第5話 世界。

西郷が目を開けるとそこには真っ白な天井と尻への鈍い痛みが広がっていた。


「知らない天井だ‥」


産まれて初めてセンチメンタルという気分になっていた西郷は思わず意味の解らない事を呟いてしまった。


「当たり前だろ。アンタ、さっきここに来たばかりじゃん」


自分の心情とは裏腹に、その原因たるカルロスがあまりにも冷徹な反応を示すので西郷はすっかり気分を害していた。


カルロスは紅茶のカップを片手にベッドで横たわる西郷を眺めている。


お互いに一糸まとわぬ姿である。


「冷たいんだな。さっきまであんなに通じ合っていたのに」


「よせよ。繋がってはいたけど心までじゃない。あんまり感傷的にならないでくれよな。俺は釣った魚には餌をやらない主義なんだ」


「俺は魚だって言いたいのか‥」


西郷は自分の信じられないくらいの女々しさが嫌で仕方なかった。


「魚さ。かなり大味の魚だったよ」


西郷は居ても立っても居られず、ベッドから降りて衣服を身に付けた。


「学ランならもう繕ってある。メイドのオバさんがさっき持って来た」


「世話になった」


西郷はそれだけ言い残しカルロスの部屋を後にした。来るときよりも、部屋全体が暗く見えた気がした。


だだっ広い校庭を歩きながら、西郷はしばらく考えていた。どうしてあんな男に身体を任せてしまったのか。しかも相手は男だ。


情けなかった。


この超寵児学園で喧嘩番長と呼ばれる男になろうと決めていたのに。それがどうだ。今じゃ良いとこ痴話喧嘩番長じゃないか。


男同士なら身体で語り合えとはよく言った物だったが、きっとこう言う意味ではなかっただろうに。


こんな事なら、あの時カルロスと出会わなければ良かったとそう思い始めていた。その時だった。


「キミ。ちょっと良いかな」


突然背後から見知らぬ男に声をかけられた。見た所怪しい人物には見えなかったが、かと言って学園の関係者という感じでもなさそうだった。


「何でしょう?」


西郷が立ち停まると男は駆け寄ってきた。


「キミ、ここの生徒さん?見た所違う制服みたいだけど」


男は特に愛想が良い風でもなく、淡々と話を進めてくるタイプだった。


「今日から転入してきたんです。サイズ間に合わなくて」


西郷がそう言うと男は頭のてっぺんからつま先まで西郷を舐め回す様に観察した。


「良い身体してるもんね。キミ、もしかして西郷輝盛さいごうてるもりくん?」


男が何故自分の名前を知っているのか。西郷は少しだけ驚いていた。そう見えないだけでもしかすると学園の職員なのだろうか。それにしても異質な雰囲気である。


「答えてくれるかい?キミの名前は、西郷輝盛なのかい?」


男に気圧され、つい首を縦に振ってしまった西郷。


「ああ。そうだ西郷だ」


その言葉を聞くやいな、男は物凄い力で西郷の腕を掴んだ。


「確保ぉ!!西郷本人だぁ!!取り押さえろ!」


「え!?」


男の怒号を合図に何処からともなく屈強な制服姿の警察官が五人。西郷の元に駆け寄り彼を問答無用で取り押さえた。


「なんだ!アンタら一体、俺が何したってんだ!」


両手両足を地面に押さえつけられ西郷は困惑する。


「西郷。テメエにはクソッタレな黙秘権がある。俺にとってはノンシュガーの炭酸飲料くらい意味のねえもんだが。だってそうだろ?砂糖が嫌なら水を飲みゃ良いんだからな。答えはいつだってシンプルだ。お前ら犯罪者もおんなじだ。捕まえたら、裁判なんかしないでブチ込みゃ良い。つまりはそういう事だ」


男はトレンチコートの裾を手で掴みバタバタさせながらそう叫んだ。明らかに興奮している様子だった。


「あ、アンタらお巡りさんだろ?なんで俺がお巡りさんにこんな‥」


「そうだよお巡りさんだよ。正義の味方お巡りさん。そんでお前は犯罪者。身に覚えあんだろ?」


「何もない!誓ってないぞ!」


西郷は力一杯そう叫んだ。しかし警官たちは薄気味の悪い笑みを浮かべている。


「そうかな? じゃあコイツはどうだ?エロサイト刑事デカさんよ」


トレンチコートの男が西郷の目の前にチラつかせたのは、一枚の写真だった。そこには一台のパソコンとモニター。モニターには何かのホームページらしきものが写っていた。


「それは!?」


西郷の表情が驚愕の色に変わる。


「お前がエロサイト刑事のハンネで運営してるエロ動画専門の投稿サイトだよ。ったく。巧妙にカモフラージュしやがって。課金しないと筋トレブログにしか見えない様になってんだもんな」


「ぐぐぐ」


「何が『健全生活!筋トレ刑事』だよ。とんだ潜入捜査官だぜ。無修正、モノホン、盗撮、際どい内容の動画ばかりだ。しかも格安料金で本数無制限ダウンロード可能ときてる。あら稼ぎしやがって。未成年だろうと容赦しねえ。一撃でぶち込んでやる」


「そんな!たかがエロサイトで!」


西郷はバタつくが警官たちの取り押さえる力は強い。


「あめえよお前は。こんなとんでもない裏サイトが悪用されねえわけねえだろ。大手企業から流失した個人情報のトレードがここで行われれたんだよ。テメエのせいだ」


「無茶苦茶だ!俺は関係ない」


「おうよ。だが真犯人は捕まらねえ。だからおめえが人柱よ。ま、そういうこった」


「横暴だ!酷すぎる!」


「心配すんな。刑務所ナカには素敵なオトモダチが沢山いる。毎日可愛がってもらいな。まあ、その前に俺の、キッツい取調べがあるるけどよぉ」


口々に下卑た笑い声を発し、警官たちは勝どきを上げていた。


西郷の眼から、悔し涙が滴り落ち地面と頬を湿らせていたその時だった。


「待てよ!」


突然、灰色空に甲高いさけび声が響いた。その場にいた全員がその方向に注目せざるを得ない。そんな風に思わせる響きがその声には含まれていた。


「なんだあ!テメエは!」


「カルロス!」


そこには何故か上半身裸体のカルロスが仁王立ちしていた。両手を腰に当て、まるで風呂上がりである。


「その男が犯罪者なら俺も同罪だ。俺がそのサイトで個人情報を流してたんだからな」


「なに!?」


「カルロス?!」


警官たちがにわかに騒めく。リーダーらしきトレンチコートの男だけが、冷静にカルロスを睨んでいる。


「テメエ。何が目的だ?テメエが西郷の身がわりになるって言うのか?」


カルロスはいつかの様に大声で笑う。


「違うよ。そうじゃない。俺も一緒にパクれって言ってるんだ」


「何だと?!」


「カルロスぅ?」


「真犯人でもない西郷を捕まえたっていずれボロが出る。そうなったらアンタらの責任はデカい。だが俺を一緒にぶち込んでくれるなら、全部自供した事にして良いぜ」


「ほう。テメエ、何が狙いだ」


カルロスはトレンチコートの男に指を指してこう言った。


「約束しろ。俺と西郷、同じ日同じムショに入る様手配するんだ。同じ棟の同じフロアだ。同じ房になる様にしろ。それが約束できなきゃ、今ここで全員あの世に送ってやる」


それを聞いてる西郷ですら、本当にそんな無茶苦茶な要望が可能なのか疑った。しかしカルロスの言葉一つ一つが心底本気なのは、誰の目にも明らかだった。


「どうしましょう‥警部?」


西郷を取り押さえていた警部たちは動揺していた。全員あの世に送ってやるというのは穏やかではない。


トレンチコートの男が口を開く。


「‥良いだろう。ソイツもぶち込め」


「ええ!?」


警部たちはどよめいた。西郷もである。カルロスだけが不敵に笑っていた。


「約束は守れよ。警部サン」


「そっちもな」


警部の一人がカルロスの手に恐る恐る手錠をつける。


「何でだよ!カルロス!カルロスぅ!」


西郷が叫ぶ。目には涙を浮かべている。


「まずアンタに謝りたいんだTERU。冷たい態度をとって悪かったよ。本当はあんな事したかったわけじゃないんだ。アンタに依存しすぎる自分が怖くて。だって出会って一日しかたってないのに、もうこんなにアンタに夢中なんだ。胸が‥苦しいんだ」


カルロスは手錠に繋がれた手で自らの胸を掴んで泣いていた。その姿を見て、西郷も涙が止まらなかった。


「だからって乱暴過ぎるぜ、カルロス。一緒にムショに入るなんて。やり過ぎだ」


「だって我慢出来なかったんだ。アンタが、TERUが野獣ばかりの楽園パラダイスなんかにいたら直ぐに快楽に屈してしまうだろうと思って!」


「バカヤロウ‥カルロス‥バカヤロウ」


警官から解放された西郷は静かに立ち上がり、カルロスの元に歩み寄る。お互い手錠に繋がれたまま強く抱きしめ合った。


「俺だって、何処にいたって、お前を忘れられるわけないんだ。こんな気持ち初めてだ」


「TERU!」


空は晴れ、柔らかい光りが地上に注いでいた。


「お前となら、例えムショの中だって五年だろうが十年だろうが耐えてみせる」


「俺もさ。どんなケダモノが来たって、アンタを守ってみせる」


二人の流れる涙が光りに反射してキラキラと輝いている。警官の中にはそれを見て、すすり泣く者もいた。


「TERU、愛してるよ」


「カルロス、俺もさ」


「おい!いつまでやってる!早く行くぞ!連行しろ!」


トレンチコートの一言で一行は歩き出した。


「そうだ、TERU。実はカルロスって名前なんだけど芸名なんだ」


「そうなのか?何だよもう。本名は?本当の名前はなんて言うんだ?」


「俺の名は‥‥」


そんな事よりぶち込んでやるとは勢いで言ったのは良いものの、初犯で未成年で本当に懲役なんてつくのだろうか?仮にぶち込めたとしても良いとこ数ヶ月だろうな。脅かすつもりだったんだけどちょっと過剰演出過ぎたなあ。でもメチャ盛り上がってて今更言い出せないな、とトレンチコートの刑事こと舛岡太蔵は思っていた。


結局カルロスの名前は解らないままだった。


この物語のオチも、解らないままだった。



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