アンハッピー・クリスマス
嘉田 まりこ
恋人はサンタクロース。
昼間は暑くても夕方になると急に寒くなる、なんとなく、もう一枚羽織りたくなるような季節。
ちょうどあの日もそんな日だった。
だから私は、この季節になるといつも『あの日』を思い出してしまう。
高校3年のあの日、たまたま放課後残ったメンバーで将来の話をしてた。
将来の……といっても決して難しい話なんかじゃなくて、ただ漠然とやってみたいことや欲しい給与の額など、今思うと、かなり夢見がちな理想をお互い言い合ってはケラケラ笑っていた。
あの日、あの時。
彼は突然それを口にした。
『……なぁ。もし、彼氏がサンタクロースだったらどうする?』
来栖
3年間同じクラスだった私は、ただそれだけなのに他の女子から羨ましがられた。
それほど彼はハイレベルだったのだ。
183センチの身長と長い足。
小さな顔にきちんと配置された完成度の高いパーツ。
部活には入っていなかったが、抜群の運動神経。さらにボルダリングで鍛えた腕の筋肉。
日本史の教科書に出てきた名前なんか一度聞いただけで覚えてしまう暗記力。
それに、誰に対しても平等に優しい性格はまさに聖人で、ちっとも名前負けしていなかった。
だからあの頃、回りにいた女子はみんな彼が好きだったと思う。
『……ぷっ。聖人、どうしたの!』
『うん、まじで何だよ、突然!』
彼の質問をみんなが笑った。
彼は机に腰掛け、余らせた足を投げ出したまま、同じように笑う。
『……いや、例えばだよ!クリスマスのサンタくらい激務なやつと将来付き合える?って意味』
今同じ質問をされたら、私はすぐにイエスと言えないだろう。
「……なんであんなこと言ったんだろ、私」
「なに溜め息ついてんの?」
昼休み、会社の近くのうどん屋さんで、お気に入りのたぬきうどんを食べながら思わずついてしまった一人言を同僚のカンナは聞き逃さなかった。
「……いや、ちょっと昔のこと思い出しちゃって」
「昔のこと?」
ズルズルと麺をすすりながら、彼女は私の顔を見つめたから『たいしたことじゃないよ』と言って話を終わらせた。
けれど彼女は勘が鋭いタイプだったようで、店を出たあと「彼氏のことでしょー?」とニヤニヤ笑った。
「……うっ」
「バレバレ!なんかあった?」
「……いや、毎年のことだから」
「毎年?」
「…そう。毎年」
「何かあんの?」
「……毎年これくらいの時期から忙しくなるの、彼……」
私のその悩みは彼女にとってはかなり贅沢な悩みらしく、そのあと会社までの道のりを延々と説教されてしまった。
「あのねぇ!あんなに素敵な彼氏がいるってだけで充分でしょ!忙しいくらい何?!我慢しなさい!!」
……あの日。
『……でも、でも!!彼氏がサンタさんだなんて、なんか素敵だね!!』
あの日、一番夢見がちなのは私だった。
少しの静寂のあと、みんなが一斉に笑いだしたから、思わず口走ってしまったそれが相当恥ずかしいものだとすぐに気付かされた。
でも、あの日。
ただ一人だけ。
聖人だけは私をバカにしなかった。
***
「……聖人。足の踏み場がないんですけど」
「おー、……鈴。いいとこに……ちょっ……30分……」
「……30分?」
「……寝……」
仕事帰りに寄った彼の部屋。
床にはたくさんのカードが並んでいる。
それを避けるように体を丸めて、あっという間に寝てしまった彼。
手にはインクがついたまま。
髪の毛もボサボサのまま。
イケメンのオーラは半減……いや、ほぼゼロだ。
「……ご飯くらいちゃんと食べてよ」
寝息を立てる彼に呟いてみたが、深い眠りに入った彼には全く聞こえていない。
私はインクの乾いたカードだけ選別して重ねていく。
彼がこの仕事を継いでから、これは毎年この時期恒例の景色だけれど……いまだに全部で何枚書かなきゃいけないのかを私は知らない。
何枚終わっていて、あと何枚書けばいいのかもわからない。
口出し出来ないのだ。
見守ることしか出来ないのだ。
ふと手にした一枚に目を落とす。
『1年間、いい子にしていたね』
金色で印字されたその文字の右下に、彼のサインが入れてあった。
『Santa Claus』
……そう
私の彼は……サンタクロースなのです。
***
彼はいつも突然。
『鈴。俺と付き合おう』
高校の卒業式。
みんなが帰った静かな教室。
聖人からの告白を断る理由なんて一つもなかった。
だって、私だって他の女子と一緒。
彼を好きだったんだから。
大学を卒業するまでの四年間。
私は信じられないくらいに幸せだった。
聖人はびっくりするほど優しいし、びっくりするほど私を大切にしてくれた。
世の中の素敵なエピソードを全部集めたって、あの時期の私には敵わないと今でも思う。
もうすぐ起こさなきゃ……
予定時刻の30分。
私は彼に従わなきゃいけない。
「聖人!はい、30分たったよ!!」
「……ん。……なんかいい匂いする」
目はまだ閉じたまま、彼は顎だけ少し上げてそう言った。
「鍋焼うどん食べて。また大して食べてないんでしょ?」
「……おー。……鈴、愛してる」
まだ目は閉じたままだが、親指を私に向けて立てたあと口許だけにっこり笑ってそう囁いた。
『俺、卒業したら親父のあと継ぐんだ』
彼がそう私に告げたのも突然だった。
就職活動が始まる少し前だった。
『聖人の家って、何かやってるの?』
そういえば聞いたことなかったな~と軽いノリで聞いたのを、今でもはっきり覚えている。
『うん。サンタクロース』
彼も相当軽い返事だったけど。
でも彼は嘘なんてついたことなかったし、嘘をつくような人じゃないことも良く知っていた。
『……じゃあ』
『じゃあ?何?』
『……いずれ、まんまるに太るの?』
聖人は、目をまん丸くしたあとお腹を抱えて爆笑した。
『あはははは!!はは、やっぱり、鈴だ!!鈴を選んで間違いなかった!』
***
私のこの話をあなたは嘘だと思ってるでしょう?
『配達範囲は日本。跡継ぎ以外には詳しく話せないから申し訳ないんだけど』
守秘義務ってのがあるらしく、詳しくは教えてもらえないけれど、本当に本当に彼はサンタクロースなのだ。
夏の終わりからこうして書き始めるクリスマスカード。
秋になるとジャンジャンかかってくる電話。
それは、少子化だなんて嘘じゃないか?って思うくらいの量だ。
クローゼットには、あの有名な赤い服もかかってる。
店先に置いてあるペラッペラのコスプレのとは全然違う。
それはそれは高そうな生地で出来ていて、ちゃんと厚い裏地だってついている。
それでも『寒かった』って、顔を赤くして帰ってくるんだから。
もしこれが彼の嘘ならば相当手が込んでいる。そんなに面倒な嘘、5年もつき続ける意味がある?
……ないでしょう?
確かに、わからないことはいっぱいある。
トナカイは?
ソリは?
どうやって日本中まわるの?
プレゼントは配るまでどこに置いてあるの?
わからないことだらけだ。
でも、この5年間、彼は毎年同じことを繰り返している。
クリスマスに一緒に過ごせたのは最初の4年だけ。
もう、過ごしていない年数の方が多くなってしまった。
***
あなたは納得してるのね?って?
……そんな訳ないじゃない!!!
私のイライラはもうずっと前からピークを越えている。
彼氏がいないなら諦めがつくかもしれない。
でも、私には、誰よりも素敵な恋人がいる。
なのに、それなのに。
クリスマスに会えない。
なんなら12月は丸々会えない。
25日の配達を終えて、精も根も尽きた彼は26日に死んだように眠る。
だから、私たちがクリスマスをするのは世の中どこもかしこもお正月飾りに変わった27日だった。
『鈴はどんなクリスマスなのー?!』
『もったいぶらずに教えなさいよ~』
周りから聞かれる度、私は嘘をつく。
『……ただケーキ食べるくらいかな』
彼は嘘をつかないのに、私は嘘ばかり。
悲しくて寂しくて、もう限界だった。
好きな人と一緒にいたい。
他の日じゃ意味がない。
『クリスマス』に、彼に会いたい。
……好きだから。
とってもとっても大好きだから。
だけど、それは一生叶うことがないって、最近思うようになってしまった。
再びカードに集中しだした彼の背中に目をやる。
広い背中。
その大好きな広い背中に引き寄せられた私は、彼の背中に耳を寄せて両手を彼の腰に回した。
くっつきたかった。
ただ、くっつきたかっただけなのに。
「ちょっ……!鈴!!」
期待したような甘い返事が返ってくるわけなかった。
「ズレたじゃんか!SantaがSantgになっただろ!お前はわかんないだろうけど、このカードだって、インクだって普通のじゃないんだぞ?!」
彼は細くて長い溜め息を吐いた。
「……どーせ」
「あ?!」
「……どーせ、私はなんにも知らないですよ!!」
「……!」
「そうよ!何にも知らないわよ!だって、教えてくれないじゃない!!守秘義務だか何だか知らないけど何にも教えてもらってないんだから!」
「鈴っ!!」
もう我慢ならない。
「サンタだか何だか知らないけど、全然っ会えないし!!!」
「こ、この仕事以外の時は、すげぇ会うようにしてるだろ?!」
「たった半分じゃん!一年の半分!!」
「は?半分じゃねぇだろ!!1・2・3・4・5・6・7・8!3分の2だろ?!」
「違いますぅー!春と夏!半分じゃん!!」
指折り数えて対抗してきた彼に腹が立った。
「春と夏より、秋と冬の方が寂しくなるの!!!」
「し、仕方ないだろ?!鈴はわかってくれてると思ってたけど勘違いかよ!」
勘違いだよ。
私だって普通の女の子だもん。
何歳になったって、クリスマスにはお洒落して彼氏とデートがしたいもん。
赤い服じゃなくて、黒いスーツで現れて欲しいよ。
普通だよ。
私は普通だよ。
子供たち以上にいっぱいある願い事。
聖人ともっと会いたい。
もっとずっと一緒にいたい。
イルミネーションの中を並んで歩いたり、こたつの中でダラダラしたり、もっと一緒にご飯を食べたりしたい。
本当は、寝てるとこ起こしたりなんかしたくないんだよ。
ゆっくり寝顔も見てたいし、なんなら隣で寝ちゃいたい。
だからもう無理。
もう絶対絶対無理!!
「……彼女の夢すら叶えられないなら、サンタなんて辞めてしまえ!!」
***
12月24日。
彼に想いをぶちまけたあの日のことを思い出していた。
彼は、サンタを辞められるはずなんかなくて……結局私は彼の仕事に負けた。
照明を落としたリビングでツリーのライトがチカチカと騒ぐ。
私の隣に彼はいない。
今頃どこかの地域を回っているのだろう。
寒くないだろうか。
いまだに心配が尽きなかった。
時計の針はもうすぐ0時。
『サンタクロースにとって、その時間がゴールデンタイムなんだ』
付き合っている時、そんなことを言っていたのを思い出した。
「……ゴールデンタイムが何かくらい聞いておけば良かったかな」
そう思いながら寝室のドアを開けると、カーテンがフワリと揺れたような気がした。
ただひたすらに目を凝らす。
暗闇に目が慣れたころ、私はその存在が何かようやくわかった。
「……ま、聖人?」
「メリークリスマス」
「な、なん……!!」
私の口を慌てて押さえた彼は、声を殺して『しーっ!!』っと唇を横に伸ばした。
私が一生懸命頷くと、彼はゆっくりと口から手のひらを剥がした。
クリスマスに彼と会えたのは何年ぶりだろう。
真っ赤な衣装、真っ赤な帽子。
偽物の白い髭に半分隠れているが、寒さで赤くなった頬。
不覚にも涙が溢れてしまいそうだった。
「……なんで?」
「俺にも今年からゴールデンタイムがついたんだ」
「……全然っわかんないんですけど」
「教えてないからね」
こくん。
私が頷くと彼はベッドの横に向かった。
「……よく寝てる」
並んで置いてあるベビーベッド。
スヤスヤと眠る息子の握りこぶしを彼は優しく撫でた。
「……仕事は?大丈夫なの?」
感覚が麻痺している私は、配達の時間がどんどんなくなるんじゃないかとヒヤヒヤした。
「子供が出来たサンタには、ゴールデンタイムがつくんだよ」
彼は柔らかく微笑むと、私の頬にそっと触れる。
「……だから何それ」
私の声は涙で掠れていた。
「自分の子供にプレゼントを届ける時間が貰えるんだ」
「その間、誰か配達してくれてるの?」
彼は唇をつぐむ。
「……あ、それも守秘義務?」
私は泣きながら笑った。
「だから、これからはクリスマスの日にも会えるよ?」
彼は小さな声で囁いた。
去年、あの喧嘩で言ったのは、そういう意味じゃなかったんだけど。
『鈴っ!』
飛び出そうとドアノブに手をかけた時、彼が私を思い切り包んで言った。
『好きだ好きだ好きだって声しか聞こえてこない』
『俺の体が心配だって声しか聞こえてこない』
『……やっぱり、お前を選んだのは間違ってないんだよ』
サンタクロースは特殊な能力があるらしい。
その夜、彼はペンを持つのを休んだ。
『愛してる』
彼の声が何度も何度も私に届いた夜だった。
「……そろそろ行かなきゃ」
「うん。気をつけて」
「……本当は一緒に過ごしたい」
「うん。聞こえてる」
「…え?」
「私も特殊な力が移ったみたい」
「まじで?」
「跡継ぎ、産んだからかな」
星が何百も集まったんじゃないかと思うくらいに目映い光の中に彼は消えていった。
26日、彼はまた死んだように眠るだろう。
その隣で添い寝をしよう。
現役サンタと、未来のサンタに挟まれて眠るなんて私にしか出来ない貴重な体験。
みなさんは、我が家より早い今日の日を是非楽しんで!
メリークリスマス!!!
アンハッピー・クリスマス 嘉田 まりこ @MARIKO
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