Res.2


「おはよう、うらなみ」


 爽やかな挨拶をもって、一日の始まりを少しでも良い気分で開始させようと思った矢先、中学校からの古い友人であり、同じ大学に通うよしみであり、友達以上恋人未満のゆるい関係を努める同好の士、または同じ穴のむじなである浦波うらなみ みどりは厄介者を見る目で僕を一瞥した。


 デニムのショートパンツから伸びた足に花柄のプリントタイツ。幅の広いルーズな襟口から覗く華奢な肩。芋っぽさが残るものの、それなりに磨けば光りそうな顔立ち。それから、まるで雑誌を見せながら「これにしてください」と言ったようなどこかで見た事のある、ミディアムに軽くパーマをあてて明るく染めたテンプレヘア。こんな敵意のある視線を向けられなければ、それなりに目を引く容姿だ。でも、挨拶をしただけで、何故そんな目を向けられるのか。


 少しだけ、時間を遡る。


 浦波 翠と僕、深山みやま 湊介そうすけは、同じ中学校に通っていた。だが、特に大きな接点はなく、強いて言うならば、三年の時に同じクラスになって、一言くらい話した程度だ。それだけで終わるはずの関係だった。しかしそれが、高校生になった時、たまたま同じクラスになり、席が隣同士になり、あまつさえ周りに、他に話すような親しい友人がいないとなるとどうだろう。僕の浅い経験則から考えるに、およそ9割くらいの確率でテンパりながらも話そうとするはずだ。


 幸か不幸か、そうした経緯を経て僕たちは、何となく話すようになり、高校三年間の間で気の置けない間柄になった。きっかけは、どちらかが話しかけたのだと思うけれどもうよく覚えていない。


 時は経ち、偶然にも同じような頭の出来だった僕達は、特に狙ったわけでもなく同じ大学に合格し、進学した。


 これが、つい三か月ほど前の出来事。

 偶然にも同じ大学に通えたのだから、浦波とはこれからも仲良くするつもりだった。向こうもそうなのだろうと勝手に思っていた。


 ところが、大学に入って一ヶ月ほど経過したある日。浦波から「大学では話しかけないで」と告げられた。女子からの辛辣な言葉に、童貞ながらに堪えた僕は続く彼女の言葉に更に追い打ちをかけられる。


『大学では、ちゃんと女友達を作りたいの。湊介と話してたら、大学でも同性の友達がいなくなっちゃうでしょ。私は、同性の子と遊びたいし、洋服の事とか話して、ショッピングに出かけて、髪型とかネイルの話とかしたいの』


 脳内に、実際の映像と音声が流れる。何故だ、あんなにも僕らは語らっていたのに。


 女子とはそういう物なのかと、思春期の娘を育てるお父さんの気持ちが少し解った気がした。


 彼女の言葉を聞いて、そこで引き下がれば良かったのかもしれない。しかし、そこまで性根が真っ直ぐでもない僕は、その後も話しかけ続けた。浦波の言いなりになるものかと話しかけ続けた。なんなら、高校生の時よりもしつこく話しかけ続けた。


 その結果が、コレである。今や軽く挨拶をしただけでも、睨みつけてくる始末だ。女子の心変わりは本当に恐ろしい。


 長机に鞄を置いて、隣に座る。


「……何で隣に座るのよ」

 消えろ、と続きそうな視線を向けられた。


 確かに。このままここに座り続けるのは、僕としても気まずい。関係の改善を図っての行動なのだが、むしろ悪化する可能性の方が高い事も否めない。だが、それがどうしたと言うのだろう。男子が女子に対して遅れを取るなどあっていいものか。男と女とは本来平等のはずだ。対等のはずだ。共同参画社会のはずだ。何が言いたいのか。つまり、困らせたい。困った女子の顔を見たいのは、男子の性なんだと思う。


「いやぁ、ちょうどうらなみの隣に座りたかったんだ」

「なにそれ。他にも空いてるでしょ? 私じゃなくて他の友達の所にでも行きなよ」

「他の友達なんているわけないだろ」

「……ごめん」


 謝られた。なぜだろう。困った顔をしているのにちっとも嬉しくないのは。


 意に介さず、机の上に筆記用具と教科書類を並べる。隣を見ると、嫌そうな視線をまだ送っていた。


 ……少し意地悪をしすぎたのだろうか。

 心にも無い事を思いながら、机に広げたノートに手を伸ばすと、左手の甲が浦波さんの右手に触れた。


「うわっ」

「うらなみさん、手が触れた後の反応が『うわっ』っていうのは、さすがの僕でも傷つくよ」

「じゃあ、何て反応すればいいの。あ。喜べとか言われても無理だからね」

「……」


 タイミング良く、授業開始のチャイムが鳴る。隣に座る彼女は短く嘆息して、視線を前に向けた。

 会話を打ち切られたように感じた僕も、彼女に倣い前を向く。


 最近はいつもこんな調子だ。寧ろ今日は良く喋れた方だ。


 最初の頃は、僕が話しかけても一言も返してくれなかった。これを進展と言っても良いものか、彼女がもう諦めていると取った方が良いのか。

 難しい。人との会話の中に見え隠れする本心を探るのが。……いや、きっと考えすぎなんだと思う。だから、おかしな方に転がっていく。


 隣に座る彼女に悟られぬよう、視線を送る。


 なお、授業を担当している教授は、チャイムから十分程後に入室してきた。


[sage]


 午前の授業も終わり、講義室を後にする。空腹を訴え始めた腹の音を静める為に、食堂へ向かった。

 ……余談だが、授業が終わった後、浦波さんを誘ってみたのだが見事に断られた。


 学生で賑わう、食堂までの長い道程を無心でやり過ごす。僕ぐらいのぼっちともなれば、友人同士の会話や恋人同士の惚気など単なるBGMに等しい。


 食堂に到着し、列を作る学生達に混ざって食券を購入したまでは良かったものの、時間帯のせいか空いている席はない。

 おばちゃんからよそってもらったばかりの鳥そぼろ丼を持ったまま食堂内をうろついていると、見慣れた顔に再び出会った。


「……」


 心無しか、嫌そうにしている。


「言い訳をさせてくれよ、うらなみさん。別にわざと同じ食堂を選んだわけじゃないんだ。偶然……そう、偶然なんだよ。偶然ここの鳥そぼろ丼に最近ハマッてて、偶然食べたくなったからここの食堂に来た。だから、別にうらなみさんを付け回したり、意地悪しようと思って、ここに来たわけじゃないんだ」


 食堂は、ここ……第三食堂の他に大きく分けて四つ程ある。洋食にこだわった少しお値段お高めの第一食堂。麺料理に特化した第二食堂。和食に力を注いでいる比較的財布に優しい第三食堂。そして、とにかく辛いと評判の中華メインの第四食堂。そんな中で偶然鉢合わせる事など珍しいのだが、今日に限ってそれが起こってしまった。


 注文していたカツ丼に箸を付けたまま何も言わない彼女は、先ほどと変わらぬ表情で僕を見つめ、ため息をつく。


「……そんな所に立ってないで、座れば?」

「え……?」


 どう言えば信じてもらえるだろうと思考していた矢先、意外な言葉を掛けられたので拍子抜けした。


「座ったら不機嫌にならない?」

「なるよ」

(なるんかいっ!)


 びっくりした。なにその理不尽な怒り方。


「でも、座る場所無いんでしょ? なら仕方ないんじゃない。奏介、話慣れてない人には口下手だし。知らない人に『相席してくれ』なんて言えないでしょ」

「痛い所を思い切り突くね」

「それに、私は別に意地悪がしたいわけじゃないもの」


 それを聞いて、恐る恐る向かいに座る。学生達の賑わう中、ようやく食事場所へありつけた事で彼女に短くお礼を伝える。


 とろみのついている鳥そぼろの上に乗せた、温泉卵の黄身を潰す。白米と一緒に箸でかき混ぜた後、そのままかきこんだ。


 正面に視線を向けると、浦波さんもまた黙々と卵で綴じられたトンカツを口に運んでいる。何か話しかけるべきか……けど、また余計な反感を買いそうで何も言い出せない。


 騒がしい食堂内だけが、皮肉な事に二人の沈黙を上手く取り持っている。

 そうしたまま箸を動かしている内に、僕の方が先に食べ終えてしまった。


「……じゃあ、お先に」


 浦波さんにそう伝えると、視線も向けず、ただ手のひらをヒラヒラとさせる。

 おぼんの上に箸と空になった丼、水が入っていたコップを乗せて席を立つ。

 会話は無かったけど、僕らの距離はこんな物で良いのだと思った。


「あぁ、そうだうらなみさん」

「なに?」

「今日一緒に帰ろうよ」

「はいはい、じゃあ、私は自宅の前で待ってるね」


 肩を竦めてその場を去った。


 [sage]


 午後の授業も終わり、部活動やアルバイト、サークル活動にすら属していない僕は、早々に帰宅した。たまに、夕暮れに照らされてサッカーやテニスに打ち込んでいる学生の姿を見かけると眩しく見えるが、かと言って特にやりたい事も無いので、なし崩し的に帰宅部になっている。


 大学生にもなってそれはどうなのだろうと思うが、一年生の前半だ。まだあわわわわわてる時じゃない(噛)


 台所にて帰ってきたばかりの母親と二、三会話を交え、自室のある二階に上がった。


 適当に荷物を放り投げて、クーラーを点ける。冷たい風が、徐々に室内に浸透した。


 そのまま倒れこむように、ベットに仰向けになり、ポケットに入った携帯電話を取り出す。


 当時ではまだ新しい機種の二つ折り携帯。大学入学を機に両親に買ってもらったものだ。


 慣れた手つきで、ブックマークの一番上――閲覧履歴の新しいものが上に来るようになっている――を開く。


『※※小説投稿掲示板』


 小さな画面に質素なページロゴが映し出され、下のページにスクロールした。


『☆★☆雑談専用☆★☆』


 いつも見ているスレが一番上に来ており、カーソルを合わせてボタンを押す。


 この掲示板を覗いているのは僕と、あともう一人だけだ。昔は賑わっていたが、月日と共に皆離れてしまった。仕方のないことなのだけれど、居場所はここだけではない。賑わっている方に流れていくのは、本質なのかもしれない。持て囃されるのは、誰もが望んでいる欲求だ。僕だってここに僕一人しかいないのならこんな、管理人ですら見放した場所などとっくに去っている。こうして、足繁く覗いているのは、書き込みを続けている“もう一人”との交流を引きずっているからだ。


 ページが表示され、またスクロールする。最後に書き込んだのは僕だったはずなのだけど、その後にまた書き込みがあった。


 投稿者は見知った人物、もとい、先で述べたもう一人のサイト閲覧者だ。


“こよ☆こよ”というハンドルネームで書き込みを行っている彼女は、僕よりも前からこのサイトに居るらしい。素性などは聞いた事がないので解らないが、会話はそこそこ通じるので、同年代だと思っている。最も、いくら考えた所で確認する術はなく、又、向こうも僕のことを詮索してこない以上は僕としても聞くつもりはない。インターネット間に於ける交流は、そのぐらいがちょうどいい。


 画面に映る文面を読んで、何て返事をしようと考えている内に、つい置いてあった小説を読み始めていた。

 そうして、返事を保留にしたまま。晩ご飯に呼ばれるまでの短い間、読書に耽った。



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