第3話 どっかの誰かさんが、お楽しみでやんしょねえ
白狐は一躍、獲物に飛びかかった──かに、見えた。
「こ、こら、白虎!」
あろうことか、飛びかかった相手はハルカだった。
どしん、とまともに体当たりくらい、生足もあらわに尻餅をついたところへ、白虎が鼻面を押しつけるやら頬をこすりつけるやら、あげくに手のひらほどもある舌で、何度もしつこく嘗めあげるやら。
「どいて!どきなさいってば、この!」
押し倒された格好のハルカは、ようやく熱烈すぎる愛情表現を押しのけて、スカートをおさえ起き上がろうとしたが、さらに巨体をくねらせたスリスリを浴びてしまい、ふたたび両足を高く突きあげて、ものの見事にひっくり返ってしまった。
「いいかげんにしなさいっ!」
ミス・キャンバス生徒部門グランプリ候補が、あられもなく下着をみせて、何度もひっくり返ってる姿を目撃したら、彼女のファンは驚喜するのか失望するのか、判断のむずかしいところだ。
一方のタダヒトは、
「かかかかか──」
なんと、腹をかかえて笑いだしていた。
さっきまでは動転して目を白黒させていたはずなのに、とうとう、どうかしてしまったのか。見れば身を折って笑うその表情すら、つい先程までの彼ではなかった。
いつも弛緩している顔立ちが、意地悪く歪んだ表情に変わっている。眠たそうだった目は爛々と輝き、口元は皮肉っぽく吊り上がり、心労のあまり(?)真っ白になった髪が背中まで伸びて、おまけにこめかみの上に左右一対、三角形の耳がピンと尖って立っている──。
耳?
人間ではありえない位置にありえない形状の耳──それが本物なら、まだじゃれまくっている白虎に負けす劣らずの異常事態だ。
だが当の本人はまったく気にする様子なく、甲高い声でまだ笑いころげていた。
「いやはや、日の高いうちから、お盛んなことでありんすなあ」
「うるさい!」
ハルカはやっと起きあがっていた。なめまわされた顔を袖で拭きつつ、白虎を横目で『メッ!』してから、ようやくタダヒト──あるいはタダヒトだった者と対峙した。
「言いなさい! 昨日の夜、どこにいたの」
「夕べでんすか。さァて、どこにいんしたっけなァ」
「出てきてたって認めたわね。しらばっくれたって、わかるんだからね」
「いやァ、この野暮天小僧が、ときどきわっちの夢を見るんでありんすよ。そこでチョチョイと苛めてあげなんすと、べそをかいてわっちの名を口走るもんで、まあ呼ばれたからにゃあ、ちょいと月夜の散歩と洒落込んで──」
「嘘つけ! 全部、あんたの仕業でしょ!」
「は?」
「みんな、あんたが誘拐したんでしょ!」
「なんの話でんす?」
小首をかしげるタダヒトの声は一変していた。野太いというには程遠く、男子にしてはややトーン高めのタダヒトだったが、いま聴こえるのは女性のそれに近い。
「もう四人も霊対士が行方不明になってんのよ。すぐに帰してあげなさい!」
「へえ、四人もかどわかされたんで。そいつァ初耳でありんすな」
「嘘つくな! 超災連でもあんたがあやしいってなって、三課に確認要請きたんだからね」
「おっと、ぬし様。てェことは、とうとう内霊管に配属されなんしたかえ。三課でありんすか? めでたいことでござりんす。赤飯でも炊きんすか?」
「ごまかすな!」
「それにしても」
タダヒト(だった者)は腕を組んだ。
よくみると腰のあたりに尻尾らしきものまで見えている。ふさふさとした白い毛に覆われたそれは、狐のものに形状がよく似ていた。ということは、あの三角耳もそうだろうか。
「それにしても内閣官房霊的事案管理局、人呼んで内霊管。霊的災害対応技能士、人呼んで霊対士。超常災害防止連絡会、人呼んで超災連。人間ってなァつくづく、おかしな連中でありんすな。てめェで長ったらしい名前をつけといて、てめェで言うのが面倒なもんだから、てめェではしょってしまいんす。まったく、何やってんだかわかりんせん」
タダヒト(じゃない誰か)は悩ましげに首を振った。
「そもそも霊対士なんてのからして、流行りの漫画から借りてきたみてェな、センスのない呼び方でありんすな」
「他に思いつかなかったんだから仕方ないじゃない」
「誰がでんす?」
「どっかの誰かよ! それより誘拐、全部あんたの仕業でしょ。はやく白状しなさい」
タダヒト(以下略)の仕業かどうかはともかく、ここ半月あまりで立て続けに《霊対士》が行方不明になっているのは、れっきとした事実だった。
まず公特調(公安調査庁特異情報調査部)から二十代の調査員が消息をたった。ついで文霊研(文部科学省霊的事象研究科)から、続いて法務院からも若手が姿を消し、いずれも行方は杳として知れない。そして昨夜、神祇院までが同様の消息不明者を出したのだった。
そもそも素養のある人材に、専門教育と特殊訓練を施したのが霊対士である。省庁や団体によって《調査員》《除霊司》などと呼び方が違い、それぞれ得意・不得意があるといっても、抵抗どころか緊急事態通告さえ出せずに拉致されるほど、本来ヤワな連中ではない。
のはずが、四人が四人ともあえなく連れ去られ、目撃者ひとり出ていない。拉致されたのではなく、自分たちの意思で姿を消した──つまり何らかの組織か勢力に、集団で引き抜かれた疑いもあるが、超災連は早朝まで続いた会議で、一連の事件を霊対士を標的にした《連続誘拐》と断定した。
その理由は──。
「なんで、わっちが仕業だと、お疑いでありんすか」
「失踪したの、みんな女の人なのよ」
「へえ。みなさん、若い身空でござんしたか」
「しかも、着ていた服だけ道ばたに捨てていくなんて。あんな悪ふざけすんの、あんたしかいないでしょ」
「へえ、へえ、こいつァ驚き桃の木。若いお嬢さんが裸にひんむかれて連れていかれんしたと、こう仰るんでございんすか」
正確にいえば、下着は発見されていないのだが、それにしても四人を四人とも半裸にしてスカウトする必然性はあるまいと、超災連は真面目なのかふざけているのか、よくわからない結論をくだしたのだった。
タダヒト(そろそろ面倒)は、粘つくような顔でニンマリした。
「そりゃァさぞ、どっかの誰かさんが、お楽しみでやんしょねえ」
「や、やらしいわねッ!」
ハルカはまたしても顔を真っ赤にして、
「もういい。力づくで吐かせてやるから」
そう宣言すると、指で印を切り始めた。
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