冬⑤

 十二月二十五日。ついに本番の日。それが終われば、鳴海君に会う。二種類のドキドキとワクワクが大きすぎて、胸がいっぱいいっぱいだ。

「灯香……」

「優紀ちゃん……」

 お互いに震える手を、フルートを持っていない方の手だけで握り合う。私たちは今、特設ステージの裏側で先輩たちの後ろに並んで出番を待っている。震えてるのは、もちろん寒いからだけじゃない。私たちはどちらからともなく微笑むと、力強く頷き合う。

「優紀ちゃん、頑張ろうね!」

「灯香こそ! 緊張しすぎてソロでとちらないようにね!」

 フフッと笑い合う。同時に、先輩たちが前へ進み始める。私たちは手を放すと、その後ろをついていく。ステージに上がると、沢山の人。その中に菜摘ちゃんと加藤君を見つけて、そしてその隣に――。

「なる、み……?」

 自分の口から出たのかと思った呟きは、優紀ちゃんの物だった。その声のおかげで立ち止まってしまいそうだった私は慌てて足を動かす。

「優紀ちゃん」

 呼びかけると優紀ちゃんはハッとして、さっきまでと同じように前を向いて自分の席へと歩き始める。それを見ながらも、私の心の中は騒がしい。

 なんで鳴海君がここにいるのか。答えはその隣にあると思う。加藤君か、菜摘ちゃんそのどちらかから……いや、文化祭の様子から見て、恐らく菜摘ちゃんから聞いたのだろう。でも、なんでわざわざ内緒で?

 自分の席につく。少しして、全員が定位置についたのを確認すると、指揮者が手を上げる。

 フルートを構える。瞬間、すべての音がなくなる。ピン、と張りつめた無音の中に、私たちは今いる。観客に鳴海君がいたことに対する戸惑いが、すっと頭から離れていく。頭の中も、胸の中も、静かになる。フッと指揮者の手が動く。息を吸う。そして……吹き込む。色とりどりの音が集まって、寄り添って、響き合う。主張する主旋律を、ほかの旋律が支え、絡む。

 大きな渦。すごく鮮やかで、まとまっている。自分が今いる位置を見失わないように意識しつつ、その中を両手を広げて泳いでいる。そんな感覚。ずっとこのままでいたい。そう思いながらも、曲が一曲、また一曲と終わっていく。

 そして気がつけば、私のソロ。

 私がスッと立ち上がると、周りが少しだけ音を抑えてくれる。とても温かな絨毯のような音。しっかりと支えるから、自由に吹いて。そう言ってくれている気がした。

 私はすぅっと息を吸い込んで、フルートに吹き込む。そして、目を開いた。視線の先は、もちろんあの人だ。

 目が合った瞬間、微笑んでくれた気がした。胸が音を立てる。そのまま、音に乗ってテンポを刻む。

 不思議だった。今まで切ない思いが強かったせいかもしれない。薄暗かった景色に、光が射した気がした。そして、その下には鳴海君がいる。

 ああ、そうか。

 私はやっと気がついた。離れた人を思うからって、切ない気持ちだけだとは限らないのだ、と。

 切なさもある。不安もある。だけど、だからこそ。相手を思う気持ちの強さは誰にも負けない。相手に幸せでいてほしいと思える。そして何より……こうしてただ目が合っただけで、毎日会っていたあの頃よりも鼓動が早くなる。

 好きなんだ、と強く実感できる。

 ただ、どうしようもなく好きなのだ、と。離れている時は一度も忘れなかった。今頃どうしてるんだろう。今、どんなふうに変わったんだろう。

 そんなことを考えるのも、今までは苦しいくらい切なかったけど、今思えばとても幸せな時間だった。


 つまりは、それが足りなかったのだ。

――先輩の音、柔らかくて、温かくて、春の陽だまりみたいで大好きなんです。

 いつだったか。菜摘ちゃんに言われた言葉。きっと、今までの薄暗さから思いを表現するのは、私ではなかったんだ。温かさからの表現。それが私なんだ。

 ソロが終わり、礼をする。他の人たちと同じように、拍手をされる。いつもと同じそれは、だけど、いつもより温かい気がした。

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