最終夜
カチャカチャと食器をスプーンやフォークの触れ合う音がする。
十三年ぶりに食べる母さんの料理は最高だった。ほっくりかぼちゃとタマネギの甘みが、厚切りベーコンとミルクに良く合うシチューも、シャキシャキの薄切りリンゴが沢山入った、オレの大好物のポテトサラダも、今朝焼いたというパンも、父さんが作った自家製のチーズもバターも、最後に出てきた、ほろ苦いカラメルが掛かった、かぼちゃのパンプティングも、とても、とても美味しかった。
懐かしい味に、思わず涙がこぼれそうになるのを必死で堪える。
「美味しイネェ~。オ母さん、料理、上手だヨォ~」
ジャックもダニエルとおしゃべりをしながら、賑やかに自分の前に置かれたものを平らげていく。
食事も終わり掛ける頃、父さんはオレに質問をしてきた。どこに住んでいるのか、両親は何をしているのか、今夜この村に来た理由は? 誰に呼ばれて来たか。
それにオレは、テーブルの上の、ゆっくりと燃えながら溶けていく蝋燭達を見ながら、適当に嘘を付いて答えた。
フォーレン村から来ました。両親は畑と牛を一頭買ってます。秋になって両親が出稼ぎに出たので、寂しいだろうと親戚の伯母さんが、この村のハロウィンに誘ってくれました。マクラーレンさんです。
マクラーレンという名字は、この村に十件以上ある。そうそう確かめられないだろう。それに確かめる必要も無い、もうすぐ、父さんも母さんもダニエルも皆、オレと同じになるのだから。
オレの影と一つになった、テーブルの影がざわざわと蠢き始める。
……そうさ、母さんも父さんもダニエルも一緒に住めば良いんだ。あの冷たい沼の底で。そうすれば、もうオレは一人じゃない……。
顔を伏せてニヤリと笑う。
「あっレェ~」
とぼけたジャックの声が聞こえてきた。
「こコにも、誰もいナいのに、シチューが置いテあるネェ~」
オレはジャックの指す方を見た。奴の言う通りだ。
テーブルはキッチンの南側、窓に平行になるように置かれている。その短い辺に父さんと母さんが向かい合わせに、窓側の長い辺にジャックとオレが、反対側にダニエルが一人で座っていた。
そのダニエルの隣に、一人分配膳がしてある。器こそ小さいが、シチューが置かれ、ポテトサラダが小皿によそわれ、小さく切ったパンとチーズ、カボチャのパンプティングが添えられていた。他の席同様、小振りのジャック・オ・ランタンの蝋燭が水の入った浅い器に立てられ、チロチロと燃えている。
「これはね、トム兄ちゃんの席なんだ」
ダニエルが答える。
「トム兄ちゃん?」
「うん。僕が産まれる前にこの家にいた、僕のお兄ちゃん」
ダニエルは悲しそうな目で、隣の空っぽの席に見た。
「ココにいル、トム、と、おんナじ、名前の子なんだネェ~」
ジャックがカクンと首を傾げる。
「今は、どこニいるノ?」
「解らないんだ」
ダニエルが静かに首を振った。
「同じ名前の君に、こんな話をするのもあれだが……うちには以前、もう一人子供がいたんだ。『トム』と言ってね。元気な男の子だった」
父さんが静かに語り出し、母さんが少し潤んだ瞳でオレを見る。
「でも、十三年前、村の友達と喧嘩して、今は子供は立入禁止になっている森に入って、山ぶどうを採ろうとして、沼に落ちて亡くなってしまったらしいんだ」
「ラしいッテ?」
「落ちたような跡は見つかったけど、遺体が見つからなかったんだよ」
父さんが俯く。母さんがぽろりと目の縁から涙をこぼした。
「何度も何度も探しに行ったんだけどね。結局見つからなかった」
その理由はオレが一番解っている。あの沼は見た目より遙かに深い。しかもオレの身体は時間が経つうちに、泥の流れに乗って中央の一番深いところに埋まってしまった。
「村の人は皆死んだと言っているけど、私達は、まだどこかで生きているかもしれないと思っている。だから、何か楽しい行事があるときは、こうしてトムの席も作ることにしているんだ。あの子がいつ帰って来ても良いようにね」
「部屋もそのままにしてあるんだよ。僕の隣の部屋。母さんがいつも掃除している」
「もう、あれから十三年、あの子も大人になったから、先日は背広を上だけだけど作ったよ。私の若い頃のサイズでね」
「部屋の壁にちゃんとアイロンを掛けて掛けてあるの。あの子が帰ってきたら、すぐ着れるように」
ゆらり、ランプの光が揺れる。蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめく。テーブルの影一杯に蠢いていた黒いモノは、またいつの間にか消えていた。
「こんな話をした後で悪いけど、一度だけ、あなたを抱き締めさせて貰って良いかしら?」
母さんが目尻を拭って頼む。
「あなたは本当にあの子に似ているの」
「うん」
オレは素直に頷いた。椅子から降りてテーブルの脇に立つ。母さんが足早に、まるでオレが消えてしまうのを恐れるようにパタパタと、小走りで歩いてくる。
その様子にオレは、ようやく解った。だから、母さんは、ダニエルが帰ってきたとき、あんなに心配して構ったんだ。一人で出掛けたダニエルが、またオレのように消えてしまうかと思って。母さんはオレのせいで心配性になったんだ。
母さんが、オレの前に膝をついて、涙に濡れた目でオレをしばらく見た後、ぎゅっと抱き締める。
オレの身体を十三年ぶりの母さんの温もりが包んだ。肩に伏せた顔が小さく震えている。
「……ありがとう」
涙声が耳元で聞こえる。
「うん」
オレが頷く。
父さんの目が蝋燭の光で光っている。横でダニエルが嬉しそうに微笑んでいる。
オレこそありがとう。……そして、ごめんなさい。
オレは屈んだ背中に手を伸ばすと、十三年ぶりに思いっきり母さんに抱き付いた。
カサカサカサ……冷たい夜風が半分枯れ掛けた草を鳴らしていく。オレは沼の縁に供えられた、花束を拾い上げた。
二つとも今朝置かれたのか、少ししなびていた。白い秋バラとコスモスのカラフルな花束。コスモスの方には小さなジャック・オ・ランタンの飾りが付いている。
「父さんと母さんとダニエル、それとゲイルだな」
触れただけで、四人の気持ちが伝わる。
あの後、オレは泣き出すのを必死に堪えて、オレの家を後にした。父さんは送っていくといったけど、寄るところがあるし、村の中の伯母さんの家に帰るだけだからと断って。
そして、またジャックに手を引かれて、飛ぶようと駆けて戻ってきたのだ。
月の光に寒々と光る沼の面を風が撫でて、細波を立てる。
「ありがとうな。ジャック」
オレは二つの花束を抱え、ジャックにお礼を言った。
「助けてくれて」
誰にも見つけて貰えず、十三年間も沼の底に捕らわれ、自分が死んだことも知らずに、毎年、死んだ日に死ぬ瞬間を繰り返していたオレは悪霊になりかけていたんだ。
あの時々オレから滲み出ていた黒いモノは、オレの寂しさや、生きている者への妬みが生んだ邪気だった。
「マっさかァ~」
ジャックが初めてあったときのように、くり抜かれた口をヒクつかせてケタケタと笑う。
「だッテェ~、キミが悪霊にナると、邪気で山ブドうが、オいしクなくナルんだヨォ~」
「そっかぁ~」
オレもジャックのマネをしてケタケタと笑った。
「お前、本当に食いしん坊だなぁ~」
思いっきり笑い声を上げる。
この嘘つき。オレがゲイルに、邪気を放ちそうになったとき、止めてくれたくせに。
母さん達と食事をさせて、皆がまだ、オレを待ってくれていることを気付かせてくれたくせに。
アレが全部、山ぶどうの為かよ。
ケタケタケタケタ、涙が流しながら、腹を抱えて笑う。何故かジャックも一緒になって楽しそうに笑い出す。
二人で笑って、笑って、笑って……、オレは、やっと涙を拭って、笑いを止めた。
ふわり、身体が浮く。
「逝くノ?」
ジャックが訊く。
「うん、逝けそうだ」
オレが答える。
「ジゃあ……」
ジャックが白い手袋の手をパアンと合わせた。
オレの手から二つの花束が浮かび、くるくると一つになって、カボチャのランタンになる。
「コレなら、もウ、迷わナいネェ~」
オレはランタンに手を伸ばした。四人の気持ちのこもった優しい、ほんのり暖かい明かり。これなら、どんな暗くて長い道も迷わず逝ける。
「ああ」
しっかりランタンを握り締め、もう一方の手をジャックに向かって振る。
ふわふわ、身体が更に軽くなる。オレは星空に登るように浮かびながら、段々と小さくなるジャックに叫んだ。
「ありがとな~、ジャック! お前も早く逝けよ~!」
--昔々、ある男が悪魔を騙して契約をした。
死んでも地獄に落ちないという契約を。
「全ク、いつ気がついタんダヨォ~。ボクがおンナじ、幽霊っテこトニ」
ジャックがトムの消えた夜空に向かってぼやく。
--男は死んだ後、天国に逝こうとしたが、生前の行いの悪さから天国の門に入ることを拒否された。
「ダから、子供は、ヤなんダヨォ~」
小さく肩を竦め、ヤレヤレと息をつく。
--そして、悪魔との契約のせいで地獄に逝くことも出来なかった。
「デも、まダ、夜は長イネェ~」
きゅうっと三角の目と大きな口を細める。
--天国にも地獄にも行けなくなった男は、手にしていたカボチャのランタンに取り憑いた。
「あノ森でヒイヒイ泣いテいル、おばあさんモ、ウっとおシイネェ~。あレの相手デも、しテこよウかナァ~」
--男は今も現世をさまよっている。
ジャックは夜闇に包まれた森を飛ぶように駆け出した。
「Trick or Treat!!」
さまよいジャック END
さまよいジャック いぐあな @sou_igu
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