旅行者としてこの地に舞い戻った。

 晴れて念願が叶った訳だが、あの誓いが果たされることはなかった。思いがけなくも私は、新しい友達という望外の連れを一人、得たのだ。

 だが、それはまた別の話である。

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島に孤独の風が吹く 白里りこ @Tomaten

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