冬⑥

「灯香先輩!」

 午後八時半。待ち合わせ場所に行くと、そこには鳴海君と、菜摘ちゃん、加藤君がいた。

「ええっと……なんで二人もここに……?」

 私の疑問に、菜摘ちゃんが手を挙げる。その表情はどこか、いたずらに成功した子供のようだ。

「夏休みの仕返し、できましたか?」

「夏休みって……あ!」

 思い出した。菜摘ちゃんと加藤君がすれ違っていたときのアレだ。

「もしかして二人だけじゃなくて、鳴海君もあそこにいたのは……」

「私が鳴海先輩に言ったんです。サプライズで、どうでしょうって」

「そういうこと……」

「灯香先輩」

 私を見上げて、菜摘ちゃんがにっこりと笑う。言ったら怒るんだろうなあ、と思いながらも、とても可愛らしくて、二歳離れていることもあってか、どこか幼さの視えるまぶしい笑み。

「後悔、しないでくださいね」

 そして、軽く会釈をすると、菜摘ちゃんはスタスタと歩いていってしまう。

「あ、なっちゃん待って! ……長谷川先輩、だまし討ちみたいでごめんなさい。でも、前林さんは、すごく心配しててその――」

「加藤っ!」

「あああ、行きます行きます! 長谷川先輩、失礼します!」

 ずっと先で待っている菜摘に向かって、加藤君は駆け出す。尻に敷かれている後輩と、その後輩を尻に敷いている後輩。その後ろ姿を見送っていたら、横からポン、と肩を叩かれる。ゆっくりと見上げると、鳴海君が無邪気な笑みを浮かべていた。

「久しぶり」

 懐かしい声。ずっと聞きたかった声。聞こえてたときは、聞こえてないふりをし続けていた声。大切な人の声。駄目だ、と思うのに、鳴海君がぼやけていく。

「久しぶり……」

「なに、泣くほど嬉しいの?」

 一瞬違うと首を横にふりかけて――私は正直に首を縦に振った。

「ずっと……会いたかった。言いたかったの……ごめんね」

「ううん。俺こそ、ごめん」

 すっと鳴海君の右手が近づいてくる。その手を伝って彼を見上げると、右手がぴたっと止まる。鳴海君は困ったように微笑んだ。

「……いいかな」

 声が微かに不安げに揺れていることに気がついた。

 それはきっと、私があのとき触らないでと拒絶したから。だけど、今は違う。今はもう……。

「うん」

 そっと手は近づいてくる。骨ばった指は、なにかを拭うように私の目の下に触れる。

「……拭っても拭っても意味ないんだけど?」

「だって……」

 その指が、顔が、声が、すべてが優しくて、愛おしくて、幸せで、夢なんじゃないかと思ってしまうくらいで……。泣くなと言うほうが難しい。

 なにか言わなきゃ。そう思って、なんと言おうか悩んでいると、つつっと指が動き始める。驚きで目を丸くして鳴海君を見上げる。

「嫌だったら突き飛ばして」

 いきなりなにをするのか。問うていいのか悪いのか。混乱してるうちに鳴海君の右手は私の後頭部に。そしてそのまま私の顔は、鳴海君の胸にボフッと埋まった。

「鳴海く――」

「いつでも突き飛ばしてくれていいから」

 突き飛ばせるはずがない。だけどどうしたらいいのか分からない。ただ胸の下からの、心臓の自己主張がすごい。私はいったい……。そんな風に頭の中がぐるぐるしているうちに、今度は鳴海君の左手が、私の背中に回り、さらに密着する。柔軟剤の香りに包まれる。そして聞こえた、左耳に触れる鳴海君の胸の音。

 私と同じくらい、早い。

 ああ、鳴海君も同じなんだ。私と同じで、こんなにも――。

 身体の力が緩むのを感じる。私はそっと両手を動かす。ビクッと鳴海君の身体が揺れる。

「長谷川さん……?」

 初めて触れる男の人の背中は、私なんかよりもずっと広くて硬い。鳴海君って、細く見えるのに、やっぱり男の人なんだ。でも、温もりはきっと同じ。

「私も……」

 声が震える。

「私も……嫌だったら、突き飛ばしてくれていい、よ?」

 無言になった鳴海君に、不安になっておそるおそる顔を上げる。すると、キョトンとした鳴海君と目があった。

「鳴海君?」

 名前を呼ぶと、優しく微笑む鳴海君。その頬は少しだけ色づいていて、その笑みに胸がさらに音を立てる。

「顔真っ赤」

「鳴海君だって」

「見ないの」

 そっと頭を押されて、再び顔は鳴海君の胸。耳元に温もりを感じる。

「突き飛ばせるはずないでしょ。やっと、話せたんだから……」

 少しだけかすれた声に、どんどん心臓の音が加速していく。

 真冬の風が吹く。だけど、身体は温かいままだった。

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