女子力大学院

大澤めぐみ

第1話 ネイル学部修士一年 瓜生桜子




「昨日かわいいお花屋さん見つけたよ!」

「すごーい! きれいな写真! さっそく成果がでたね」

「ちょっと相談が……」

「みんなで史跡巡り行こうよー」

「私、授業の後からインテリアの勉強始めたのよ!!」

「今日の服カワイイねー」

「今日はお花の授業だ」

「今度、一緒に映画観に行こうよー」

「もっと、料理の授業があればいいのにー。お腹すいた……」

「お茶の勉強してカフェやりたい」





「私たち女子力上がってきたねー」






ここは福岡県宗像市。

2015年に宗像市都市再生プロジェクト専門家会議の提言によって設立された、日本で唯一の「女子力大学」を擁する、日本が誇る女子力の聖地である。

女子力大学では、女子力を向上させる文化、教養、趣味、作法などに詳しい福岡や北九州の教育者や文化人を講師として招聘し、定期的に講座を開設するなどしており、学生たちは日々、自らの女子力の研鑽に勤しんでいる。

講義を終了した生徒には宗像市が女子力の認定を行い、修了証書を授与するなどして付加価値を追加している。


その女子力認定の最高峰こそがPh.J. ジョシリョク・オブ・フィロソファー。すなわち、女子力博士である。


設立から十年、博士号認定試験じたいは毎年行われているものの、その最高の栄誉を受けた女子は、未だ三人に過ぎない。

そして、今年もまた、博士号認定試験の季節がやってきた。


「うわー!ここが女子力大学かー!やっぱりカラフルで女子力高いなー!」

大きなリュックを背負って、女子力大学の正門をくぐり一歩敷地内に足を踏み入れるなり、坪居佳奈はそう感嘆の声を漏らした。

くるぶしまであるスウェット素材のマキシスカートにカーディガンonパーカー。真黒な毛量の多い髪をふたつの三つ編みお下げに結い、大きな大きな黒いセルフレームの眼鏡とツバの大きなハット。仕上げにヘビーデューティーな大きく無骨な帆布のリュックという出で立ちで、その外観からは欠片も女子力を垣間見ることはできない。

ジル・スチュアートのフレアスカートやジミーチュウのミュールやカバンドズッカのニットが行き交う女子力大学の敷地内において、坪居佳奈は明らかに異物であった。

どこからか、クスクスと笑い声が聞こえてくるが、佳奈自身は気付く様子も気にした風もなく、ゴソゴソと巨大なリュックから取り出したクシャクシャのプリント用紙をズレた眼鏡を直しつつ見つめている。

「えーっと、なになに。女子力博士認定試験を受けるものは……」

「なにかお困りですか?」

さりげない気遣い。高い女子力を遺憾なく発揮しながら佳奈に声を掛ける女子が居た。女子力大学院、サロン学部ネイリスト学科修士課程一年、瓜生桜子だ。

「あ! これはどうもご丁寧に! 鹿児島から出てきたんですけど勝手がよく分からなくて。女子力博士認定試験の集合場所はどこになりますかね?」

佳奈は慌てたようにツバの大きなハットをむしり取りながら、ヘコヘコと頭を下げつつ応じる。感じの良い女子力あふれる微笑みを貼り付けていた桜子の顔に、困惑の色が混じる。

「女子力博士認定試験……?失礼だけど、学部への入学希望などではなくて……?」

「アッハイ! 何年も学部に通うお金がないもんで、一発試験のほうで挑戦しようかと」

フフッ……と、桜子は堪らず息を漏らした。そこには隠しきれない嘲笑の色がはっきりと含まれていたが、佳奈のほうは相変わらず気付いてもいない様子で飄々としたものである。

それが、桜子のある種の琴線、あるいは逆鱗に触れた。

女子力大学は学校教育法に基づいて設置された正規の大学校である。従って、女子力博士の博士学位の授与もまた、学校教育法に定められた通り、課程修了後に成果の判定を受ける博士号の他に、外部から飛び込みで成果の判定を受ける制度も、あるにはある。

ただし、未だかつて、そのようなルートで女子力博士の認定を受けたものは誰ひとりとして存在していない。

そもそも、厳しい課程を修了した女子たちの中でさえ、これまでにたった三人しか授与されたことのない、この世における女子力の最高の栄誉なのだ。

そんな物見遊山ついでに記念にちょっと貰っておくか、というような観光地に置いてあるスタンプ台とはわけが違うのである。

「……分かりました。ご案内しますわ」

「え? 本当ですか! いやー助かります。なにしろ皆さんお綺麗なもんで、こちらからお声がけするのも憚られていたところなんですよー」

えへへーと、佳奈はだらしのない笑顔を向ける。この女子力の総本山、女豹の魔窟において、あるまじき警戒心のなさである。

「あなた、お名前はなんとおっしゃるの?」

「わたし? わたしは坪居佳奈といいます」

「そう。わたしはネイル学科修士一年の瓜生桜子よ。よろしく」

そう言って……桜子は佳奈に握手を求め右手を差し出す。

エメリーボードによる繊細なファイリングでベストなシェイプに整えられ、キューティクルリムーバーとプッシャで甘皮を処理し、クレンジングとサンディングで徹底的に鏡面に仕上げ、完璧なプレパレーションを施したネイルに、ベースジェルを塗ってはLEDライトで仮硬化、カラージェルを塗っては仮硬化、ウッドスティックではみ出しなどを入念に整えて再度仮硬化して下地を作り、トップジェルを塗って本硬化を経た後にクロスポリッシングで最終仕上げを施した、レクサスの塗装さえも上回る深みのある輝きを持った、それでいて派手すぎず控えめすぎず、適度に華やかさのある淡いパステルピンクの爪が。

女子力を究極にまで高めた瓜生桜子のネイルが!


究極にまで高めた女子力!それはまさに、国家の趨勢すらも左右するほどの!まさしく兵器!


(この女子力大学の敷地に一歩足を踏み入れたその時から……女子力博士認定試験はすでに始まっているのよ!!!!)


数瞬の後に起こるであろう惨劇を予期して、瓜生桜子の心に暗い黒い歓びが広がる。





「あ、どうも。よろしく」

「???????????????」


何事もなく佳奈の手に握られ、上下に振られる。


(なに……? いま、いったいなにをされた……? なにが起こったの? いいえ…………???)


「えっと……。で、女子力博士認定試験の集合場所は?」

いつまでも握った手を離さず、混乱の表情を浮かべる桜子に、佳奈は苦笑いでそうたずねる。

「あ……ええ」

一歩、二歩と、ヨロヨロと桜子が佳奈の顔を見つめたまま後退する。

「あの……えっと、ごめんなさい。やっぱりちょっと……気分が優れなくて。ちょっと他の方をあたって頂けるかしら」

「あ、それは大変なことで。大丈夫ですか?」

「ええ! ええ、大丈夫。ちょっと休みたいだけだから。あの、本当にごめんなさいね」

そう言って、踵を返し瓜生桜子は走り去っていく。

それは論理的な思考の帰結ではなく、直感。動物的な本能に由来する判断だった。

圧倒的な未知を前に、瓜生桜子は好奇心ではなく拒絶、逃走を選んだのだ。

それは女子力の求道者たる女子力修士としてはあるまじき態度ではあったが、今後の彼女の人生にとっては最も重要で、そして最良の判断となるのだった。

「お大事にどうぞー!」

走り去る桜子の後ろ姿に大きく手を振り、さて、それはそうとどうしたものかと周囲を見回す佳奈のことを、先ほどまで姦しくクスクス笑いを立てていた女子たちはやや遠巻きに、静かに見つめていた。

あまりの声の掛け難さに、ウッ……と佳奈が冷や汗を流しかけたところで「それでは、わたくしがご案内いたしますわ」と、後ろから佳奈に声を掛ける女子が現れる。

「お、本当ですか? 大変に助かります」

「インテリアコーディネーター学科博士課程二年、藤沢美穂よ。わたしも丁度、今から女子力博士認定試験に行くところだったの。せっかくだから一緒に参りましょう」

藤沢美穂は、大人びた柔和な笑顔で佳奈にそう言って、佳奈を先導するように歩き始める。


(遠目からではなにをしたのかよく分からなかったけれど、桜子のネイルも所詮は直接攻撃系の女子力。それに対応した坪居という女子の女子力も、おそらくは直接系、それも防御に偏ったスキル。それで、空間を操るこのわたしの女子力に対応できるかしら……!)


眼光鋭く、全身から殺気を放つ美穂とは対照的に。

「やっぱ女子力大学の人たちは女子力高いなー。やっぱ気づかいと親切が女子力の基本だよね」

などとひとりごちながら、まるで警戒するそぶりも見せずに佳奈は大きなリュックを揺すりながら弾むような足取りで美穂の後をついていく。


女子力博士認定試験は、まだまだ終わらない。

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女子力大学院 大澤めぐみ @kinky12x08

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