plan.25
一曲目の『一人でツインボーカル』は、『VS A』と同じように、ボーカルから始まる。
その特徴は、男声と女声を交互に使い分けることと、あまり歌っているという感じがしない事。
確かにメロディはあるのだけれど、歌っている側としては喋っているという感覚に近い。
入部試験の時のように、先輩方三人の目がこちらを見ている中、大きく息を吸って、声を出す。
まずは男声で気丈に振る舞っているかのように。
「●もういない君の分まで オレは歌うから
たった一人でも 今だけはツインボーカル」
ここから演奏が始まる。初めは今歌った歌詞のように、寂しげな雰囲気なのだけれど、徐々にテンポを上げ、ピタッと止まる。
それが女声で歌い始める合図になる。
「○なんて 嘘だよ
●オレ達のライブが こんな 悲しい話のはずがない
○全力のエンタテイメント わたし達は二人で一人なの
●気づいたらステージの上 マイクは目の前 始まる前奏にオレ達 どうするの?
○わたし達力併せて 声を合わせて エンタメするんだ でも でも 本当は一人」
最初の重苦しさはどこへやらと言わんばかりに、テンポが良い小刻みなリズムの曲になる。これが意外と難しくて、よく伴奏を聞いていないと、演奏を置いて先に先にと突き進んでしまう。
そのせいで、練習の時に散々井原に文句を言われた。
でも、テンションが高く、ノリもいいのに、歌い難い曲を作った忠海先輩に文句を言って欲しい。
「●一本マイク握った手は 一本しかないはずなのに
(○ねえ 見て聴いて それから 驚いて)
●オレたち二人で一人の たった一人のツインボーカル
(○わたしがオレで オレがわたしで)」
ここもまた上手く歌おうとすると難しい所。何せ本来は歌わなくていいところまで、歌うように歌っているから。
カッコ内は歌わないつもりで作っているため――本人に聞いた――、歌うと良き次のタイミングが分かり辛い。
でも、耳に残るこの曲は、どうしても全部歌いたいと思ってしまった為、自ら苦行に足を踏み入れる事にした。
「○もしもわたしたちが ねえ 二人で二人だったら
●やりたいことがある んだ ハモリとかロングトーンとか
○ファッション ネイルに お化粧 他にもたくさん 女の子らしいことに手を 出したいの
●オレだって 遊んで はしゃいで 馬鹿やって そして 友情感じたい
○そんな妄言 放り捨てて 今いるわたしを見て
(○あなたにあげる 皆にあげる)
●最高 最強 エンタテイメント 誰にも真似なんて出来ない
(●オレもわたしも 同じで違う)」
何はともあれ、やっぱりオレはこの曲が好きだ。歌っていて楽しいし、何よりオレの考え方、信条に合致するとまではいかないけれど、近いものがあるから。
オレにしか出来ないエンターテイメントな曲だと思えるから。
「○changing clothes & flexible gender 一人で騒ぎ明かしちゃうの
一人で二人分の歌を どれだけ笑われたとしても むしろcome on baby
●一本マイク握った手は 一本しかないはずなのに
(○ねえ 見て聴いて それから 驚いて)
●オレたち二人で一人の たった一人のツインボーカル
(○わたしがオレで オレがわたしで)
○最高 最強 エンタテイメント ここにいる皆にあげる
(○ここが世界で 一番楽しい)
●全力 全開 エンタテイメント 誰にも真似なんて出来ない
(●二人で一人の ツインボーカル)」
歌い終わって後奏が終わるのを待つ間、それほど長くないはずなのに、とても長いように感じられて、でもやっぱりあっという間に音が止む。
歌い終わったオレ達を、忠海先輩と初春先輩は拍手で迎えて、優希先輩はニッと笑顔を見せた。
「こちらに関しては、十分ですね」
「ありがとうございます」
忠海先輩の言葉に、井原が真っ先に応える。自分の中では上手くいったと思うし、自信もありはしたが、忠海先輩の反応を見ているとあくまでもオレ達のレベルとして十分というだけであって、それほどでもないと言う事が分かる。
何となく纏められているだけ、と言うのも自分で何となく分かったし。
でも楽しかった。今出せる全部を出し切ったって感じはする。
「本当にこの数か月で皆さん上手くなったと思います。橙和さんなんて最初は素人いかって感じでしたからね」
「あの時はあの時で自信あったんですけどね」
忠海先輩が意味があるのか、オレをおちょくってくるので、負けた気がしないように言い返す。あの時の女声の完成度は自分でも高かったと、自慢したいレベルではあったので、嘘ではない。
忠海先輩は「流石は橙和さんですね」と笑いながら言ったかと思ったら、息を吸うと同時にその雰囲気を剣呑とさせた。
「皆さんの……というか、真庭さんと井原さんは上手になりました。なりましたが、次の『二兎追うもの』は桜達に演奏させてください」
「桜さんがそう言うのであれば、構いませんけど……」
普段は見せない忠海先輩の雰囲気に、圧倒されたのか、井原の言葉は要領を得ない。
しかし了承はもらえた為か、先輩はそのまま朝の方を向いた。
「大丈夫です」と言う朝が、どことなく不安げだったのも、先輩の雰囲気のせいだろう。
それにしても、忠海先輩は何を言いたいのだろうか。
橙和だったら分かるはず、と自分に言い聞かせても、自分で気が付かない事には気がつけるはずもない。それに、あまり朝たちの事を考えている余裕も無い。
二兎追うものを歌うにあたって、オレが先輩に言われた言葉は一つだけ。
『ドリムさんの歌を、完璧にコピーしてください』
模倣は専門分野だ、とまではいかないけれど、今まで沢山の人やキャラを真似てきた。
だから、出来る自信があったのだ。でも今は自信がない。ただし、歌として見た場合、練習してきた三曲の中で最も上手く植えるとは思う。
ふと周りを見てみると、いつの間にか先輩達が準備をしていて、オレが手伝いに入る間もなく終わってしまった。
「さて、藍さんに優希さん、頑張ってくださいね」
「久しぶりに緊張するね。藍」
「わたしはそうでもないよ。ここ最近はずっと、橙和ちゃんの後ろで演奏していたし」
「出来ればあたしも入りたいんだけど……先輩らしく我慢しておきますか」
忠海先輩のかけた声に、二年生の先輩方が「はい」と返事をしてから、話し出す。
身内に対してだからか、特に藍先輩が砕けた様子だったのが、印象に残った。
おしゃべりをしていた二人は、初春先輩に「はじめるよ」と声を掛けられた為か、口を噤む。
「橙和ちゃんも準備大丈夫?」
「ここまで来たら、やるしかありませんから」
「気負わずに頑張ってね。それじゃあ、藍ちゃんよろしく」
ドラムである藍先輩が、持っているスティックを二度鳴らす。
それに合わせて前奏が始まる直前まで、オレはとても自信がなかった。そもそも歌える気がしなかった。
それはたぶん、朝や井原と一緒にやると思っていたから。今のオレは融通が利かない、歌う機械のようだから。
でも、先輩方の演奏が聞こえた瞬間、不安はすべて飛んで行った。塗りつぶされたのかもしれないし、置き換えられたのかもしれないけれど。
頭の中をずっと聴いていた、ドリムの『二兎追うもの』が埋め尽くす。
気が付けば、オレは自然と声をあげて歌い出していた。
*
「空を見上げ 一つ気が付く 手にあるモノは 俺が手にしたのだ
神はただ 見てただけ でしかいない
二兎追うものは また走り出す いいだろう?」
歌詞が終わり、後奏が流れている間、今の“演技”の出来栄えを振り返る。
点数をつけるなら、三十点と言った所だろうか。全然だめだったとは言わないが、やはり成果はほどほどと言った所だろう。
しかもその成果は、先輩達の演奏ありきだと行ってしまっていいだろう。
オレの歌には穴がある。それは、とても集中力を要するため、柔軟性がない事。少しでも、違和感を覚えた瞬間、一つずつ何かが崩れていくように、歌が崩壊していく。
そう言う意味だと、演奏はない方が歌える可能性は高く、元の歌を聴きながらであれば、軌道修正も出来なくはないが。
それから、自分で間違いに気が付くと、集中力が途切れてしまう事。声の特徴、細かい癖までは真似することが出来ても、オレは歌の上手さまでは真似できない。
ロングトーンを伸ばしきれないし、音を上げないといけない所で上げきれない。
そのたびに集中力が切れ、歌が不安定になり、演奏とあわなくなる。
でも、先輩達はオレの歌に合わせてくれていたようで、最後まで違和感なく歌う事が出来た。そんなわけで、あまり良かったとは言えない。
反省に耽っていると間に後奏が終わっていたらしく、辺りが静まり返っている。
我を取り戻して、一年生の方を向いたら、二人ともポカンとしていた。井原の方は、わなわなと肩を震わせているようにも見える。
「何でトワ子がこんなに上手いんですか!?」
「思っていた通り上手でしたよね」
飛びかかってくるんじゃないかと言わんばかりの勢いが井原にはあったが、忠海先輩はそれに軽く応える。
応えるというか会話になっていないけれど、井原が黙ったので良しとしよう。
「そこまで上手くなかったと思いますけど。いや、歌に関しては今までよりは、上手に歌えている自覚はありますけどね」
何と言うか、自己評価と他己評価の差がありすぎて、反応に困る。
「先輩達には及ばないまでも、近いくらいには歌えていたのに、何が不満なんだか」
「でも、橙和ちゃんがこれだけ歌えるって事は、ライブも大丈夫だよね」
「トワ子のお蔭って考えると何か嫌なんだけど、確かにその通りではあるわね」
一年生二人で盛り上がっている所悪いが、多分それは無理だと思う。
なるほど、演奏を始める前に忠海先輩が、「二人は上手になったと」念を押していたのは、こういうわけだったのか。
忠海先輩の考えは良いとして、二人になんて伝えたらいいものかと困ってしまう。
「残念ながら、それは無理でしょうね」
渡りに船と言わんばかりに、忠海先輩がオレと二人の間に入って来た。
無理だと言われた井原は、キョトンとした顔で、先輩に問いかける。
「無理ってどういう事ですか?」
「実際に演奏してみた方が早いと思いますよ。やってみますか?」
忠海先輩に促され、井原達が半信半疑と言った様子で、藍先輩を残して入れ替わる。
準備が出来て、始めようかとしたところで、忠海先輩が思い出したように問いかけた。
「ボーカルなしの状態では、演奏できるんですか?」
「何回も合わせてはみましたから、大丈夫です」
オレが居ないところで何を、と言いたいが、混ざったところでお荷物だっただろうから、別に構わない。それに、楽器組だけ先に合わせるというのは、いつものことと言えばいつもの事だ。
忠海先輩が、「それなら大丈夫ですね」と頷いたところで、演奏が始まった。
結果はオレ、そして先輩の予想通り、めちゃくちゃだった。演奏開始一分経たずに、歌と演奏が合わずにストップしてしまう。
先輩達に見られている状況で、何ともいたたまれない感じもするが、忠海先輩が「やっぱりこうなっちゃいましたね」と言ってくれたおかげで、誰も話せないという嫌な沈黙には陥らずに済んだといえる。
だが、オレを除いた一年生にはショックが大きかったようで、朝なんかは見ていられない程、小さくなっている。でも、オレの制服はピッタリ。
井原はショックを受けているというよりも、怒っている。先ほどのよりも、わなわなと言う言葉がよく似合う。
そんな中、オレがこんなに呑気に構えていられる道理はないのだけれど、オレとしては想定内だし、先輩達も和やかだしで、何とも立ち位置に困る。
きっと井原から怒声が飛んでくるんだろうなと思っていたら、本当に「和気」と言う声が飛んできた。今のオレは橙和なのに。
言いたいことは言って貰ってから話すのが、橙和っぽいかなと思ったので、黙って聞く態勢に入る。
「何で合わせてくれないのよ。お蔭で……」
「はいはい、井原さん落ち着いてください」
「でも、先輩」
言い寄ってくる井原に、ビンタの一つでもされるのではないかと思ったのだが、先に忠海先輩がなだめにかかる。
オレの実力不足は否めないため、甘んじてもいいかなとは思ったけど、痛いのは嫌なので助かった。
「和気君、というか橙和さんですが、合わせなかったんじゃなくて、合わせられなかったんですよ。そうですよね?」
「桜先輩のおっしゃる通りです。今のは融通の利かない物まねですから、ちょっとしたことで上手くいかなくなります。しかも、わたしが少しでも失敗したと思ったら、それが歌に出てしまうんです」
「でも、先輩達の時は上手くいっていたじゃない」
「それは桜達が頑張って合わせていましたからね。特に優希さんは大変そうでしたよ」
井原の言葉に、先輩が代わりに応える。名前の挙がっていた優希先輩の方を見ると、ちょっと不満そうに、笑ってみせた。
ここまで来て、ようやく朝が口を開く。
「つまり、私達の力が足りないって事ですね」
「結論としてはそうなります。ですが、先ほども言いましたが、二人とも上手にはなっているんですよ?
どこかの誰かさんの、融通が利かないだけで」
「悪かったですね」
忠海先輩が暗にオレを皮肉ってくるので、拗ねたように返したけれど、先輩のこういった空気の換え方は、素直に上手いと思える。
意識しているのかはわからないが、とにかく重たく暗い雰囲気にはならないだろう。しかし、井原は納得がいっていないのか、不満げな顔で先輩を見た。
「じゃあ、どうして今のような形にしたんですか?
和気に真似をするように言ったのは、桜さんですよね?」
「一つは、皆さんに嫌な思いはさせたくなかったからですね。『なんだ、今年の一年生は大したことないや。これだったら、自分が入部しておけばよかった』と言われる可能性はありますよね。
というか、昔いたんですよ。比べられて、酷評された人が。一年生でもなければ、新人でもなかったですが、その人は今の皆さんよりも上手な人です。皆さんには、そう言った体験をして欲しくはないですから、両声類以外の武器として、用意しておきたかったんです」
真面目な忠海先輩の話に、井原の勢いは失せ、俯き加減にじっと聞いている。
忠海先輩は特に大きな感情を見せる事なく、淡々と続けた。
「もう一つは、皆さんの目標を明確にしたかったからです。
演奏は上手くいきませんでしたが、もしも上手くいったとしたら、多くの人に評価して貰えるレベルでしょう。和気君には、これくらい歌えると言う事を知ってほしかったですし、井原さんと真庭さんには、これくらい演奏できるようになって欲しいわけです。
和気君にも、現状のままで良いとは言いませんけどね。人の真似ではなく、自分の力で今くらい歌えるようになって欲しいなとは考えています。
最終的には皆さんが決める事ですが、先輩として出来る事と言うのは、これくらいですから」
「次のライブはどうするんですか?」
それはオレも気になっていた所だが、声に力がこもっていない、井原がそれを言ってしまったら、もう次は言い返す言葉は出てこないだろう。
どうせ忠海先輩の事だから、その辺りの案まで考えているだろうし、井原の負けだ。
いや、最初から勝負になっていなかったといえる。
「桜達と一緒に演奏しましょうか。そもそも、今までは部内でバンドを二つに分けるなんてことはしていませんでしたから、軽音楽部の新人紹介と言いつつ、先輩方も普通に出ていましたし。
一年生に課す、ライブまでの目標は、桜達と一緒に『二兎追うもの』を演奏できるようになることにします。
それまでの間は、桜達上級生が練習に付き合いますから、何とかなるでしょう」
「それって、わたしは何もないってことで良いんですか?」
「橙和さんには、歌っている間に聴いている人の顔くらいは見られるようになってくださいね。今日は気が付いていなかったみたいですが、橙和さんが歌い出してからの、お二人の顔なかなか面白かったですよ」
一年生からは高評価だったけれど、そんなに面白い反応を取っていたのだろうか。
だとしたら、とても勿体ない事をした。
ライブの時に、二人のような反応をしてくれる人が居るかは分からないが、エンターテイナーとしては、聴衆の反応は見えていた方が良いだろう。
こうして、初ライブまでの最後の一週間が過ぎて行った。
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