第三夜

「と……Trick or Treat……」

 小柄な少年がチョコレートを配っている店のおっちゃんに声を掛ける。

 だが、村の人と話しているおっちゃんは気付かない。

 しょうがないな……。

 オレは「Trick or Treat!!」店先で大きな声を出した。

「Trick or Treat!!」

 ジャックも叫ぶ。

「お前はさっき貰っただろうか!!」

 ここで配っているコインチョコレートを、さっきジャックが、口の中に押し込んでいるのを見ている。オレは、奴のカボチャ頭を後ろからペチンと叩いた。

「こいつの分もくれよ」

 オレとジャックのやりとりに、プッと吹き出した少年の腕を引っ張る。チョコレートのおっさんは「おう」と大きな木の匙で、箱からコインチョコレートを掬い、ざらざらと紙の袋に入れた。

「ほらよ」

 広場の屋台のお菓子は、全部子供はタダらしい。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 少年がオレに礼を言う。

 魔法使いの帽子を被り、小さな箒に紐を付けたものを首から下げている、細身の少年だ。夜風に寒くないように、手編みの毛糸のコートを着ている。人の良さそうな、でも気弱そうな顔。それはどこか誰かに似ていた。

「お前、名前は?」

「ダニエルだよ」

 少年が早速のチョコの金紙を剥いて、口に入れて答える。

 ダニエル……ダニエルねぇ……。

 思わず、記憶にある村の子供達の顔を思い浮かべて、オレは止めた。

 さっき、ゲイルが言ったように、今はオレが、あの沼で死んでから十三年が経っている。オレの頭にある子供達は皆、ゲイルのように大人になっているはずだ。

「お前、いくつだ?」

「十歳」

 だとしたら、オレが死んで三年経ってから産まれた子だ。どこか誰かに似ているのは、あのときの子供達の弟とかだからだろう。

 オレはうんうんと頷くと、自分のチョコを頬張った。ダニエルがもう一つチョコを取ろうと紙袋を入れた手提げ鞄を開く。これも手作りだろう、可愛いクマのアップリケが付いていた。

 こいつ母さんに愛されているんだな……。

 その中には、チョコの他には、さっきオレ達も貰ったゲイルの店のパンプキンパイが一つだけ入っていた。

「それ……」

「うん。ゲイル兄ちゃんのパンプキンパイ。これは家に持って帰って、お母さんと、お父さんと食べるんだ。」

 ダニエルが楽しそうな笑顔を浮かべる。

「お前、母さんと父さんが好きなんだな」

「うん。二人ともすっごく優しいんだ」

 大きく頷く。

「……でも、他のお店からは、なかなかお菓子が貰えなくて」

 すかすかの鞄に顔をしかめる。その手をオレは引いた。

「だったら、オレと一緒に回ろうぜ」

「本当! お兄ちゃん!」

「おう!」

 オレは一人っ子だったから、『お兄ちゃん』と呼ばれるのが、何だかくすぐったい。

「待ってェ~、ボクもォ~」

「だから、お前はさっき一回りして貰ってきただろうが!!」

 ジャックに怒鳴るオレの横で、ダニエルがまた楽しそうに笑った。



「Trick or Treat!!」

「あら? 可愛いカボチャさんに、こっちは緑のミイラさんかしら? ダニエルは魔法使いになったの? 可愛い帽子、今度作り方を教えてって、お母さんに言って」

「うん」

「そっちの二人は、他の村から来た子かしら?」

「お菓子、チョ~だいヨォ~」

「はいはい。」

 笑いながら、玄関に出てきたお腹の大きな女性が奥に戻っていく。

「ベッキーだ……」

 オレは唖然と呟いた。村の学校で二つ下のクラスだった女の子。大人しくて、いつも机で本ばかり読んでいた小さな女の子は、もうお母さんになろうとしていた。

 広場の屋台のお菓子を全部貰い

『これデ全部? 少なイヨォ~』

 文句を言うジャックに、ダニエルが教えてくれた。

 村の家々でも、ハロウィンのお菓子をくれる家がある。郵便ポストに、ジャック・オ・ランタンの飾りを付けている家が、その印なんだ。

 オレ達は、村中の家々を回って、お菓子を貰い始めた。

 そこで、オレはオレが沼に沈んでいた十三年間が、いかに長かったか嫌というほど味わった。

 雑貨屋のカウンターに、オレの弟分だったロイが座って、客の相手をしている。

 一つ上のクラスで、学校のアイドルだった、ステラのスカートには、彼女にそっくりの小さな女の子がくっついている。

 酒場では、チビ、チビと、からかわれていたビリーが、大きなエールのジョッキを持って、客の間を回っている。

 ドアが閉まる音がして振り返ると、やせっぽちでひ弱だったケインが、スーツ姿で家に入る高い背が見えた。

 皆、皆、大人になったんだ……。

 ……オレが、あの冷たくて暗い沼の底で、何度も何度も死んでいる間に……。

 ぐっと握った手の隙間から、また黒いモノがじわじわと出てくる。

「はい、これ。私の作ったチョコチップとオレンジピールのカップケーキよ」

「ありがとう。ベッキーさん」

「ワァい! ケーキが貰えタヨォ~」

 礼儀正しくお礼を言うダニエルの後ろで、ジャックが跳ね回る。その横でオレはただ黙ってお辞儀をした。

「行こう、お兄ちゃん。次の家で最後だよ」

 ダニエルが、お菓子で大きく膨らんだ手提げ鞄を、嬉しそうに持って、村の小道を走る。

 木の柵に囲まれた畑。牧草を育てる草地の脇にある『三つ子の樅』とオレ達が呼んでいた、三本の高い樅の木。大きく枝を張り、その中に今夜の月を捕らえた古いリンゴの木。その向こう、ジャック・オ・ランタンを飾った赤い郵便受けの奥に、茶色の屋根にアイボリーの壁の家があった。

「Trick or Treat!!」

 ドアを開け、今までにない元気な声でダニエルが叫ぶ。

「ただいま! お母さん! お父さん! お菓子、沢山貰えたよ!!」

 その家は、この十三年間、何度も帰りたいと願い、帰れなかった、オレの家、だった。



「おかえりなさい。ダニエル」

 見知った奥の白いドアが開き、足早に女の人……母さんがやってくる。

「寒かったでしょう? 大丈夫? 夜道、怖くなかった?」

 母さんは、心配そうに次々とダニエルに訊いた。

「大丈夫だよ。お母さんは本当に心配し過ぎなんだから……」

 母さんが、ダニエルの冷たい夜風で真っ赤になった頬を撫で、ダニエルがにこにこと笑いながら、お菓子を貰い歩いたときのことを話している。

 ……母さん……。

 十三年経って、母さんは少しおばさんになった。でも、優しい笑顔はそのまま、ダニエルを撫でる手も、少しかさついているけど暖かそうな手そのままだ。

 ……母さん、オレも帰ってきたんだよ……。

 オレの目頭が、どんどん熱くなってくる。

 ……あの暗くて冷たい沼の底から……。

 ……誰も見つけてくれなかった泥の中から……。

 ……やっとやっと、帰ってきたんだ……。

 ……なのに、どうして、オレを見てすらくれないの……?

 やっと解った。ダニエルが誰に似ていたのか。それは十三年前までは、毎日見ていた鏡の中のオレにだ。ダニエルは『オレ』の弟だったんだ。

 ……母さん、そいつが産まれたから、もうオレのことは見てくれないの……?

 ……だったら……。

 ……だったら……。

 オレの中から滲み出した黒いモノがポタポタとオレの影に落ちる。

「Trick or Treat!!」

 突然、ジャックが叫び、カボチャ頭を突き出して、フンフンと犬みたいに鼻を鳴らした。

「美味シいシチューの匂イがするネェ~」

 ジャックはパチパチと白い手袋の両手で拍手した。

「この子達は?」

「ジャックと……ええと……」

 オレの名前を訊いてなかったことを思い出したのだろう。ダニエルが戸惑った顔をする。

「……トム」

 オレはぼそりと名乗った。母さんが、一瞬ビクリと驚いた顔をする。

「トム兄ちゃん。一緒にお菓子を貰って回ってくれたんだ」

 ダニエルの笑顔の答えに「そ、そう……」母さんは、オロオロとオレを見た。

「Trick or Treat!!」

 またジャックが叫ぶ。

「賑やかだな。ダニエルが、お友達を連れてきたのかい?」

 太い声が聞こえて、ドスドスを板を踏む足音の後、大柄な男の人……父さんが白いドアから出て来た。

「Trick or Treat!!」

 その父さんにジャックが呼び掛ける。父さんはオレ達二人に、にこりと笑い掛けると「解った、解った。子供達に配るお菓子は?」母さんに訊く。

「……え……ええと、さっき、この辺に……」

 周囲を見回す母さんに、ジャックが、トコトコとカボチャ頭を揺らしながら近づいた。

「甘いモのはモウ飽きたネェ~。シチューが良いヨォ~」

「え?」

 突然の申し出に母さんが目を丸くする。隣でダニエルが、嬉しそうに声を上げた。「そうだ! トム兄ちゃんもジャックも一緒に食べよう!」

「トム……」

 父さんも鳶色の瞳を丸くして、オレを見詰める。オレはジャックに巻かれたツルのカボチャの葉の間からじっと、その目を見返した。

「お母さん、お願い。ジャックとトム兄ちゃんがいなかったら、僕、お菓子、ゲイルさんの屋台のパンプキンパイ、一つしか貰えなかったかもしれないんだ。ご飯をご馳走してあげてもいいでしょ」

 向こうでダニエルが、困った顔をしている母さんに頼み、その横ではジャックが「シチュー、シチュー」と変な節を付けて跳ねている。

「わ……解ったわ。こちらにどうぞ」

 しつこいジャックに折れたのか、それともダニエルに甘いのか、母さんが息をついた後、にこっと笑ってオレ達を招く。

 オレは父さんの目から視線を外し、黙って頷くと、勝手知った家の中を歩き出した。

 白いドアの向こうは、居心地に良い居間。暖炉が燃え、その上や窓にオレンジや黒、紫のハロウィンの飾りが飾ってある。

 そして、その次の部屋がキッチンだ。キッチンは、さっきまで煮炊きしていたのか、湿った暖かい空気に覆われ、シチューの良い匂いと香ばしいパンの匂いが漂っていた。

 テーブルには、大きなシチュー鍋に、リンゴの入ったポテトサラダ。クロスを敷いた駕籠に入れられた、パン。パンに乗せるチーズとバター。その間にジャック・オー・ランタンの形の蝋燭が、いくつも灯り飾られている。

「かぼちゃとミルクのシチューだネェ~」

 たたっとテーブルに駆け寄り、椅子によじ上って、図々しく鍋を覗き込み、ジャックが嬉しそうな声を上げる。

「こちらの席に座りなさい」

 父さんが予備の椅子を持って来る。母さんが、テーブルの一辺に、クロスと皿とスプーンを置いて、オレ達の席を作ってくれた。

 ジャックがぴょんと弾むように、オレが静かに座る。キッチンの天井から下がるランプに照らされ、床に落ちたオレの影の中で黒いモノがざわざわと蠢めいた。

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