冬⑦
鳴海君に手を引かれて、私たちは今、広場の中を歩いている。自然に繋がれていた手に最初こそ照れていたものの、周りを見渡せば同じような男女がたくさんいて、そのおかげで少しだけ落ち着いた。と言っても彼らは恋人なわけで。私たちは抱きしめ合ったものの、恋人同士なのかと問われればそんなことはないという、よくわからない関係だ。
上を見れば、赤、青、緑、と色とりどりの明かりと、そして舞い降りてくる小粒の雪。
「イルミネーション、一緒に見たいな」
数分前の鳴海君のその一言で、私たちはイルミネーションの下を歩いていた。
木々や電柱、そしてイルミネーションの為だけに立てられた柱が、色んな光で着飾っている。スノーマンもいるし、サンタもトナカイも、ソリもベルもある。キラキラとまぶしいくらいに温かく輝いて、ときに動くそれらは、少しの風で揺れながら降りてくる冷たくて真っ白な雪と相まってとても幻想的だ。
「きれいだね」
「うん」
「雪、積もるかな」
「どうだろ。でも、まだこの様子じゃ、積もらないんじゃないかな」
「やっぱり?」
他愛のない会話。普通に話しているけれど、去年の今頃はもう鳴海君は私のそばにいなくて、冬の話をするのは今日が初めてなのだと気がつくと、ちょっとだけ嬉しいような、不思議な感覚がする。
「そういえば、鳴海君。今どこかに泊まってるの?」
「佐々木君がちょうど実家に戻ってるからってことで、泊めてもらってる」
佐々木君が実家に戻っていることは聞いていなかったので、少しだけ驚く。
「そうなんだ。門限とか大丈夫?」
「十一時くらいまでに、彼女になる予定の子とデートもどきをしている佐々木君と落ち合えれば大丈夫」
彼女になる予定……神崎ちゃんだ。今日はやっぱりそんな日なんだ。
「まあ、いざとなればなんとかなるし。俺よりも、長谷川さんは? 佐々木君に聞いたけど、実家なんだっけ。何時まで大丈夫なの?」
「私は、十時くらいに家についてれば大丈夫」
「じゃあ、余裕持つと九時半とかにバス停にいればいい感じ?」
「うん」
頷いて、腕時計を見る。時刻は九時になるちょっと前。あと少ししか一緒にいられない。
「……あと少しだけ、か」
上から降ってきた声に驚いて、私は見上げる。すると、鳴海君が小さく微笑んだ。
「もっと一緒にいたいなって思ってさ」
「鳴海君って、いつ帰るの?」
「明日。バイトの関係で、あんまり休み取れなくてさ」
「バイト、やってるんだ」
「意外?」
「そういう訳じゃないけど……」
実家暮らしで、時間があればずっとフルートの練習をしている私は、バイトをしていない。本当はお金の問題もあってやりたいのだけど、親から、せっかく今は音楽を好きなだけできるのだから、そっちに専念しなさいと言われている。そして結局、私はその言葉に甘えてしまっている。だから、なんとなく距離を感じてしまったのだ。
「まあ、俺は一人暮らしだからさ。バイトやらないと生活成り立たないの」
「え、一人暮らしなの?」
「ん。大学こそは、ちゃんと入学から卒業まで一つのところでってね。周りも一人暮らし多いから、いい機会だし」
さらに距離を感じてしまい、なにを言えばいいのか分からなくなる。困ったように鳴海君が微笑む。
「そんな顔しないで。……演奏会のことなんだけど、ソロ、すごくよかった」
「ありがとう」
褒められて、思わず照れてしまう。
「長谷川さん、音楽系の大学に行ったんだね」
「うん」
鳴海君を避けるようになってから、私は鈴村先生にピアノや音楽関係を教えてもらい、そして部活でお世話になっていたフルートの先生にフルートを教えてもらった。そのおかげで、私は勧められていた大学とは違うけど、音楽を主としながらも自由度の高い大学になんとか受かることができた。私はまっすぐに鳴海君を見つめる。
「ありがとう」
「え?」
「鳴海君が、あのとき背中を押してくれたから、私は今の大学に通えてるの。だから、ありがとう」
すると、鳴海君が嬉しそうに笑う。
「どういたしまして」
大学の話が出てきてふっと頭に浮かんだのは、優紀ちゃん。そして、ずっと気になっていたこと。
訊いてもいいのだろうか。
「訊きたいこと、あるんじゃない?」
私がハッとすると、やっぱり、と鳴海君は苦笑する。
「何でも訊いて欲しいな。モヤモヤしたままって嫌だから、さ」
なんとなく、あのときを彷彿とさせる流れに、一瞬不安になる。だけど、きっと大丈夫。私は、鳴海君を信じると決めた。今はそのために、少しでも関係性に不安を抱くものはなくしたい。
「私、鳴海君の元カノさん……優紀ちゃんと友達なの」
「……同じ大学だとは思ってなかったから、実は今日すごく驚いたんだけどね。優紀は元気?」
優紀。
確かに今、そう呼んだ。
私のことは、苗字にさん付けなのに。胸が少しだけ痛む。
「うん、元気」
きっとその不満が声に混ざっていたのかもしれない。
「よかった。安心して。俺は今、君は君として見てるから」
私は私として見てくれている。ずっと、優紀ちゃんと重ねられていないかと不安だった分、それが嬉しくて。呼び方はこれから変えていけばいい。そう思えた。我ながら単純だ。
「あ、ありがとう。でね。気になることがあって」
じっと私はグレーの瞳を見上げる。鳴海君は首を小さく傾げる。
「なに?」
「……優紀ちゃんと付き合ってるときに、ほかの女の子に好きって言ったって本当?」
「ああ、それは……ちょっとややこしいんだけど。優紀と付き合ってるときにその子に告白されて。今は彼女がいるから付き合えないって断ったんだ。そしたら、私のことは嫌いなのって泣き始めちゃって。友達としては好きだけど、ごめんって言ったら、好きって言ったところだけ拾われちゃって」
「ああ、なるほど……」
ストンと、あのとき引っかかってたものが落ちた。同時に一番の謎が解けてホッとする。そうしたら沸いてくるのはもう一つの疑問。
「優紀ちゃんと付き合う前に、告白してきた女の子と片っ端から付き合ってたっていうのは――」
「それは事実。あれは今本当に反省してること」
「反省?」
訊き返すと、鳴海君が苦笑する。
「うん。人って関わらないと、どういう性格かなんて分からない。だから色んな人と関わっていこうっていうのは、今も昔も変わらないんだけど。昔はそれが極端だったっていうか。一度ちゃんと相手と付き合ってみて、それからそのままその関係を続けるか否かを考えればいいんじゃないかと思ってて。うん。今思えば、そこはそうやって考えちゃいけない部分だったよなっていう反省」
「ていうことは今はもう、そういうことは――」
「しないしない。ちゃんと好きになった人とじゃないと付き合わないって決めてる」
そう言って鳴海君は微笑む。軽やかに言っているけど、グレーの瞳は真面目で。ああ、信じていいんだと思えた。同時に、申し訳なくなってくる。
「なんか、ごめんね」
「ううん。それよりも、なんかそういうの気にしてもらえてたんだなってちょっと安心」
「どういうこと?」
訳が分からず首を傾げる。鳴海君が小さく笑う。
「だって、どうでもよければそういうこと気にしないでしょ」
「どうでもよくても、興味本位で気にするかもよ?」
「じゃあさ」
突然立ち止まったと思ったら、ズイッと顔を寄せられる。
「長谷川さんは、興味本位でそういうのを気にして、わざわざ相手に訊くような人?」
真面目な顔で迫られて、胸のドキドキが止まらない。せっかく少し落ち着いてたのに。
「ち、がう、けど……」
「でしょ?」
くすくすと笑いながら、鳴海君は顔を離す。からかわれたのだと気がついて、思わずむっと頬を膨らませる。
「鳴海君は、そういうの気にならないの?」
「それは、長谷川さんに対してってこと?」
尋ねてみたものの、そう改めて返されると恥ずかしくなって、思わず俯いて頷く。
「……気になる気にならないっていうよりも、なんだろう。長谷川さんの周りにいる人をうらやましく思うことは割とある」
「なんで?」
見上げると、困ったように眉毛を寄せて微笑む鳴海君。
「だって、俺が傍にいないときに他の人が傍にいるって、なんか……うん、しょうがないことなのは分かってるんだけども」
なんだろう。これ、聞いたことがある。そして、私にも見に覚えがある。これはつまり、嫉妬だ。
「……ニヤニヤしないの」
「ニヤニヤなんて――」
「してるから」
「だって……」
しょうがない。嬉しいんだから。でも、そんなこと言えば逆にまたからかわれる気がして、私は口を閉じた。ふっと鳴海君が上を見上げる。
「あ、ここって……」
小さな呟き。つられて見上げる。目の前にはこのイルミネーションの目玉である、大きなクリスマスツリー。ふとジンクスを思い出す。確か、この下で告白をすれば、結ばれて幸せになれるっていう……。
鳴海君の呟きから、ここに来たのは偶然のようだ。思わず私たちは顔を見合わせる。
「……本当は、帰り送っていきながら、と思ってたんだけど」
流石にこの流れでこれを言われて、なにを、と思うほど鈍くない。期待に心がむずむずと落ち着かなくなるのを、必死に堪えて、じっとグレーの瞳を見つめる。
「せっかくジンクスのあるところなら、それを使わない手はないよね」
「……なんだかその言い方、ちょっとアレかも」
「少しでも長谷川さんと幸せになりたいから」
ふわり、春風のような柔らかな笑みを鳴海君は浮かべた。それだけで顔に熱が集まる。恥ずかしくなって俯きかけると、そっと頬を両手で包まれて目を合わせられる。
「俺は、長谷川さんのこと、大切にしたい。一度傷つけちゃったけど、もしかしたらこれからも傷つけることがあるかもしれないけど、それでも、大切にしたいし、君の一番近いところにいたい」
いつの間にか鳴海君は笑みを浮かべていなくて、真面目な、本当に真面目な顔をしていて。
「長谷川さんのこと、好きだから。近くにいさせて欲しいな」
「……私も」
声が震える。必死でなんとかしようと頑張る。
「私も、好き。鳴海君が、好き。大切で、幸せにしたいし、なりたい。あなたの、一番近いところで」
「ん、ありがとう。じゃあ、一緒に幸せになろう?」
「うん」
私が頷くと、鳴海君は小さく笑う。
「そうだ。なら、早いところ同棲しちゃう?」
「どっどど!? 大学はっ!?」
予想外の言葉に慌てる。そんな私を見て鳴海君は吹き出す。その反応を見て、またからかわれたのだと気がつく。言い返したくて口を開いても、言葉が出てこなくて口を閉じて、でもやっぱり言い返したくて口を開く。
「本当、金魚みたい」
「ちょっと、鳴海君からかわ――」
それは突然で。唇に触れた初めての感触に私の思考はストップする。
「今は冗談だけど、大学卒業したら考えておいてってことで」
息がかかるほど近くで微笑む鳴海君は、どこか機嫌がよくて。
「鳴海君、今のって……」
「もしかして、初めてだった?」
頷く。
「あー……嫌、だった?」
「そ、そんなことない、むしろうん……えっと……」
嬉しかったなんて、言えるはずない。だけどほかの言葉も浮かばない。
「言ってくれないと、不安なんだけどな」
それなのにそんなことを眉毛を八の字にして寂し気な声で言ってきて。
「…………うれし、かった……」
申し訳なくなって正直に言うと、満面の笑み。
もしかしなくても、またハマってしまったようだ。頬を膨らませて唇をとがらせる。
「鳴海君の意地悪」
「ごめんね、俺、好きな子ほど両思いだって確信した途端にいじめたくなるタイプ」
「……」
もう黙るしかない。きっとそれが一番、からかわれない方法な気がする。
「時間、まずいんじゃない?」
そんな私に小さく吹き出してから、鳴海君が自分の左手首を指差す。私は慌てて自分の腕時計を見る。九時半少し前。そろそろバス停に向かった方がいい。
「送ってくよ」
そう言って、手を差し出してくれる鳴海君。だけど、散々からかわれたのに素直にその手を握るのもなんだか気が済まなくて。
いや違う。気が済まないのは本当だけど、これからまた会えなくなるのにそれだけなのが嫌で。さっきそれよりももっとすごいことされたけど、そうじゃなくて。
「長谷川さん? ……っ!?」
ポスッと音を立てて、私は鳴海君に抱きついた。
「ちょっとだけ……」
鳴海君は驚いたように少しだけ固まっていたけど、やがてそっと私を抱きしめてくれた。
「俺も」
鳴海君の温もりを忘れないように。これからの寒い季節を一人でもちゃんと過ごせるように。
「次いつ会える?」
「いつだろ」
そんな会話をしながら。
去年の春から秋まで、鳴海君を避ける日々を過ごした。去年の冬から今年の秋まで、鳴海君がそばにいない一年を過ごした。これからだって、いつも鳴海君がそばにいるわけじゃない。でも、今までとは違う春を迎えられる。間違いなく、それは幸せで、温かくて。
「鳴海君」
「ん?」
とても大切で愛おしい。
「好きだよ」
「ありがとう。俺も好き」
そんな一年になる。そんな気がする。
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