plan.26

 狭く窓を閉め切ると暑苦しい、音楽準備室。一年生三人はこちらに集まっていて、目下オレは朝のメイクを受けている。

 今日がライブの本番。今日が始まるまであまり実感はなかったのだけれど、校内が今日のライブの事で持ち切りだったのを聞いていやでも実感してしまった。


 準備室に居るのは一年生以外だと藍先輩だけで、残りの先輩は音楽室で放送機材の準備を手伝ったり、見に来てくれた人の相手をしたりしているらしい。

 既に女子組は男子の制服に着替えていて、あとはオレが橙和になるのを待つばかりと言った所で、井原が藍先輩に声を掛けた。


「本当にあたし達は手伝わなくていいんですか?」


「いまの井原さんを見たら、本番で出て行った時のインパクトにかけちゃうから駄目だよ」


「でも後輩が動かないって言うのは、何か変な感じがして……」


「もしかして、緊張してる?」


 首を傾げた藍先輩に対して、井原が目を逸らす。緊張しているけれど、それを悟られるのは具合が悪いと言った所だろう。

 たかが校内で行われる小さなライブ、と言いたいところだが、壁の向こうの人の気配から察するに、あまり小さくもないらしい。

 そもそも中継して、いくつかの教室で放送するらしいから、校内イベントの中でもかなり大規模なものになるのではないだろうか。


 ここまでくると、緊張しても仕方がないとは思う。メイクを受けていて、話すことが出来ないが、オレも緊張はしているし、朝はもっと緊張しているだろう。

 先ほどから目を開けた時に見える朝の顔が、真剣過ぎて怖い。

 集中する事で、緊張から目を逸らしているのが良く分かる。


「藍さんの時はどうだったんですか?」


「私達の時も最初はここで缶づめだったかな。双子が売りってところだったから、特に二人で同時に見られないように気を付けていたよ。

 でも、双子って珍しいから、新入生に双子がいるって事はばれていたんだけどね」


「緊張しなかったですか?」


「してたよ。優とここで、いろいろ気を逸らすように遊んでいたし。

 でもそれ以上に、先輩達と一緒に演奏できるから、楽しみだったな」


 そんな二人の話を聞く事、早三十分。ようやくメイクが終わったのか、朝が「終わったよ」といつもの調子で声を掛けた。

 その声につられて、こちらを見た藍先輩が話しかけてくれる。


「橙和ちゃん、今日は一段と可愛いね」


「朝ちゃんがいつも以上に怖い顔して、メイクしていましたからね」


「え? わたしそんな顔してた?」


 朝が驚いたように声をあげてから、自分の表情を手で確かめるかのように、むにむにと自らの顔を触り始める。

 朝の様子に、藍先輩は微笑みだけで返してから、「緊張してない?」とオレに尋ねた。


「緊張はしていますけど、それ以上に自信が微妙ですね。いけそうな、いけなさそうな、ちょっと気持ち悪い感じです」


「何よ。あれだけ歌えるのに」


「何で麗華ちゃんが拗ねるんですか」


 オレだって真剣に悩んでいるのに。でも、井原の反応を気にするよりも、藍先輩の言葉に耳を傾けた方が何百倍も有意義なので、これ以上は何も言わない。


「皆この一週間で、上手になったよ。部員全員でなら、橙和ちゃんの歌に合わせられるようになったし、橙和ちゃんも多少は周りに気を配れるようになったよね」


「来てくれた人の顔を見るくらいの余裕は、出来たと思います」


「だったら大丈夫。自信を持って歌えばいいよ。今日までに出来る事は、全部してきた。そうでしょう?」


 こちらを元気づけてくれる、藍さんの言う通りでもある。入部してから今日までを振り返ってみても、いまのオレ達に出来る事はすべてしてきたといえる自信がある。

 今日の演奏が今のオレ達のレベルで間違いなくて、例えどのような評価であっても、これから先への糧にしていけば良い。今日は受験ではないのだから。


「私からのアドバイスは一つだけ、いまからのライブ、皆で楽しもうね」


 楽しもうと言っている藍先輩が、ここに居る中で一番楽しそうで、いつもの藍先輩らしくないような、いつもに増して子供っぽいような感じがして思わず吹き出す。

 藍先輩は不服そうな顔をしたけれど、井原と朝は幾らか緊張がましになったのか、表情に余裕が出ていた。

 それからすぐに、コンコンとノックがあってから、忠海先輩が顔を見せる。


「それでは、始めますから、桜についてきてください」


 いつもと変わらない調子の忠海先輩の声に、各々返事をした後は、だれ一人話そうとはしない。わずかに開かれた扉から聞こえてくる騒めきが、オレ達の言葉を奪ってしまったらしい。

 何度も通り抜けたはずの扉は、今は異次元にでも通じているんじゃないかというくらいの存在感を放っていて、ごくりと一度つばを飲み込んだ。でも、橙和らしくないと首を振る。


 忠海先輩は扉を最大限に開いてから、歩き出した。

 それにオレも続いて行く。音楽室には沢山の人が居た。椅子が所狭しと並べられ、オレ達が通っているところ以外は隙間なく埋められている。

 音楽室に足を踏み入れた瞬間、一気に視線がこちらに集まった。こんな好奇の目に晒されて、朝は大丈夫だろうか。

 オレ自身いまの感じをどう表現していいのか分からない。


 教卓があるちょっと高い所に登っただけで、手を伸ばせば一番前の人と簡単に握手が出来ると思うのだけれど、その距離が何故かとても遠くに感じられた。

 いつもオレが居たのは、椅子に座っている大多数の方で、今日のオレはいつか立ってみたいと焦がれていた方に居る。ただ一つ残念なのは、ここに居る人たちの多くは、先輩達を目的にしていて、オレ達がおまけでしかないと言う事か。


 それくらいはオレも分かっている。文字通りプロと素人の差があるのだから。

 でも、この中で一人でもオレ達のファンになってくれたら、それはとても素晴らしい事だと思う。

 壇上に上がってから、オレ達の事を簡単に紹介していた忠海先輩からマイクを渡され、オレ達の本番が始まった。


「皆さんはじめまて。『C*2』です。わたし達C*2は、先輩に手伝って貰っていますが、基本的には一年生のバンドと言う事で、軽音楽部に所属させて貰っています。

 今回はこのような形で、皆さんの前に立てたことがとてもうれしいです」


 演奏の前に簡単な挨拶をするのだけれど、何だかちょっと楽しくなってきた。

 いまのいままで、先輩達の演奏を聴きに来ていたと思っていた――実際そうかもしれないが――観客たちが、オレの言葉に対して、耳を澄ませ逐一反応を返してくれる。それも一人二人ではないのだ。


「早速になりますが、一曲目聴いてください。『一人でツインボーカル』」


 挨拶もそこそこに、曲に入る。オレの歌から始まるので、ゆっくり息を吐いてから、思いっきり吸い込み、声を出した。


「もういない君の分まで オレは歌うから

 たった一人でも 今だけはツインボーカル」


 オレの声に続いて、聞き慣れた演奏が始まる。だが、それに混ざって、騒めきが客席の方から聞こえてきた。

 それもそのはず。この曲の第一声は、男声から始まるのだから。驚きや戸惑いなど様々な表情が見て取れる。果たして好意的に受け取られているのか、それとも違うのか。


「なんて 嘘だよ

 オレ達のライブが こんな 悲しい話のはずがない

 全力のエンターテイメント わたし達は二人で一人なの


 気づいたらステージの上 マイクは目の前 始まる前奏にオレ達 どうするの?

 わたし達力併せて 声を合わせて エンタメするんだ でも でも 本当は一人


 一本マイク握った手は 一本しかないはずなのに

(ねえ 見て聴いて それから 驚いて)

 オレたち二人で一人の たった一人のツインボーカル

(わたしがオレで オレがわたしで)」


 オレが歌い始めると、騒めいていたはずの声が一気になくなり、オレの声と朝たちの演奏だけが音楽室を埋め尽くす。

 一番が終わり、間奏が始まった瞬間に、聞こえてきたのは歓声。オレの歌は決してうまくないから、忠海先輩の曲に騙されてくれているのだと分かるのだけれど、こうやって多くの人に受け入れられたというのは、感動でしかない。


 オレの歌で、オレ達の曲で、多くの人が楽しんでくれていることが、とても楽しい。

 楽しくて、楽しくて、楽しすぎる。

 二曲目の事さえ忘れてしまいそうになるくらい。

 二番が始まってからも、会場の盛り上がりは、衰える所を知らなかった。



     *



 演奏が終わり余韻が残る中、客席からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。

 たった一曲しか歌っていないのに息が上がっていたので、大きく深呼吸をしてから、マイクに向かって、客席に向かって話し出す。


「一曲目『一人でツインボーカルでした』。改めまして初めまして、C*2の橙和です。

 二曲目に行く前に、メンバー紹介などを挟ませていただきます。

 早く先輩達を出せ、と内心思っている方もいるかと思いますが、今回は新入生の顔見せのライブなっていますから、ご容赦ください」


 軽口を交えつつ、話を進めていくと、客席の方から「そんなことないよ」とか、笑い声とかが聞こえて来て安心できる。

 たぶん聞きに来ている人の多くは、ライブ慣れしているのだろう。ユメ先輩達が居た頃から、こういったライブはやっていたはずだし。


「まずはわたし達の格好に疑問を持った人もいるかと思います。

『C*2』とは『changing clothes』、『着せ替え』と言う意味なので、こういった格好をさせてもらいました」


 ここまで話しても、オレについては一切言及しない。既にオレが男だと分かっている人が居たら、滑稽でしかないが、今までの反応を見る限りばれてはいないだろう。

 だとしたら、今の発言で何人が疑問に思ったのだろうか。こういうことを考え出すと、ワクワクしてくる自分がいる。


「C*2のメンバーは見ての通り、私を含めた四人です。まずはボーカルがわたし、橙和と言います。橙色に和みと書いて橙和です。

 聴いて貰いました通り、稚拙ながら両声類として、ボーカルに立たせてもらいました。

 聞き苦しかったりはしなかったでしょうか?」


 聞き苦しかったら、現状ほぼすべて聞き苦しい事になるのだけれど、女子生徒から「カッコよかったよ」と返って来て、二つの意味で安心する。

 まあ、この辺りは自信があるため、謙遜でしかない。碧人でだったら「どうだ可愛かっただろう」くらい言う気がするが、エンターテイナーとしては違う気もするので、別の事を言っていたかもしれない。


「それから、ベースは一年生の井原麗華」


 今回のメンバー紹介では、オレだけが喋って、演奏組はぺこりと挨拶をするだけに留めている。何か一言ずつ貰っても良いのだけれど、話すことが多いため、省略することになった。


「麗華ちゃんは、軽音楽部に入る前から、バンドに参加していました。ですから、一年生三人の中だと、一番演奏が上手です。

 次にギターが一年生の真庭朝。

 朝ちゃんは、恥ずかしがり屋なので、前に立つのが苦手だって聞いていたんですけど、だとしたらどうして軽音楽部に入ったんでしょうね」


 井原と朝と頭を下げている時に、客席からは拍手が聞こえる。こういった時に、客席が反応しない方が良いという人もいるのだろうけれど、オレとしては今のような感じが好きかもしれない。

 初めての事だから今後どうなるか分からないが。


「最期にドラムですが、ここにいらっしゃる先輩方なら既にご存知だと思います。二年生の三原藍」


 先輩を呼び捨てにするのは、何だか橙和らしくないし、背中がむずむずするが、忠海先輩に諦めろと言われた。

 そんな事よりも、藍先輩の紹介の時は前二人よりも反応が大きくて、それだけで差を感じさせられたような心地がする。やっぱり、先輩方は凄いのだ。


「目ざとい方なら気が付いていると思いますが、こうやってわたしが話している間に、先輩方が準備をしていますよね。

 今日は、今から先輩達とわたし達が一緒に演奏した後、一度バトンタッチしまして、最後の曲の時にもう一度顔を出させていただきます。

 まだまだ先輩達には及ばないわたし達ですが、あと二曲で顔だけでも覚えて帰ってください。それでは、二曲目『二兎追うもの』」


 曲名を紹介した後、すぐに藍先輩がスティックを鳴らす音が聞こえ、演奏が始まる。

 結局完璧に真似ることは出来なかったし、一週間前と大きく変わることも無かったけれど、とにかく今はこの曲に全てを注ぐ。そこに心残りがないと言えば嘘になるけれど。


「二兎を追うものは 一度諦め 目の前の現実に立ち止まり

 もう一歩 届かない理由わけを 考える事無くまた走り出す

 もう何度目になるか 疲れ果て 倒れ込み空を仰ぐ

 もう一歩 あと十歩 ついには遠ざかる」


 でもその心残りも、すぐに溶けていった。何とか確認することが出来る聴きに来てくれた人達が、息をのむのが見えたから。

 驚いたように、丸くなった目が見えたから。予想外だと言わんばかりの顔が見えたから。


「二兎追うものは ついに諦め 朽ちる身体を 地面に預けたまま 

 空に浮かんだ 雲に手を伸ばす 求めるように


 伸ばした手は 雲に届かず くうを掴みまた伸ばすを繰り返す

 遠すぎる 届かない理由わけに 気づきまた手を伸ばす」


 聴き入るように目を閉じる人、食い入るようにオレを見る人、曲の雰囲気もあるのだろうけれど、先ほどまで盛り上がっていた人たちが、皆静かになっている。

 でも、感じが悪いものではなく、それぞれにオレの声を聴こうとしているからこその沈黙。

 そうであってほしいと思っているだけかもしれないけれど、これはこれで心が躍る。


「二兎追うものは また立ち上がり 朽ちる身体に むち打ち走り出す

 地を走る一兎には 手が届くことを 確信して

 二兎追うものは 一兎追いかけ ついにはその手 求めたもの掴む


 二兎追うものは その名を捨てて 逃げる一兎を 追うことを諦めたままで

 叫ぶ 神は二物は与えない そうだろう?


 空を見上げ 一つ気が付く 手にあるモノは 俺が手にしたのだ

 神はただ 見てただけ でしかいない


 二兎追うものは また走り出す いいだろう?」


 だからこそ、心残りでもある。もしも完璧にドリムを真似出来ていたなら、ここに居る人達をもっと驚かせることが出来たであろう、もっと楽しませることが出来たであろう。

 でも、その域に達するには、まだまだオレの地力が足りない。それはよくわかっている。


 後奏が終わり、拍手で持って迎えられたオレ達は、頭を下げて一度ステージを後にした。



     *



 最後の曲が終わり、着てくれた人を見送った後、音楽室の端っこで思わず座り込んでしまった。身体の力が一気に抜けたとはまさにこの事で、今は顔を上げるのも面倒くさい。

 見送りの時、混雑しないよう、聴衆には足を止めないように、と忠海先輩が急かしていた為、あまり話をすることが出来なかったが、何人かオレ――橙和――を見つけては「これから頑張ってね」と声を掛けてくれた。

 端々に聞こえてきた一年生の評判を纏めると、「ななゆめや二年生の先輩方には劣るが、今年もまた面白い子達が入って来た。今年の文化祭も楽しめそうだ」と言った感じ。


 中には、レベルが落ちたと言っている人もいたけれど、『二兎追うもの』だけはとても評判が良かった。

 何にせよ疲れた。疲れるくらいに楽しかった。でも、疲れるくらいに悔しくもある。

 オレ達が裏に引いた後の先輩達のライブは、オレ達では遠く及ばない程に盛り上がっていたし、バラエティに富んでいたし、エンターテイメントしていた。

 気が付けば何故か、オレを囲むように椅子が並べられ、残り全員がそれぞれ座っている。


「今からわたし虐められるんですか?」


「まだ橙和さんでいられるくらいには、元気みたいですね」


「残念ながら桜先輩。わたしは今すぐにでも寝たいです。疲れました」


「はい、お疲れ様でした。ですが、今のうちに反省会をしておきましょう」


 どうやらここまで疲れているのはオレだけらしく、反省会と言うか、今の心境を話せるのであれば話しておきたいという欲求もあったため、重い身体を持ち上げる。

 椅子を持ってこようかと思ったのだけれど、朝が一緒に持ってきてくれていた。お礼を言って歪ながらも円形になるように置いて、座る。


「はい、皆今日はお疲れ様でした。特に問題もなく、滞りなく出来たのは皆のお蔭です」


 最初に初春先輩が、部長らしく総括をする。言葉通り、悪くはないライブだった。

 そのまま、先輩はオレの方を心配そうに見る。


「それで、橙和ちゃんは大丈夫? そんなにきつかった?」


「まだ何とか大丈夫です。何というか、気が抜けちゃいました」


「たった三曲で、そんなになるなんて、体力ないんじゃない?」


 井原に厭味ったらしく言われたけれど、今のオレは言い返している余裕もない。

 代わりに忠海先輩が、フォローを入れる。


「一人だけずっと演技を続けていますからね。見た目以上に疲れると思いますよ。

 MCで沢山話す事もありましたし、慣れていないと人前で話すってだけでも疲れるものです」


「それは、分からなくもないですけど。

 そうね。今日は仕方ないかもしれないわね。お疲れトワ子」


「麗華ちゃんもお疲れ様」


「本当に疲れているみたいね」


 井原が調子が狂うと言いたげに、歯切れの悪く言葉を返す。だからさっきから疲れていると言っているだろうに。

 話しが逸れてきたためか、忠海先輩がパンと手を鳴らして、仕切り直す。


「それでは一年生に今日の感想を言って貰いましょうか。別に堅苦しい必要も無ければ、テンプレも要らないので、思った通りに言ってくれていいですよ。まずは橙和さんから」


「ライブって言うものが、良く分かったような気がします。楽しかったですし、またやりたいとも思いますけど、実力不足も実感しました」


「楽しかったんですね?」


「少なくとも、ここ数年の中では一番楽しくて、二番目に充実していました」


「一番充実していたのっていつなんですか?」


「受験の時です。同じくらい頑張ったとは思いますが、期間が違いますからね。でも、受験が終わった時よりも疲れている自信はあります。楽しかった分、疲れたのかもしれませんね」


「はい。では次に井原さんどうでした?」


 話を振られた井原が、わずかに考えるそぶりを見せてから、真っ直ぐ先輩を見て答え始める。


「トワ子と似たような感じですね。上手くいった部分もありますが、まだまだ課題が山積みだと言う事を自覚しました。

 でも、評判が悪くなかったのは、素直に安心しました」


「最後に真庭さんはどうしてしたか?」


 井原を見ていた先輩が、今度は朝を見て尋ねる。先輩は先ほどまであんなに盛り上がるライブをしていたのに、いつも通りの口調で、それだけでもオレ達との違いが見て取れる。

 流れから自分の来ることが分かっていたのか、朝は尋ねられて、すぐに答えた。


「ずっと緊張していて、あんまり覚えていないです。次はちゃんと覚えて置けるくらいには、緊張しないようにしたいです」


「と言う事でしたが、一緒に演奏していた藍さんは、何か一年生に言いたい事はありますか?」


「そうですね。とりあえずはお疲れ様。皆、反省点をちゃんと言って、真面目だなと思うんだけど、ここ数か月で確実に上達しているんだから、もっと自分を褒めていいんじゃないかな?

 敢えて和気君って言うけど、和気君は勿論、井原さんも、真庭さんも短い期間でよくここまで仕上げられたよね」


「と、言う事です。四月から考えると皆さんとても成長したと思いますし、今日のライブは成功だったと言う事でいいのではないでしょうか。

 課題が残ったと感じるのであれば、また明日から頑張ればいいですし、今日はゆっくり休んでください」


「繰り返しになるけど、明日も部活だから忘れないでね。じゃあ、解散」


 初春先輩の合図で、解散にはなったのだけれど、メイクを落として着替えてとしていたので、家に帰るのに少々時間がかかってしまった。




 翌日、一晩寝ると昨日の疲れが嘘だったかのように、頭が冴えていた。

 一応今日から夏休みにはなるのだけれど、部活があるので学校に向かう。休みの日に学校に行かないといけないなんてと、昔は思っていただろうが、今は言ってやりたいことがあるのでそんなに苦ではない。

 学校に向かいながら、ふと完璧計画を思い出した。全校を魅了し、話題を掻っ攫い、人気者になる事。昨日のライブの感触を見るに、道のりは長いが不可能ではないだろう。

 当初考えていたルートとはだいぶ違うが、より現実的で、より実感のある道のりが目の前には広がっている。


 多くの女子に持てて、ゆくゆくは可愛い彼女をと考えてしまうのは、男子の性。

 モテないより、モテた方が良いに決まっている。でも、その前に男であると認識して貰わなければなるまい。

 そんな事を考えている間に学校に辿り着き、靴を履きかえようとしたところで、休みのはずなのに、何だか校内が騒めいていた。


「お、碧人。どうしたんだ? もう夏休みだぞ?」


 何があっているのだろうかと、気になっていたら、急に声を掛けられた。

 知った声だったので、都合が良いが、質問の内容は都合がよくない。


「忘れ物したんでね。そう言う神原は部活か?」


「部活だね。とは言っても、昨日の片づけをするくらいだけど」


「昨日と言えば、神原は軽音楽部のライブどうだったんだ?」


「何だ碧人、行っていないのか。控えめに言っても最高だったよ。

 ななゆめは二人だけと言っても、十分すぎるくらい豪華だし、二年生の双子の先輩も噂に違わない美人だった」


「一年生は?」


「見た目の派手さはなかったかな。真庭さんも可愛いけど、周りがね。ボーカルの子も、良い線いっていたと思う。

 見た目の派手さはないけど、演奏は派手だったね。両声類なんて生で初めて見たけど、声だけ全く別人って感じで、ちょっと趣向を変えてきたかなって感じで、俺としては予想以だったよ」


 オレが無関係の人物だと思っているためか、明け透けな意見をくれる。

 一年生に関しては、大絶賛とまではいかないけれど、好感触のようで安心した。


「ところで、何でこんなに校内が騒がしいんだ? 今日って休みだよな?」


「ああ、それね」


 そう言った後、答える事はなく、代わりにオレを掲示板の前まで連れて行った。

 昨日のライブのポスターが貼られていた所で、今は人だかりができている。後ろの方から、見えた情報だと、校内新聞が大きく貼り出されていて――そんなものがある事に今気が付いた――、『謎の美少女の正体は!?』みたいなことが書かれているらしい。


「昨日のライブを受けて、校内新聞が貼りだされたんだけど、その考察が面白いからか、こうやって人が集まっているんだよ」


「神原は読んだのか?」


「当然。簡単に言うと、ボーカルの子が男子生徒じゃないのか、と言うものでね」


 それから何も知らないと思われているオレに、神原は事細かく説明してくれたのだが、要約すると次のような話になる。


『軽音楽部の新しいボーカルである、橙和は男子である可能性がある。

 まず、大前提として、「橙和」という名前の生徒は新入生は勿論、校内には一人もいない。また橙和と思われる生徒を見たという情報もない。

 何より「着せ替え」というバンド名で、周りが皆男子の制服を着ているのに、一人だけ女子の制服を着ていた。それから、橙和はかなりレベルの高い、両声類である。

 だが、どう見ても女子にしか見えない。謎の美少女と言えば、過去にも軽音楽部に居たが、もしかすると関係するかもしれない』


 最後はユメさんに関連付けていたけれど、まさにこちらのヒントに気が付いたうえでの記事に、思わず目を疑う。

 むしろここまで気が付いていながら、男子だと確定できないのは、我ながらさすがだといえるだろう。

 締めくくりに『今回は調べる事にNGがでていないため、存分に調べたいと思う』と言ったような謎の言葉があるけれど、これはオレには関係なさそうだ。

 それに考えてみれば、情報の出どころには、思い当たる節がある。何もここまでして、男の可能性を示唆させなくてもいいと思うのだけれど。


「で、ボーカルは男かも知れないんだろ? さっき可愛いって言っていたけど、神原的にはどうなんだ?」


「俺にはまるで男には見えなかったからな。こうやって記事を読んで、そう言えばって感心するところもあるけど、生で見た側からすると女子だったんだよなあ」


 神原が思い返すように答える中、何ともむず痒い心境になる。目の前の、その男がいるのに、全て自分の中に留めておかないといけないのだ。

 神原の言葉が止まったので、何か言うべきかと思っていたら、再度神原が話し始める。


「でも、もしも男なら純粋にすげえって思うかな。昨日のライブ、全部演技だったって事だろうし。少なくとも俺には出来ない。

 それに、可愛けりゃいいかなって気にもなって来てる」


「はあ?」


 何を世迷言を、と言いたかったが、神原がいたって真面目な顔をしているので、飲み込んだ。でも、すでに声が漏れ出していたので、神原が律儀に応える。


「女子でも男子でも、結局見ている事しかできないしな。むしろ、男子なら、話しやすそうだし、有りか無しかで言えば有りだな。俺と同じ考えの人も、それなりに居るみたいだぞ?」


 モテたいとは思ったが、男にモテたいわけじゃない。女装をしていたとは言え、男だとばらす前提だから、大丈夫だと思っていたのに、思っていた以上に人の業は深いらしい。

 いや、男だと分かったら諦めろよ。有りって何だよ。そうツッコミたいが、ここは我慢するしかない。

 だが、このまま行ってしまった場合、オレの完璧計画の行く末はどうなってしまうのだろうか。

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両声類なオレの完璧計画(パーフェクトプラン)の行く末 姫崎しう @himezakishiu

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