第9話 “くれぐれも身辺に気をつけることだ” “合点、承知の助”

 女子高生の制服を嗅ぐ男。

 しかしサトミはそんな光景を眺めて、


「あー、もっと早くこれができてればなー。で、犬村どう? なんか匂う?」

「残留している体臭から判断して、かなり激しい運動をしたようです。汗の分泌が尋常ではない」

「安否は」

「生きています。少なくとも外傷はありません」

「本人の他に臭いは?」

「二名──いや、三名──犯人のものかはわかりませんが──む、これは」

「どうしたの?」

 犬塚はスカートを離し、今度はブラウスを嗅ぎなおした。


「微かですが──潮の香りを帯びています。直接、海水に触れたわけではないようですが」

「確かなの?本当なら、有力な情報よ」

「間違いありません」

「やったじゃない。他には?」

「血の臭い──いえ、少女のものではありません。もっとずっと古い、そう、幾多の戦いで身体に染みついたかのような、禍々しい臭いが微かにします」


 犬塚は目を閉じていた。鼻孔に神経を集中しているようだ。


「おそらく──その者と接触があり、少女に臭いが移ったのでしょう。肩と背中の部分に──抱き抱えられたのかもしれません」

「つまり、この子を誘拐した連中に、そういうヤバそうな奴がいるってことね?」

「はい。正体はわかりかねますが」

「例えば、何人も殺したかのような?」

「どう言えばいいのかわかりませんが、どことなく顔をそむけたくなるような──」

「嫌悪感?」

「それです。とても嫌な感じがします」

「そう──」

「日本人ではない──というより、人間ではないのでは、と。はっきりとわかりませんが、とてもよく似た、何か別のものだと思われます」


 人間ではない。その一言で緊張がはしった。

 人間でなければ──何者?

 が、微かな臭跡から辿れるのは、そこまでのようだった。


「ありがとう。いつも助かる」

「お役にたてれば何よりです」


 黙って聞いていたミチザネが近寄った。


「私からもいいだろうか」

「は。なんなりと」

「残留している臭気のなかに血に匂いがあると君は言った。それは錆びた鉄のような刺激臭だろうか」

「刺激というほどではありませんが、たしかに錆びたような臭いが、僅かながら残っています」

「君はそれを禍々しいと表現した。嫌悪感をおぼえる臭気だと」

「仰る通りです」

「君達も数多の戦闘を経験してきた歴戦の古兵つわものだ。異形の者と刃を交えることも多々あっただろう。そこで、思いあたる対象があればで結構だが、対峙した敵に今回と似た相手はいなかっただろうか」

「それは──」


 犬塚は考え込んだ。


「鉄錆のような、という臭気の分類に拘らなくていい。雰囲気として近い印象を持った相手がいれば教えて欲しい」

「言われてみれば、いたような気がします。まったく同じではありませんが」

「ふむ。その相手とは」

「下野国富田の鬼──」

「《青頭巾》か」


 ミチザネが唸った。もっともその仕草は悩ましげというよりも、子供が大人を真似ているようで、可愛らしいのだが。


「青頭巾って、あの──?」


 サトミが尋ねると、


「うむ。かつて下野(現在の栃木県)富田にある大中寺の住職が、溺愛する稚児を亡くした哀しみのあまり、その亡骸を喰らって《鬼》となり果て、富田の村人を襲うようになった。通りかかった高僧がこれを調服し、自分の青頭巾を被せたところ、餓鬼道に堕ちた自分を恥じながら、一年のあいだ禅宗の証道歌を唱えて、ついに成仏したというが──」


 小首を傾げたミチザネがすらすらと答えた。

 この《鬼》に関する顛末は江戸時代の国学者、上田秋成の『雨月物語』に詳しいが、


「実際に干戈を交えたのは君たちだったな。村人を襲って食らう《鬼》──確かに忌まわしい」

「でも、ちょっとそれ、やばくないですか?」


 サトミが身を乗り出した。


「彼女たちが食べられちゃう!」


 ミチザネは暗鬱な表情で、


「ただちに、そのような事態に陥る危険性は高くないと考えるが、迅速な対応が求められる、きわめて危険な状況にあるのは間違いない」

「青頭巾に相似している点、どのように考えます?」

「鬼──幾多の返り血を浴びた鬼──ずっと古い血の匂い──日本とは別の場所で、長年に渡り忌まわしい行為をなしてきた者──人間の血液に縁の深い、ある不死者アンデッドを想起するね」

「吸血鬼──ヴァンパイアですか!」

「私のイメージは、それに近い」

「ヴァンパイアだとすれば、被害者が若い女性ばかりなのも頷けます。けど、拉致して着ていた服だけ捨てていく。これ、どういう意味だと思います?」

「解釈は何通りかできる。一つ目、犯人の目的に衣類は必要は必要ないか、むしろ邪魔だった。二つ目、我々に対する挑発」

「あまりピンときませんね」

「必要がなければ、もっと目立たぬように処理をすればいいからね。わざわざ目のつくところに手がかりを残して、みずから危険を呼び込むからには、何か理由があるはずだ。たとえ絶対に捕まらないという自信があってもね」


 ミチザネは自分に語りかけるように話していた。考えをまとめるために喋っているのかもしれない。腕組みをして彼女は続けた。


「また挑発であれば、もっと自分を誇示する何か、あるいは我々を愚弄する何がを残しはしないだろうか。衣類を残しておくだけではメッセージ性に欠けるよ。そうなると三つ目の解釈が俄然、現実味を帯びてくる。すなわち──」

「罠?」

「その通り。となれば、当然ながら生き血を欲するヴァンパイアの単独犯行という、単純な事件ではないはずだ。先走った予断は慎むべきだが、彼女たちはある計画によって集められたのであり、衣服が罠だと解釈すれば一連の出来事に説明がつく」

「と、いうと?」

「潮の香りは、犯人が湾岸地帯に滞在していることを示唆している。であれば、拉致された少女も同じ場所か、目の届く範囲に監禁されているとみるのが自然だろう。だとすれば、なぜ湾岸に? 単に監禁しておく場所が確保しやすいという理由も考えられるが、拉致された少女たちが船舶で搬送される可能性も考慮に入れておくべきだ」

「船──ですか」

「その通り。そして船舶を使うとすれば、それは予め用意されているとみてよかろう。拉致してから手配するとは考えにくいのでね。つまり本件は複数名を拉致して船舶で搬送することを目的とした、計画的かつ組織的なものという仮説がたてられる。では、連続して拉致する具体的な方法は?」

「彼女たちの衣服をつかって──」

「タダヒト君はまだ知るまいが、我々には統一された霊対士のリストがないのだよ」

「そうなんですか」

「内霊管(われわれ)をはじめとして、各組織がそれぞれ個別に管理しているのみで、その名簿は互いに非公開となっている。共有をもとめる声もあるが、実現には至っていない」

「お互い、そこまで信用できないってことよね」


 と、サトミが自嘲的に笑った。


「ところが本件においては公特調、文霊研、神祇院、法務院と、各省庁・団体にまたがって霊防士が拉致されている。彼女たちを繋ぐ線は何か。後ほど確認するが、彼女たちが今日のような遺留品発見の現場に立ち入ったとすれば──」

「標的をさだめて尾行できる。つまり、今この現場を誰かが見ているかもしれないってことですね」


 タダヒトは思わず周囲を見まわしたが──夕そこに見えるのは暮れの公園でしかなかった。

 ミチザネは一語、一語を区切ってゆっくりと、


「サトミ君、“くれぐれも身辺に気をつけることだ”」

「“合点、承知の助”」

「?」


 タダヒトは奇妙なやりとりだと思った。

 ミチザネは何もなかったかのように、


「私は思うところををあたる。嫌な予感があたっていなければよいが」

「あたっていたら?」

「裏切り者がいる──ということになる。彼女たちが拉致された順番が重要だ。留意しておいたほうがいい」

「そうなっちゃいますかー」


 物騒な話にもかかわらず、サトミは鷹揚に伸びをしながら言った。ミチザネはタダヒトのほうを向いて、


「今日はずっとサトミ君と一緒だったのかね」

「ええと、その前はハル──いえ、同級生といました」

「サトミ君、証言できるかね」

「間違いありません」

「おめでとう。君への嫌疑は完全に晴れたよ。他ならぬ内霊管の担当者がアリバイを保証しているのだからね」

「え?容疑者だったんですか、俺」

「我々はそう思っていなかったさ」


 と、ミチザネは笑顔をみせた。そのあどけなさに、タダヒトはまだ違和感を感じていた。

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