マンティコアの食卓
水澤 風音
マンティコアの食卓
早朝のうす暗い森のなかへ、ひとりの少女が入っていく。
その見目は美しいが、ひどくやつれた様子でいて、足どりにも力がない。
少女は木々の間をぬい、やがて一本のナラの大木までくると、ひざまずいて、
「”森の人”よ、過ぎたるほどの恵みをどうか分けあたえさせてください」
もってきたひときれのライ麦パンと、十粒のマメを根本へおいた。
リアナというこの娘は、五歳のころ父親より言いつかって以来、九年間毎日こうして精霊への感謝をおこなっていた。
(ああ、今は、これぽっちの麦とマメをささげることすら困難なのだわ……)
ため息をつき、腰をおとして幹に背をもたれさせた。
細い身に空腹と不安をかかえた娘は、ここ数日間ろくに眠れていなかった。
青く
綿帽子をかぶり、黒衣に緑のショールをかけ、右腕に黄金の輪をさげた立派なみなりをしている。うしろには従者も一人ひかえていた。
ふいのことでリアナがボオっとしていると、老婆にふさぎこんでいる
「王さまが……いつものご猟場に飽きられたらしく、三日の後にちかくの森へ鹿追いにやってくるのです。その休息にはこの村をおつかいになられるのですが、急なことですし、このようなまずしい村です。十分にお出しできる料理もなく……急いでもそば粉のケーキにやせウサギのあぶり肉がせいぜいでしょう。
村の長である父はこのことで日々思い悩んでいて、わたしにはそんな父の姿がいたましくてならないのです……」
この国の王はたいへんな
過去にもべつの村で同じことがあったが、そのさいは十分な買い入れと準備がなされ、ふるまわれた料理に満足した王からは多くのほうびが出されたという。
リアナの父はどうにかこの歓待をなしとげ、不作続きで冬ごえすらもきびしい土地の者たちに、安心して春をむかえさせてやりたいと考えていた。
しかしうまい案もうかばず途方にくれているのだった。
「なるほどね。だが動かぬ石の下にながれる水ってのもないもんだよ。
今のおまえさんに望むものがあるなら、その小さな腰をあげてついてきな」
と、歩き出した老婆をみて、娘もあわてて立ちあがった。
老婆のあとについて森の奥へ奥へとすすんでいくと、やがて広くひらけた場所に出て、そこには七つ窓の大きな屋敷があった。
入ると七つの部屋があり、その中央へとリアナはまねかれた。
がらんとした室内に一台のテーブルだけがおかれている。
その天板は鏡のようにかがやき、側面には
「遠い国に
老婆がいうと、いつのまに拾っていたのだろうか、従者がさきほどのパンとマメを天板へおいた。すると、たちまち粗末なパンはかぐわしい香りをはなち、マメは黄金のように光ってみえはじめる。
リアナはのどをゴクリと鳴らすと、あっという間にそれらをつかんでたいらげてしまった。たとえ世界中のどんな王宮にまねかれようとも、このような満足と幸福はえられないであろうと思えるほどの味がした。
ひと息つくと、リアナはハッと気づいて、はしたない真似をしたと赤面する。
「こいつをおまえさんの村へもっていきな。ただひとつだけ注意をおし。この怪物の彫り物を消しちまわないようにね」
「もし消えてしまったら、どうなるんですの?」
「なに、テーブルのききめが失われちまうだけさ。削りとりでもしないかぎり平気だろうがね」
リアナは感激して、ていねいなおじぎをした。
そして顔をあげると、そこはさっきまでいたナラの木の根もとだった。
「……夢。心配ごとのあまり、つい、つまらない夢をみてしまったのね」
リアナはひどく力が抜けてしまった。
しかし立とうとして、ふと見ると、置いたはずのパンとマメが消えている。
そこで夢のとおりに進んでみると、見覚えのあるひらけた場所にたどりついた。
屋敷はなかったが、そこにはあのテーブルだけがポツンとおかれていた。
それから三日の後、王が家来をひきつれてやってきた。
王はまずしい村に期待するところはなかったが、リアナの父にまねかれ、森より運ばれたあのテーブルに料理が出されるや、眼を輝かし、のどをゴクリと鳴らす。
「なんと、これほどまでに深いよろこびに満ちた食事ははじめてだ!」
粗末な料理をつぎつぎ口にいれ、いきおい皿までかじらんとする王を、あわててお付きの者がとめた。
後日、満足した王からたくさんの褒美があたえられた。
それは村の十分な冬支度のために使われ、人々は笑顔で次の春をむかえることができた。
また王は、それからも村をおとずれるようになり、もてなしの見返りで村は次第に豊かになっていった。
みなのしあわせそうな様子をみて、あの日夢にあらわれたのは木々の精霊たちだったにちがいない……と、リアナは森への感謝をいっそう深めたのだった。
それから長い長い年月がたち、この国で大きな戦争がおきた。
あちこちで激戦がくりひろげられ、かつてリアナたちがいた村も、戦火におわれて住民は姿を消し、ほとんどの家々と森林が灰と化した。
ある日、小隊が戦からひいてこの地をおとずれたが、村の様子見よりもどった部下の報告に将校はおどろいた。
無事な家屋は野戦病院になっているのだが、その粗悪な設備や人員不足は他の戦地と同様であり、また食糧についてもさぞかし
「不思議なことに、ここには飢えによる死者はみられません」という。
しかしだれにその理由をたずねても、無言で胸へ十字をきるばかりで、ようやく口を開いたひとりの兵士も、『われわれには神の助けがあるのです――』とギラついた眼つきでつぶやくだけで、はっきりした返答が得られない。
将校が家屋のひとつに入ると、そこは身を横たえた兵士たちで足の踏み場もないほどだった。
彼はここへ、負傷した部下たちをさらに運び入れていったが、やがて空き場所のことで看護婦が難色をしめしはじめた。
見ればたしかに床はすでにいっぱいで、いくつかもちこまれたテーブルの上と、その下とで二人分の寝床をもうけたりもしていたが、
「そこにひとつ空きがあるではないかっ!」
と、将校はなにも置かれていない、翼をもつ獅子の彫り物がされたテーブル上をみとめて指さした。
言われた看護婦はひどく顔色を変え、ためらうそぶりをみせたが、上官のきびしい表情にうなずくと、その上に最後のひとりを寝かせる。
将校はそれをながめやりながら息をつくと、ふと昨日から何も口にしていないのを思い出し、のどをゴクリと鳴らすのだった。
マンティコアの食卓 水澤 風音 @sphericalsea
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