Res.1


携帯用の掲示板というものを知っているだろうか。


 昨今に見られるスマートフォンの普及より少し前。二つ折りの携帯電話が主流になっていた時代。千字という限られた文字数の中で投稿する、レンタル掲示板が密かに学生の間で使われていた。


 その背景には、某大型掲示板の影響が少なからずあったのかもしれない。あるいは、自分の居場所を探す人達にとっての拠り所であったのかもしれない。今となっては真偽を知る術もなく、知ろうとも思わないが、あの日、2007年の僕にとって“あの場所”は数少ない暇つぶしの場であり、憩いの場であり、秘密基地のような存在だった。


 物語の主役になれない僕にとっての。

 物語とは名ばかりの空想的社会主義ディストピアの産物。


 なぁ、いつからだろう。物語の主人公に憧れなくなったのは。

 いつからか、物語と現実とを切り離して考えられるようになった。

 同時に、創作物に対する憧憬あこがれは、歳を重ねるにつれて薄れていく。


 例えば、中学生の時に好きだった漫画が、大学生になって読み返すと、どうでも良くなっている事がある。

 これは果たして、年齢を重ねた事によるただの心変わりなのか。それとも、社会の秩序に擦り付けられた事による精神的な摩耗なのだろうか。


 考える。答えは永遠に出ないのに。

 何て事のない思考遊戯をずっと繰り返している。


 ……いつしか、一人で考える事が多くなった。

 他人との会話が少なくなっているのだろう。自分の中で答えという名の着地点を決めて、解決した気になっている事が増えた。

『コレが解らない』とか『アレを教えてくれ』と他人が話しているのを聞く度に、会話の糸口を掴むタイミングを見逃している事に気づく。

 センチメンタルな気持ちになる。

 中学校の通信簿に『協調性に欠けてます』と書かれていた記憶がふいに蘇る。


 高校を卒業し、恙無く進学したものの、他の学生との距離感に上手く付いて行けなかった僕は、通う意義を見いだせず、かと言って他の事、サークル活動やアルバイトなどに打ち込む根気もなかった。


 そんな折り、高校入学の祝いに買ってもらった携帯電話の機種を変更し、念願の新型機を手に入れた。


 当時としては珍しい、背面にウォークマン機能の操作ボタンがある、d0c0m0のF902iz。富士※によって開発された、第三世代携帯電話、今となっては馴染みは無いがF0MAフォーマというサービスの製品だ。


 高校の頃、友人の影響で、邦楽のロックバンドに傾倒していた僕は、携帯で音楽を聴けるという機能にとても驚き、感動した。

 余りに聴きすぎたせいか、翌年中耳炎にかかってしまったのも、今となっては懐かしい話だ。


 そして、何より驚いたのは、今まで見ていたインターネットの広さだ。新機種になった事により、見れる幅が広がったお陰で、ネットの持つ広大な魅力に溺れるように没頭した。丁度その頃に見つけて、一番ハマっていたのが、冒頭でも述べた“携帯用の掲示板”だった。


 読書好きが高じて、アマチュア小説にまで手を出し始めていたある日。ゲームを元にした自作小説――所謂二次創作――やオリジナル小説を投稿する掲示板を偶然発見し、掲示板の作品を読んでいる内に、そこで書いている人達と交流を持つようになった。

 今で言うなら“チャット”と言えばわかりやすいだろうか。


 ネットの世界ではあったのだが、初めて他者との交流を楽しいと思えるようになり、足繁く通っている内に、約一年半もの間、そのサイトに入り浸るようになってしまった。


 ……思えば、不毛な時間だった。


 けれど幸福は、中々気づけないものだ。

 好きな本を読んでいる時。

 友人と遊んだ後。

 恋人と愛を語った日。

 人に「ありがとう」と言われた瞬間。


 実感は、ふわふわと遅れてやってくる。


 僕はそんな時、その実感をそのまま受け入れて良いのだろうか、と。自分の中の視点を切り替える事がある。


 例えば、テレビのリモコンでチャンネルを変えるようなものだ。


 画面が変わり、朝の動物特集から一転、大学に入学したばかりの女子大生が殺されたニュースが報道されていた。

 朝から何とも後味の悪い内容が流れて、チャンネルを元に戻す。


 こんな風に。

 今起こっている出来事をほんの少し視点を変えて考えてみる。


 例えば、殺された女子大生。世間一般の目から見れば、若い身空で他人に人生を奪われるのは可哀想だと思うのがごく普通の思考だろう。僕もそう思う。本当に可哀想であると思うし、犯人に対して同情の余地はない。


 しかし、ここで視点を変えてみる。殺された女子大生。彼女は生前悩んでいた。新しく始まった生活の事。学業。交友関係。これからの人生。全てに悲観的な未来(ビジョン)しか見えていなかった。未来に希望が持てなかった矢先、彼女は殺人犯に出会った。これはあくまで仮定の話だが。そうした場合、彼女は死の間際どう思ったのであろうか。


 人間には、表と裏がある。体に影が出来るように、光と闇がある。

 その圧倒的なバランスで生活は成り立っている。


 コーヒーの苦味をミルクで中和するように。


 今日もまた僕は“ぼく”を偽る。



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